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MONSTER HUNTER*anecdote
老山龍の進行(中編)
風が止み、停滞する霧は全てを覆い隠す様に濃度を増した。砦の物見台でバサバサとはためいていたギルドの旗も、今は息を潜めている様だった。

濃霧の向こう、まだ姿の見えぬ老山龍の足踏みで、大地はズシンズシンと規則正しい振動を続ける。その一歩は大気さえも揺るがし、この場に居る四人のハンター達の間に得も言われぬ緊張感を走らせた。

アリスは口内の渇きを感じながら、ゴクリと息を呑む。愛剣を握る両手には嫌な汗が滲み出し、老山龍の接近に合わせて心臓の鼓動がどんどん速くなっていった。

――大丈夫、落ち着いて……。

冷静な頭はそう自分自身に言い聞かせた。だが、ドクドクと波打つ脈がやけに大きく聞こえて、動いてもいないのに息は乱れ始めたのだった。

――さっきまで何とも無かったのに、どうして急に?

アリスは、己の思考に逆らうように震え始めた体を睨んだ。
覚悟を決めてここまでやって来た。
恐れる事など無いはずだった。
それなのに今、体が怯えている。

焦りを覚えたアリスの脳裏に浮かんだのは、自分と同じ様に老山龍の恐怖に怯むジェナの姿だった。ベルザス達が言った通り、本当に彼女は怖じけづいて逃げ出したのだろうか?

いや、違う。そんなはずは無い!と、アリスは頭を横に振った。ジェナは、どんなモンスターにも負けない強い心を持ったハンターなのだ。自分とは違う。怯えたりなどしないはずだ。

そう。自分とは、違う。

「私は、まだ……」

戦わぬうちから震えて動けなくなるなんて、なんて情けない事だろう。自分は今までにそれなりの経験を積んで来たと思っていたが、やはりまだ老山龍と対峙するには早かったのだろうか。
アリスは、震えの止まらぬ体が憎くて堪らなかった。

やがて、濃霧の向こうにうっすらと老山龍のシルエットが浮かび上がる。それは、これまでに戦ってきたどんなモンスターよりも……いや、他の生物とは比べものになどならない程の巨大さであった。見上げても、その背中さえ捉える事ができない。まさに一つの山脈が鳴動しているかのようだった。

絶大にして圧倒的。その巨大な影を目の当たりにしたアリスは、大剣を構えたまま一歩、二歩と後ずさった。それは彼女の意思とは関係無く、強者に対して弱者が身を守ろうとする本能に準じた行動だった。

だがすぐに、彼女の背中がドンッと何かにぶつかって体は動きを止める。その衝撃で我にかえったアリスが振り返ると、そこに立っていた仲間の手が、そっと彼女の肩に添えられた。

「あ……ラビ……」

彼の暖かみのあるブラウンの瞳が心配そうに細められ、青ざめたアリスの顔を見つめていた。そして肩に添えた手に力が込められると、彼女の震える両手からスルリと柄が抜け、大剣がガシャンと音を立てて地に滑り落ちたのだった。

「どうしよう、私……」

「大丈夫。誰だって怖いさ」

ラビは足元に落ちたアリスの大剣を拾い上げ、彼女の手にしっかりと握らせる。そして砦方面の霧に包まれた岸壁上方を指差しながら、口を開いた。

「アリス、あそこに高台があるのが見えるか?」

彼が指差す方向に目を凝らすと、霧の中に通路を跨ぐようにして作られた石橋を確認することが出来た。高台というのは、おそらくあれの事であろう。アリスは小さく頷いて応えた。

「落ち着くまであそこに居るといい。後で俺も高台に移動するから、そこで落ち合おう」

「で、でもっ」

アリスの開いた口からは、どう心を奮い立たせても「戦える」という言葉が出てこなかった。体の震えを止められぬままここに居ても、足手まといどころか邪魔になるだけである。
アリスはとうとう、戦う事を断念した。

「ごめん。こんなはずじゃ、なかったのに……」

「気にしなくていいよ。ほら、行って?」

ラビにポンと背中を押され、アリスは手にした大剣を担ぎなおす。高台に向かう前にちらりとエースに目を向けたが、彼は双剣を構えたままじっと老山龍の影を見つめているだけだった。

「おやおや、お前も逃げるのか?あれだけいきがっていたのに、結局はジェナと同類だな!」

走り去るアリスの背中に、ベルザスの罵声が飛ぶ。その台詞に言い返す事も出来ず、悔しさと自己嫌悪でギリリと噛んだ彼女の唇から一筋の血が流れた。

「ハッハッハ!滑稽だ!達者なのは口だけで、所詮はこの程度か!」

「……いい加減に黙ってくれませんか。俺は集中したいんです」

ラビはベルザスを見もせずに言い放つと、ヘビィボウガンを組み広げる。その表情はひどく冷静で、先程とは打って変わって氷の様に冷たい瞳をしていた。

「おいオッサン。あんまりラビを怒らせんじゃねーぞ。後でどうなっても、俺は知らねーからな」

エースはそう言いながら、横目でちらりとベルザスを見遣った。

「ほう、そりゃ面白そうだな。こういう真面目なタイプほど、怒るとヤバいってか?」

「ま、そういう事だな。あと、俺みたいな短気なタイプにも気をつけた方がいいぜ?俺ってイライラしてる時に鬼人化すると、周りがよく見えなくなっちまうからよ」

クククと喉を鳴らしながら、エースはマスクの下で不敵な笑みを浮かべる。それはハッタリでも脅しでも無く、怒りの淵で僅かに踏み留まった理性からの忠告だった。

だがベルザスは彼等の発言に対してたじろぎも臆する事もせず、よりいっそうの敵意を抱いていた。隻眼から二人に放たれる憎悪の念は、もはや狂気的である。
ベルザスは不気味にニヤリと口元を歪ませ、それ以降言葉を発しなくなった。

……ゆっくり。そして破壊的な足どりで。老山龍は濃霧の中から姿を現す。

鼻先から天に向かって、すらっと伸びる一本角。薄く開いた口から吐き出される生暖かい吐息。堅固な深紅の鱗に覆われた巨体を揺すりながら、大木の幹の様な足で着実に砦の方へと歩みを進めている。
古くから天災として忌み嫌われてきた龍は、待ち受けていた三人のハンターの姿を見つけると、長い首をぐるりと回しながら吠え叫んだ。

グォォオオオオッ!!!

けたたましい咆哮に負けじと、絶え間無く鳴る銃撃音。
そして、勇ましい雄叫びをエリア中に響き渡らせながら、エースは二本の封龍剣を手に老山龍へ向かって走り出したのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


高台の上でアリスは独り、震える体を抱えていた。

頭では戦いに参加しなければいけないと分かっているのに、体が言う事を聞いてくれない。龍の咆哮と銃撃音、そしてエースの叫び声もしっかりとこの耳には届いていた。だが……。

「馬鹿っ……しっかりしなさいよ!あんな奴、平気でしょ!?」

アリスは握り締めた拳で、震える太股を何度も殴った。

「ラビもエースも、あんたの為について来てくれてるのよ!?ヨモギだって!」

ガツン!と強く振り下ろした拳すらもブルブルと震えて、アリスは悔しさに顔を歪める。

「どうしてよ……。お願いだから、ちゃんと動いて!何の為にここまで来たのよ!」

どうすれば体の震えがおさまるのか、アリスにはもう分からなかった。心を強く持とうとしても、一度恐怖心を植え付けられてしまった体は、制御が困難になってしまうものだ。

だが、アリスは決して諦めるまいと涙を堪え、顔を上げる。そして四つん這いの姿勢で高台から身を乗り出し、霧の立ち込める通路を見つめた。戦えなくても、せめて老山龍の姿と仲間達の安否だけは、この眼でしっかりと見ておかなくてはならないと思ったのだ。

「本当に、なんて大きさなの。あんな生き物が存在するなんて、信じられない」

全貌が明らかになった老山龍の体躯を見て、改めてアリスは息を呑んだ。何度も老山龍に関する書物を読んで、その姿をイメージしてきたが……はっきり言ってそれは遥かに想像を越えていた。

全長60〜70メートルはあろう老山龍に比べたら人間なんて米粒程、いやそれ以下かもしれない。そんな自分達が剣や槍を振るったところで意味があるのだろうかと、疑問さえ抱いてしまう。

しかし、どんなに圧倒的な差があろうとも立ち向かって行かなくてはならない。それが、モンスターハンターという道を選んだ者の宿命。砦を突破されれば街は壊滅し、多くの人の命が奪われる。これは負けてはいけない戦いなのだ。

その責任を考えれば、余計にゾクリと背筋が凍える。しまった、これでは駄目だと、アリスは慌ててその考えを引っ込めた。

瞳を閉じ、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。「大丈夫だ」と自分に言い聞かせるのも止めて、出来る限り何も考え無いように努めた。無心になる事が、最善である気がしたのだった。

「アリス?」

突然、穏やかなトーンで名を呼ばれて、アリスはパチッと眼を見開いた。声のした方を振り返ると、地上と高台を繋ぐ梯子を昇って来たラビが、すぐ側に腰を下ろすところであった。

「あ、ラビ……」

「ラオの左肩を破壊して来たよ。次は背中を狙う」

ラビはそう話をしながら、納銃していたヘビィボウガンを再度組み直す。スムーズに弾を込めていく彼の手つきを眺めながら、アリスは何か言わなくてはと口を開いた。

「ラビ、あの、私……」

戦えない事を謝りたい気持ちと、無事で良かったと伝えたい気持ち。それ以外にも様々な思いが入り乱れて、上手く言葉にならない。
困惑した表情を浮かべた彼女の心情を察したのか、ラビは「何も言わなくていい」と言うように首を横に振っていた。

「そうだ。なぁアリス、撃ってみないか?」

「え……?」

突拍子も無い事を言い出した彼に驚き、アリスは目を丸くする。だがラビはそんな彼女の返答を待たずに、ヘビィボウガンを抱えたまま「おいで」と手招きしていた。

「ちょ、ちょっと待って。無理だよ!私ボウガンなんて撃った事ない!」

「大丈夫。教えてやるから」

ほら早くと腕を掴まれて、アリスは戸惑いながらも彼から受け取ったヘビィボウガンを見様見真似で構えてみる。それはなんとも覚束ない格好であったが、ラビは満足げに頷いていた。

「これ、いつものボウガンじゃないよね?」

今更ながらにアリスは気付いたが、ラビに受け渡されたヘビィボウガンは彼がいつも使用している老山龍砲・皇ではなかった。
ヘビィボウガンにしては軽量な部類に入る細身の銃身。全体がなめらかな漆黒の毛皮で包まれ、銃口には艶のある黒毛がフサリと垂れ下がっている。これらは全て迅竜ナルガクルガの素材であり、樹海近くにある彼の故郷ならではの武器であった。

「ああ、これは俺が昔使っていたヒドゥンスナイパーっていうボウガンだよ。貫通弾に適した構造だから、体内に弱点を抱えたラオにはこっちの方が都合が良いんだ」

「そ、そうなんだ。で、どうすればいいの?」

「引き金はココ。それから左手でしっかりとこっちを持って、スコープを覗いてみてくれ」

アリスは言われるがままに引き金に指を掛け、スコープを覗き込んだ。透き通ったレンズの向こう側に、ゆっくりとこちらに近付いて来る老山龍の姿がある。

よく見ると龍は先程とは違って角が折れ、左肩の甲殻が剥がれた痛々しい姿になっていた。ハンター達によって、老山龍はこの短時間で目に見えるダメージを与えられていたのだ。

「凄い……。あんな大きな龍にも、傷を負わせる事が出来るんだね」

「それだけじゃないさ。皆で力を合わせれば、倒す事だって出来る。さあ、背中にある大きな棘が見えたらそこを狙って」

「う、うん」

アリスはスコープの照準を調整しながら、言われた通りに老山龍の背中に狙いを定める。こんなにゆっくり動いている相手を狙撃するのも一苦労なのに、よくもラビは素早く走り回るモンスター達を仕留めているものだとアリスは感心せざるを得なかった。

「よし、撃って」と彼が出した合図と共に、アリスは引き金を引く。ドォン!と勢いよく飛び出したボウガンの弾は一直線に老山龍の背中に向かって飛んで行き、固い甲殻に着弾した後、その体内の奥深くまでを貫いた。

「そうそう!上手いじゃないか。その調子で奴の歩みに合わせて少しずつ照準をずらしながら、どんどん撃つんだ」

「ん、分かった」

微調整と発砲を繰り返しながら、慎重に背中を狙い撃つ。弾が切れそうになったらラビが横から手を伸ばして装填してくれるおかげで、アリスは狙撃だけに集中する事が出来たのだった。
グァァアアッ!!!

アリス達が銃撃を何度も繰り返しているうちに、突如大きな上半身をのけ反って老山龍が悲鳴を上げる。老山龍の背甲がとうとう耐え切れなくなり、砕け散ったのだった。

「やった……。ラビ!やった!破壊出来た!」

喜び勇んでスコープから顔を離したアリスが振り返ると、ラビはニコリと微笑んでいた。

「なーに遊んでんだよお前ら。射的なら、ドンドルマに帰ってからやれよな」

と、呆れた声と共にガシャガシャと梯子を軋ませながら、エースが高台に登って来た。ずっと老山龍の腹の下に潜り込んで攻撃を続けていたせいで、彼の服は返り血を浴びて赤く染まっている。それを見たアリスは、彼が大怪我でもしてしまったのかと驚いていた。

「エース!無事……なんだよね?」

「は?当たり前だろ。俺がヘマなんかするかよ」

「ごめんね、私、役に立たなくて…………。あれ?」

先程とは違って、今度はすんなりと言葉が出て来る。そこでアリスは漸く、体の震えがいつの間にか止まっている事に気付いたのだ。
夢中でボウガンを撃っていたからだろうか。不思議と老山龍に対する恐怖心も、和らいでいるような気がした。

エースは斬れ味の落ちた双剣に砥石をあてながら、ちらりと二人を盗み見る。笑顔でヘビィボウガンをラビへと返すアリスの様子見る限り、どうやらもう心配は要らなさそうだ。わざわざ高台に登って来た二つの理由のうち一つは、先に到着した彼によって解消されたらしい。

「……別に、構わねぇよ。だって最初っから期待してねーもん」

「う、酷い……」

「ま、俺がちょちょいと片付けてやるから任せとけって。見てな、今から奴の背中に素敵なプレゼントを置いて来てやるぜ」

エースは双剣を手早く研ぎ終えると、得意げにフンと鼻を鳴らした。そして肩に引っ掛けていたロープを掴み、梯子の下からある物を引き上げる。
よいしょと彼が引っ張り上げたそれは、ギルドの紋章が入った大きな樽に爆薬を詰め込んだ、対巨龍用爆弾であった。それを見た瞬間、エースがこれから何をしようとしているのかに気付き、アリスは慌てて声を荒げる。

「エース、それをラオの背中に置く気!?駄目っ、危ないよ!」

「うるせぇなー。俺に任せておけって言ってるだろ。何度も言わせんな」

エースは眉間に皺を寄せてアリスを凄むと、大きな樽爆弾を両腕に抱えて橋の中央へ向かって行ってしまう。
そしてアリスが引き止める間もなく、彼は眼下を歩く老山龍のタイミングに合わせてダンッと地を蹴り飛び降りてしまったのだった。

「エース!!」

思わずアリスは橋に駆け寄り、老山龍の背中を見下ろした。だが、龍が丁度橋の真下を通過しているせいで、彼の姿が確認出来ない。
祈るような気持ちで橋の反対側に回って地上を見下ろすと、老山龍の頭、首、肩に続いて背中が現れていく。そしてその背の上に、対巨龍用爆弾を抱えたエースの姿を見つける事が出来たのだった。

「よかった、無事みたい。けど、あんな事して大丈夫なの?」

「ああ、心配要らないよ。イャンクックの背中に乗るより安全さ」

「……それ、本当?」

まあ見ててとラビに宥められ、アリスはエースの後ろ姿を見守った。
彼は老山龍の背中に手際よく爆弾を固定し、懐から取り出した火打ち石を擦り合わせて長い導火線に火を灯す。火はジリジリと音をたてながら蛇の様にうねる一本の線を焦がしつつ、爆弾へ向かって突き進んていった。

エースは順調に時限装置が可動している事を確認した後、大胆にも老山龍の背中から飛び降りたのだった。

「おおっと」

着地時にバランスを崩して少々よろめいたが、エースは無事に帰還を果たした。そして直後にドォォン!!と轟く爆発音。老山龍の背中からはもくもくと黒煙が上がり、龍はまたも悲鳴を上げながら体をびくつかせたのだった。

「本当にやってのけちゃった……」

一連の出来事を見つめていたアリスの瞳に、光が戻った。自らの手で背甲を破壊した事と、エースが軽々とやってのけた置き土産に巨大な龍が苦しみ悶えた事。それらは彼女が抱いていた龍に対する恐れを払拭し、失いかけた自信や勇気を思い出させたのであった。

「アリス、行こう」

差し出されたラビの手を取り、高台から共に飛び降りたアリスにはもう、一抹の不安など無い。
そして繋いだ手から伝わる温もりを感じて、アリスは一つの答えを見つけた気がした。

ジェナが何故、戦場から逃げ出してしまったのか。
探し求めていたその答えを。

その理由に気付いた時、アリスは心から仲間達に感謝すると共に、ジェナを想って涙を流さずにはいられなかったのだった。

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