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動物農場
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 動物農場はシニカルな視点から共産主義を痛烈に批判した物語である。このことは動物達が人間に対する革命を成功させた後、一般的に考えられる民主主義である多数政党制のもと行われる議会制民主主義ではなく、共産主義の言う民主主義であるプロレタリア独裁のもと行われる人民民主主義に移行したことからも伺える。
 まず、動物農場がいかにして共産主義に転向したかを追いかけてみる。
革命が成功し、人間の支配から脱却した動物達は文字通り自由と平等を手に入れた。そして他より知能の勝る豚がリーダーになり、また動物主義思想の体現で行為規範としての法である「七戒」を作成した。この時豚たちのコントロール様式は「説得」である。啓蒙とも言えるだろう。さらに各々の動物は各々の能力に応じて働いていた。これは理想的な社会主義の様相であり、また共産主義の初期段階でもある。
 次に、共同体の方針を決定する「総会」(政府と同義)が出現する。出席者が常に豚であることから、実質動物農場は豚が支配するようになる。スノーボールとナポレオンの二派に分かれて議論いたことから伺えるように、議会制民主主義の様相を示しているように見えるが、豚以外は出席できない会議ゆえあくまで限られた者達のみによる閉鎖的な政治システムである。さらに木から落ちたりんごを豚たちが独占し、支配者による富の独占が始まった。この時明らかに無理がある言い分を話術の巧みな者が他の動物を丸め込んで納得させてしまう。ここから豚たちのコントロール様式に「操縦」が加わったことが分かる。
 かつての支配者との戦争に勝利し(結果的にこの事件がスノーボール・ナポレオン両者の対立を深めることになった)、やがて風車小屋についてスノーボールとナポレオンが対立するようになる。この時羊と犬が完全にナポレオンの手下となった。犬達を使いナポレオンは「物理的な力の行使」でスノーボールを追放し、ナポレオンの独裁政治が始まった。ここで、動物農場の独裁制共産主義が完成したと言える。それからナポレオンの支配はボクサーの「ナポレオンは常に正しい」というスローガンも手伝って権威へと昇華した。しかし皮肉にも他の動物達を支配するその姿は、かつての支配者人間となんら変わらず、ただ権威者の名前がジョーンズからナポレオンに変わっただけになってしまった。
 以上が、動物農場が共産主義化した主な経緯である。
 それではナポレオンは何を武器にしてライバルを排除し独裁体制を敷くほどの力を得ることができたのだろうか。
 まず挙げられるのはやはり忠実な犬という武力の保持だろう。スノーボールとの議論において、弁舌により票を集めるのが得意ではなかったナポレオンは、会議の合間に「説得」と「操縦」、時には「取引」を駆使して票を集めていた。しかし犬という物理的な力を手に入れたことによって、そのような面倒をかけずとも他者を簡単に支配できるようになったのである。しかしこれはあまり安定的なコントロール様式ではない。物理的に抵抗を抑えることはできても、「説得」や「操縦」のように他者に納得のいく答えを提供することはできないからである。当然、ナポレオンに対して異議を唱える者も出てくる。前述の通りあまり話術が巧みではないナポレオンは、そこで知能の低い羊たちにシュプヒレコールをさせ、問答無用と云わんばかりに会議を打ち切らせた。羊がもし少数ならばさほど問題はないが、如何せん数が多く異議を唱える者の声をかき消してしまうのだ。これはスノーボールの政策であったが、七戒を教える際に知能の低い者に向け七戒を簡略化してキーワードとして覚えさせたが、結果的にこれは羊たちに七戒の意味を考えさせることを止めさせ思考停止をもたらし、羊たちはただ数が多いだけの愚民となったのだ。ナポレオンはここに眼をつけ利用したのだろう。羊たちもまた犬と同じく「物理的な力の行使」に当たる。さらに話術の巧みな部下を一人置き、彼が他の動物たち(=民衆)をその話術で懐柔し、ナポレオンに都合の良いような情報操作を行った。強力な物理的な力の行使でほぼ民衆の抗議の機会を奪い、動物達の内にたまっていく疑念を話術の巧みな部下を使って解きほぐすのである。
 上記の武器を活用し動物達を支配するにあたり、ナポレオンにとって不利な状況が現れた時の彼の行動は大きく二つに分類できる。
 第一にスノーボールという仮想敵を作り、農場において悪い影響を及ぼす事象は全て彼が悪いとすることである。これによりナポレオンは自らの失敗をスノーボールのせいにして隠すことができた。例えば、スノーボールと通謀していたと自白した動物達が処刑された事件は、実の所は共産主義の鉄の鎖の結束の中で邪魔になる者を強制的に嘘の自白をさせ処分したのであり、ナポレオンはスノーボールを隠れ蓑に使ったのである。さらに仮想敵を作ることは農場内の団結を促す効果もある。これにはスノーボールだけでなくジョーンズ氏の名も使われた。第二に巧みに情報操作を行うことが挙げられる。ナポレオンとその部下は七戒を自分の都合の良いように秘密裏に改ざんし、ナポレオンの行動を正当化しようとした。七戒の他にもスノーボールの行動や外部情報をナポレオンの都合の良いように解釈し直し、スクィーラーが広めるなど様々な情報操作を行った。これによりナポレオンは不利な情報を隠蔽し、七戒を実質骨抜きにしたのである。
 ナポレオンの手腕は見事と言わざるを得ないが、なぜここまでナポレオンの思い通りにことが運んでしまったのだろうか。
 まず、豚たちにまともに反論出来る者がいなかった点が要因の一つとして挙げられる。これが閉鎖的な政治システムを作ってしまう一番の要因ではないだろうか。しかし、動物農場の特性上これは仕方のないことなのかもしれない。豚に匹敵する知能を持つ動物がもう一種でもいれば、状況は多少良くなっていたに違いない。次におかしいと思っても真正面から異議を唱える者があまりに少ない点である。七戒が少しずつ改ざんされている時も、疑問に思いつつもスクィーラーに丸め込まれ、動物たちは自分の記憶違いで納得してしまっていた。これは政府に対する監視が不十分である。ボクサーのように指導者を盲目的に信じることは簡単だが、その指導者が一体何をするかわからない以上、それは最も危険な行為であることを忘れてはならない。自分自身を守るために、国家を監視し不正を行わせないようにすることが必要なのである。それに例えベンジャミン爺さんのように豚たちの不正に気がついていたとしても、自ら声を上げなくては意味がない。彼の場合、声を上げた時にはもう手遅れでありボクサーは屠殺場に送られてしまった。
 前述したことは往々にして現在の日本にも当てはまる。民衆は政治に関する関心が低く、それどころかもう誰がやっても駄目に決まっていると諦めている者が数多い。その意識は選挙においての投票率の低さに如実に表れている。民衆が立ち上がり革命を起こし支配から脱却するという民主主義の根底にある出来事をほとんど経験していない日本人は、そもそも「国家を監視する」という意識に乏しいのだろう。しかしその結果が現在の腐敗した議会制民主主義である。国民には選挙の時にだけ良い顔をして見せ、肝心の国会で選挙時に散々アピールしていたマニュフェストを実行した政治家が果たしてどれだけいるだろうか。さらにはマスメディアによる情報操作は現在進行形で行われており、しかし多くの国民はそのことに気づかないのである。最近の例で言えば児童ポルノ規制法案に関することが挙げられる。児童ポルノそのものは規制すべきであると私も思うが、自民党の言い分は少々過剰規制ではないだろうか。しかしマスコミはこの表現の自由を過剰に制限してしまう危険性のある法案が議論されていることをあまり報道しないのである。内容が内容で、報道しにくいのはわかるのだけれども如何なものか。このまま国民が関心を持たず政治腐敗が進めば、動物農場ほど凄惨たる有様にはならないと信じたいが、最終的にツケを払わせられるのは国民なのだ。実害が身にしみてわかるようになってからではもう遅い。
 マルクスは民主主義で政治の進化は止まると言うが、そんなことはない。政治は腐敗するものである。だからこそ民衆が政治を監視することが重要なのである。


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あきゅろす。
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