テニス短編
氷上の王様 *跡部
それは友達の彩ちゃんと、学食でランチを食べている時だった。
「スケート?」
「うん、今度侑士と行くんだけど、名前も来てほしいの」
「?なんで?デートなんでしょ?」
「大勢で行った方が楽しいでしょ?私ダブルデートがしてみたいのー!」
「だ、ダブルデートって…私彼氏いないよっ?」
私が彼氏いないことは知ってるはずなのに、この子は何を言っているんだろう。
「侑士が誰か連れてくるから大丈夫だって!」
「えー!そんな、無理だよぉ…」
男の子とまともに話せない私。忍足君の友達だったら同じ氷帝学園の生徒で知ってる人かもしれないけど、一緒に遊ぶなんて想像できない。忍足君だって彩ちゃんを通してやっと最近話せるようなってきたのに…。
「ほら、名前、フィギュアスケート観るの好きじゃん?1回滑ってみたいって言ってたじゃん。その侑士の友達がスケートリンクのチケットを持ってるんだって」
「う、うーん…」
確かに、フィギュアスケートは大好き。美しくて、かっこよくて、観てる人達を感動させてくれるフィギュアスケートが。私は小さい時に1、2回家族と滑りに行ったくらいで全然滑れないのだけど、華麗に滑る選手達を観ていたら、私もまた滑ってみたくなった。
「いざとなったら侑士の友達なんてほっといて、ただ滑ってればいいよ〜、ね?」
上目遣いでお願いされる。彩ちゃんにそこまでお願いされたら断れない。それに彩ちゃんの言う通り、勝手に滑っていればいいのだから。
「う、そ……」
そして迎えた当日、スケートリンクの受付の側で彩ちゃんと一緒に忍足君達を待っていたら、忍足君と共にやってきたその人を見て驚いた。
だって、跡部君だったのだから。
「おはよー!侑士、跡部君」
「おはようさん、苗字さんもおはよう」
「あ、うん、おはよう…」
忍足君に挨拶されて、そう返事をする。そして目線を跡部君の方へずらすと、ばっちりと跡部君と目が合ってしまった。すると跡部君は私に微笑む。その表情があまりにかっこよくて、緊張してしまって、結局跡部君にはちゃんと挨拶できなかった。
「ねぇ、ねぇねぇ!彩ちゃん!し、知ってたの?今日跡部君が来るって…!」
女子用の貸し履が置いてあるコーナーで彩ちゃんと2人になると、私は彩ちゃんの服を掴んで彩ちゃんに詰め寄った。
「あれ…言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ!ど、どうしよう…!」
「どうしようって、良かったじゃーん、愛しの跡部様が来て。この機会にお近付きになりな?」
「なっ…!」
私は彩ちゃんの言葉に顔を真っ赤にする。そう、私は昔から跡部君のことが好きで、でも、それはお近付きになりたいとかそういうのじゃなくて、ただ見ているだけで満足だった。クラスは3年間で結局1度も一緒になれなかったけど、学校行事や学年集会やテニスの試合で彼の姿を見られるだけで嬉しかったし、廊下ですれ違おうものならその日は1日ハッピーだった。彩ちゃんが忍足君と付き合いだして、彩ちゃんから何度か忍足君経由で跡部君を紹介してあげようかと言われたけど、そんなの忍足君に申し訳ないし、何を話したらいいのかも分からないからと断り続けていた。ほんとに、私は跡部君のことを遠くから見ているだけで幸せだったから。
スケート靴を履いて、スケートリンクへ向かう。忍足君、跡部君、彩ちゃんがリンクサイドの出入口から氷の上へ出ていった。氷の上に華麗に降り立つ跡部君。テニスコートの上が1番だけど、氷上もこんなに似合うなんて。氷の国の王様みたい、なんて少し見惚れていた。
そして我に返って、私も出ていこうと氷の上に片脚を乗せる。するとツルッと滑って転びそうになったので、慌ててリンクの端の手すりにしがみついた。そしてやっとの思いで両脚を氷の上に乗せたけど、ツルツル滑るから手すりから手を離せない。
「わわわ…」
「名前、何やってんの?」
「あ、私、ちょっと練習してるから、滑ってきていいよ」
やっぱり、滑れなくなってる…!それはそうか、小さい頃に1、2回来たくらいじゃ。私は少し残念に思う。
「そう?じゃあ滑ってくるねー!行こ、侑士!」
そう言って彩ちゃんは、忍足君と手を繋いで滑っていった。結局2人で滑るならわざわざ4人で来なくても良かったじゃないか。でも、せっかく来たのだから、帰るまでにちょっとは滑れるようになろう。そしてスケートをする跡部君を見られるチャンスもきっともうないだろうから、遠くからそっと見て目に焼き付けちゃおう。
「滑れねぇのか?」
そんなことを思っていたら跡部君の声がした。跡部君も当然滑りに行ったと思っていたので、驚いて顔を上げる。すると跡部君はいつの間にか私の側に立っていた。
「えっ!あ、うん…」
「フッ…ほら、手」
そう言うと跡部君は自分の両手を仰向けにして私に差し出した。私は困惑の表情を跡部君に向ける。
「そんなとこにいても滑れるようになんねーぞ、ほら」
「う、うん…」
びっくりだ。あの跡部君が私の練習に付き合ってくれるのだろうか。私は手を手すりから片手ずつ離して、跡部君の手へ移す。お互い手袋をしているけど、跡部君の手を握ってしまうなんて。しかも両手で掴まっているので、お互い向き合う形になっている。
「動くぞ」
「あ、ちょっと…!」
跡部君がゆっくり後ろへ動き出す。少し転びそうになって、跡部君の手をぎゅうっと握った。
「あ、跡部君っ…離さないでね…!」
「あぁ」
私は転びそうになる恐怖でぎゅうぅぅっと跡部君の手を強く握る。跡部君もそれに応えて強く握り返してくれた。
跡部君のリードで、少しづつ滑るのにも慣れてきた。といってももの凄く遅いスピードでだけど。
「苗字はフィギュアスケートが好きなんだってな」
「え、あ、うん、好き…」
跡部君に話し掛けられる。跡部君、私の名前知ってたんだ。それに私がフィギュアスケートが好きってことも。跡部君と話せて嬉しいのだけど、今は転ばないことに集中していて下ばかり見ているので、跡部君の顔が見れない。それでなくても恥ずかしくて見れないのだけど。
「好きな選手とかいんのか?」
「あ、うん!うんとね…」
それからフィギュアスケート談義で少し盛り上がった。意外と跡部君もフィギュアスケートに詳しくて、こんなにフィギュアについて話せたのは初めてだ。私は嬉しくて、いつの間にか顔を上げて跡部君の顔を見ながら話していた。
「大分慣れてきたな」
「あ、ほんとだ」
話に夢中になっていて気付かなかったが、下を見なくても普通に滑れるようになっていた。
「ちょっとスピード上げるぞ」
「えっ!ちょ!跡部君っ!?…は、速い!速いよぉぉぉ!」
ちょっとスピードを上げると言った跡部君。でもそれは全然少しじゃなくて、大分速いスピードだった。いくら跡部君の手を掴んでいるとはいえ、このスピードは怖い。
「速い!こわい!跡部君止まってぇぇぇ!」
すると跡部君はザリッと氷を削る音を立てて急ブレーキを掛けて止まった。でも私は止まれなくて、勢い余って跡部君の胸へ飛び込んでしまった。
「うわっ」
転びたくないという思いだけで、跡部君の背中に腕を回して跡部君のコートをぎゅうっと掴む。すると跡部君も私をしっかり抱きとめて、ぎゅうっと抱き締めた。
「あ、跡部君…?」
これは一体どういう状況なのだろう。私が跡部君へ飛び込んだ勢いのせいでまた動いてしまった私達だったのだけど、それも完全に止まって数秒が経つ。でも私は抱き締められたままだった。
「やっと捕まえた」
「え?」
跡部君が少し腕の力を緩めたので、私は顔を上げる。すると優しい顔をした跡部君と目が合った。
「避けられてんのかと思ったぜ」
「え!私が跡部君を避ける?どうして?」
「そんなこと俺が聞きたいっての……ったく、なんで俺が忍足なんかに何度も頼まなきゃなんねーんだ…」
「…?」
跡部君がなんのことを言っているのかサッパリ分からなくて、頭にはてなマークが浮かぶ。私が跡部君を避けるなんてあり得ないのに……。
「苗字、俺と付き合え。さもなくばこの手を離してお前をここに置いて帰る」
「えぇ!?」
何か今とんでもないことを言われた。私は軽くパニックに陥る。跡部君と付き合わなければ、こんなスケートリンクの真ん中に置いていかれるの?今手を離されたら、滑って転んでしまうじゃないか。
「そ、それは…困る…」
「フッ、じゃあどうするんだ?」
「跡部君と…………付き、合う」
そう言うと跡部君は私をもう一度抱き締め、くるくるとその場で回った。
「わわっ」
「いい子だ。まぁ離してやるつもりは更々なかったがな。離さないで、って最初に言われたしな」
そう耳元で言われる。私はもう顔が真っ赤で、跡部君のなすがままだった。
それからまた私は跡部君と滑る練習をして、帰る頃には彩ちゃんと忍足君のように手を繋いで横に並んで一緒に滑れるまでになった。そうして滑っていたらすれ違った忍足君と彩ちゃんが「ラブラブすぎて見てるこっちが恥ずかしかったわ」「跡部君、今度なんか奢ってねー!」と言ってきた。その言葉に少し顔を赤くした跡部君。私の知らないところで何が繰り広げられていたのか、この氷上の王様に、今度じっくり聞いてみよう。
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