MONSTER HUNTER*anecdote
浮岳龍
「アリス!!」
「アリスちゃんっ!!」
己の名を呼ぶラビとディランの声も、もはや彼女の耳には届かない。目の前に広がる絶望的な光景に、アリスの頭の中は真っ白になっていた。
ヒュオオオオと風を切る音をたてながら、ヤマツカミはその体内にありとあらゆる物を吸い込み始める。砕けた石畳の破片、砂埃、枯れ草、果ては自身が吐き出した大雷光虫まで。何もかもを、巨大な腹の中に納めていった。
「いやっ……!」
アリスは地に突き刺した大剣にしがみつき、なんとか吸い込まれぬ様にと堪える。三股に分かれた尻尾状のレウスSコイルが風に揺られてなびき、カシャカシャと音を立てていた。
ヤマツカミの吸引力は凄まじく、先日遭遇したクシャルダオラの風圧の比では無い。アリスを剣から引き剥がそうと躍起になっているのか、大きな口を開けたまま執拗に吸い込み続けた。
柄を握り続ける手は軽い痺れを引き起こし、元々の疲労と重なって今にも離れてしまいそうだ。それでもこんな所で死ぬわけにはいかないと、アリスは必死に耐え続けた。
だが……。
「もう、だめっ……」
力が入らなくなった両手は、無情にも大剣の柄からするりと離れる。
ふわりと浮く身体。
風の中に飲み込まれていく感覚に、ゾクリと肌が震え上がった。
“死”への誘いの刹那、脳裏に過ぎる様々な思い。その中に、何があろうとも諦めなかった『あの人』の姿が浮かんだ。
――ジェナ……!あなたに会うまでは、絶対に死ねない!
アリスは恐怖に閉じていた眼を見開く。そして、自身に向かって真っ直ぐに伸ばされた腕を見つけると、すぐさまそれに向かって手を伸ばした。
「ラビ!!」
彼女が伸ばした手を、ラビはその大きな手でしっかりと掴み取っていた。
「間に合った……」
彼はヤマツカミに吸い込まれぬよう、右手でアリスの手を、左手で彼女の剣の柄をぐっと握り締める。腕一本で繋がっているだけで、未だアリスの体は宙に浮いたまま。
それでも一先ずは助かったと、ラビはほっと息をついて彼女に笑いかけた。
「本当に、君と居ると苦労が絶えないな」
「うう……ごめん」
「いいから、しっかり掴まって」
アリスは頷くと、残された力を振り絞り、ラビの手をぎゅっと握り返した。
――さて、間に合ったものの、ここからどうするかな。
ヤマツカミはアリスを吸い込み損ねた事に腹を立てたのか、さらに力を強めて吸引し始めていた。アリスの身体を引き寄せようにも、片腕だけでは無理がある。むしろ、このままでは自分もろとも飲み込まれてしまいそうだ。
この上なく悪い状況に、ラビは眉をひそめた。
「くっ……」
ギルドガードスーツの裾が、バサバサと風にはためく。アリスと繋いだ腕が引きちぎられそうに痛んだが、離す訳にはいかないのだ。
背中に担いだヘビィボウガンが良い重石代わりになっているよな……と、ラビは苦笑いするしかなかった。
「ラビ君……アリスちゃん……!」
ヤマツカミの吸い込み範囲から離れた所で、事の一部始終をディランは見ていた。
今、身動き出来なくなってしまった二人を助けられるのは、自分しかいない。ディランは意を決して、螺旋階段の淵に駆け寄った。
「この野郎っ!止めろ!止めるんだ!」
足元に転がっていた石ころ。ポーチの中に入れていた、空き瓶やペイントボールに投げナイフ。ディランはとにかく手当たり次第に、身の回りの物を投げつけてやる。
当然の事ながら、その程度の攻撃ではヤマツカミはびくともしない。しかし、非戦闘員である彼にはそれしか手段がなかったのだ。
「くそっ!どうすれば……!」
二人を調査に誘い、同行を頼んだのは自分だ。それ故に、アリス達を危険に晒してしまった責任感と罪悪感で、ディランの胸は張り裂けそうだった。
無我夢中で投げた。
持っているものを、何もかも投げつけてやった。
……すると直後に、奇跡が起きたのである。
ズドォォオオンッ!!!
轟音と共にぐらりと塔全体が揺れ、ヤマツカミの姿が消えた。……いや、古塔の底へ急速に落下したのだ。
それにより、張り詰めていた糸がぷつりと切れたかのようにアリスとラビは吸引から解き放たれる。勢い余ってラビはその場に尻餅をつき、彼の腕に引かれるがままアリスはラビの上に倒れ込んだ。
「た、助かった……」
「何が起きたんだ?」
二人は四つん這いのまま這うようにして階段の淵に近づくと、そっと下方を覗き込んでみた。すると、塔の底でヤマツカミがぐったりと伸びているではないか。
死んでいるのかと思いきや、触手やヒレがまだうねうねと動いている。どうやら、龍は気絶しているだけのようだ。
「これは、一体……」
確かディランが何かを投げていたはずだと、ラビは彼の方に目を遣った。
ディランは何が起きたのか理解できないまま、呆然と立ち尽くしている。ヤマツカミの異変を引き起こした張本人である彼が、誰よりも驚いていたのだ。そんな彼の手に握られていたのは、モンスターを生け捕りにする際に使用する、捕獲用麻酔玉だった。
「お、驚いたな。ヤマツカミは麻酔の成分に弱いのか」
「そのようですね……。ディランさん、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いやいや、偶然だよ!運が味方してくれたのさ」
丁重に頭を下げるラビに、ディランは照れ臭そうに笑っていた。
「アリス、大丈夫か?」
ラビは、隣でへたりと座り込んでいるアリスの顔を覗き込む。心労からか、少しばかり彼女の顔色は悪かった。
「怖かった……。ディランさん、ラビ、助けてくれてありがとう」
「無事で何よりだ。立てるか?」
アリスは一つ頷くと、差し出されたラビの手を借りながら立ち上がる。まだ少し膝が震えるが、歩く分には問題無さそうだった。
地に刺したままの大剣を、アリスが担ぎ直したその時。塔の底からヤマツカミの唸り声が上がり、螺旋階段の中にこだました。落下したショックから立ち直り始めたのだろう。龍は再びふわりと浮遊し、ハンター達の元へ舞い戻らんと高度を上げていく。
「復活したな。アリスちゃん、ラビ君、早く撤退してしまおう」
ディランの言葉にもちろん賛成だと二人は頷き、螺旋階段の出口まで急いだ。
一度も後ろを振り返る事無く通路を抜け、外周を通り、雷光虫の舞う浸水した小部屋をひた走る。長い橋を渡って古塔を後にした三人は、滝の近くに設置されたベースキャンプまで無事に戻って来る事が出来たのだった。
「ハァ、ハァ、ここまで来ればもう安全だ」
ディランは肩で息をしながら、どさりとテント内のベッドに身体を投げ出した。こんなにも全力で長距離を走ったのは久しぶりである。身体が小刻みに痙攣を起こす上に、バクバクと鳴る心臓の鼓動は暫くは収まりそうにない。「歳には勝てないなぁ」と、ディランは自嘲気味に笑った。
「ディランさん、調査はどうするの?最上階も調べたかったんだよね?」
「うーん……調査はしたいが、今日はもう帰ろう。あの調子じゃ最上階へは行けないよ。また今度、隊を組んで調べに行くさ」
ディランはよいしょと掛け声をかけて上半身を起こすと、愛用のスケッチブックに筆を走らせ始める。今日見たヤマツカミの姿を、忘れぬうちに描いておこうと思ったのだ。
「ヤマツカミの弱点が判明した事が何よりの収穫だよ!これは街に帰ったら報告書に纏めないと」
興奮気味にスケッチブックの上を走る筆は、あっという間に見事なイラストを完成させていく。ディランの表情は生き生きと輝いており、子供のように無邪気な彼を見てアリスとラビは笑い合った。
「ふふっ、体を張った甲斐があったな。アリス?」
「ヤマツカミなんて、もう二度と会いたくないけどね」
あの大きく開いた不気味な口を思い返すだけで、背筋が凍りつく。もしもあの時、ラビが手を差し延べてくれていなければ……。
想像するのも恐ろしくなって、アリスはぶんぶんと頭を横に振った。
パタン。一通り書き終えたスケッチブックを閉じ、ディランはベッドから立ち上がる。そして真剣な眼差しで、アリス達を交互に見つめた。
「今日は調査に同行してくれてありがとう。危険な目に合わせてしまって、すまなかった。だが、君達がとても強く、勇敢なハンターだと分かったよ。後日、王立古生物書士隊より感謝状を送らせてもらいたい」
「感謝状!?」
「そんな、俺達は何も……」
慌てふためく二人とは対照的に、ディランはニコニコと微笑んでいる。
耳がくすぐったくなるほど率直な賞賛の言葉に、今度は二人が照れ臭くなってしまったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ドンドルマへ帰ってきたアリス達は、書士隊のディランと再会を約束して別れる事となった。
さすがに心身共に疲れ果ててしまったアリスは、マイハウスに帰るなり寝床に伏せ、そのまま深い眠りについていた。
ラビは夜更けまで竜姫に連れて行かれたエースとヨモギの帰りを待っていたが、その日彼らは街には戻って来なかったのだった。
そして、翌日。
ガラァン!ガラァン!
ガラァン!ガラァン!
非常事態を知らせる高台の鐘が打ち鳴らされ、ドンドルマ中に響き渡った。その音は脅える住民達を一斉に家に篭らせ、街の警備にあたるガーディアンズを各所に駆り出し、そして在住する全てのハンター達の本能を刺激した。
アリスもまた、ただならぬ気配を感じ取って反射的にベッドから飛び降りていた。寝室にはラビやエース、ヨモギの姿は無い。急いで防具を身につけ、壁に立てかけていた大剣ブラッシュデイムを掴み取り、その背に担ぐ。
「アリス!起きているか!?」
コンコンと扉がノックされ、向こう側からラビの声が聞こえた。アリスが扉を開くと、しっかりと狩猟の準備を済ませたラビがそこに立っていたのだった。
「ラビ、この鐘の音は……」
アリスの心に、一抹の期待と不安がよぎる。ドンドルマの警鐘が鳴らされたという事は、この街がモンスターの襲撃の危機に曝されているという事だ。それも、ただのモンスターではない。超危険指定とされたモンスター・古龍にだ。
「君が首を長くして待っていた龍が、お出ましだそうだ」
激しく鐘が鳴り響く中、ラビの唇が龍の名を告げる。
『ラオシャンロン』
その名を聞いた瞬間。アリスの身体を流れる血がざわめき立ち、軽い眩暈を引き起こした。
それでも、心の奥の深い所は歓喜に奮え。瞼の裏には、老山龍討伐に向かったあの日のジェナの後ろ姿が、鮮明に映し出されていた。
「……ラビ。前にジェナの話をした時の約束、覚えてる?」
「ああ。アリスがジェナさんの様におかしくなってしまったら、だろ?……押さえ付けてでも元に戻してやるから、心配するな。君は、君自身の目的を果たせばいい」
ラビの優しさ、ジェナへの思い、老山龍の恐怖……。様々な感情が入り乱れて涙が溢れそうになるのを堪えながら、アリスは「ありがとう」と、一言呟いた。
「行こう、老山龍討伐へ」
バタンと閉まったマイハウスのドア。住民が避難し人気の無くなった街の中を、二人のハンターは大老殿へ向かって走り出していた。
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