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転生少年-1

 先に目覚めていたらしい亜廉に揺り起こされ、眼を開いてみると、カヌーは、再び地下水路を泳いでいた。一通り辺りを見回した後、恐る恐る尋ねてみる。

「……戻ってきたの?」

 白髪の少年は小さく笑った。

「違いますよ。また別の水路に入ったんです」
「別の?」
「ここ、教団の水路は、古い時代の上水道を利用してるので、同じような水路が至る所にあるんですよ。十数年前に、新しい上水管が整備されてから、ここの所有は、国から教団に移りましたが、田畑に引いたりして、農業等に利用している市民も居ます。蛇口からは出ませんけどね」

 それからいくらも経たず、カヌーは、再び、薄暗いトンネルを抜け出した。次に通じたのは、両岸を、針葉樹の群れが鬱蒼と覆う、小川だった。次々移り変わる景色に、デニスは目をしばたたかせる。傍らで、亜廉が、ようやくLaviを叩き起こすのに成功し、仏頂面のLaviの小言に、気のない相槌を打っていた。
 やがて、港に到着し、カヌーは鈍い音を立てて停船した。港はコンクリートで無理矢理足場を固めた人工的なもので、辺りにはやはり針葉樹が立ち並んでいる。尖った葉が曇天の虚弱な陽光を気怠く跳ね返し、それが心なしか、恐怖心を掻き立てる。針の間から漏れて見える森の奥地が、神秘的で閉鎖的に息を潜めている。
 樹が、人を拒んでる……デニスはひとりごちに呟いた。何物も寄せつけぬ、孤高の針葉樹林に、場違いのようにコンクリートが捩込んでいる。樹は、コンクリートという異種から、一歩身を引いていた。

 やがて閉鎖的な森の中から、運転手の男と同じ白いコートの集団が群がって出てきた。皆揃って、しかし無表情でLaviと亜廉に敬礼する。亜廉は一礼返し、「ごくろーさん」Laviは一声掛けた。デニスはどちらをするでもなく、黙って彼らの人相を観察した。
 全員が男性であるという以外には、年齢も人種も様々だ。ブルーアイがいればネグロイドもいる。若者もいれば老人もいる。デニスをちらちら見遣るする者もいればつんとして気にも留めない者もいる。カヌーの四人がコンクリートに降りると、すかさず白いコートが数人、カヌーの引き上げ作業を始めた。ガラガラと碇が鳴る。潮の香りが遠ざかった。

「現場はどっちですか?」

 亜廉が物腰柔らかく尋ねた。

「馬車を用意していますが、歩いても大した時間はかかりません。いかがしますか?」
「歩いて行きましょう。良いですよね、Lavi?」
「良いさ、別に。案内頼む、探索部隊(ファインダー)」

 亜廉はデニスの了承は問わなかった。デニスも無言で彼らの後をついて歩いた。白いコートの幾人かが、デニスら三人を囲むように陣を組んだ。監視ともとれるその護衛団子に、途端、嫌気も寒気も湧き起こった。上司を取り囲むのか? この組織の、感覚としての仕来たりが分からない。寒々とした歴史があるのだろうか。思うだけで実を知らない。

 一団の両隣を針葉樹林が挟み込む。窒息しそうな圧迫感のままにしばらく歩くと、道は小綺麗に整備された石造りの道路に繋がった。そこからまたしばらく歩くと、唐突に木々が晴れ、視界が開けた。
 石造りの道路を挟み込むように、一列に民家が並んでいた。塗炭の屋根に灰色の塗り壁。屋根の色は各々ながら、壁は皆一律して、曇天に同じ灰色である。形にも構造にも大した違いがない。一棟坪くらいか。家舎と家舎の間が等間隔過ぎて、まるで大地震の被災地に出来た借家のようだ。
 ここが『日本街』か?
 東アジアの移住民族たちの街か?
 視線を少し上げると、遥かに教会が見えた。上品な薄橙の屋根の下、大鐘と時計台が具えられている。遠目に見ても錆びている。また別の方角には、同じ窓がいくつも並んだビルディングがあった。集合住宅か何かだろうか。その隣に、学舎とおぼしき3階建てが建っている。長屋の多い民家の群の中で、その三つだけが調子外れに突き出ていた。

「この地は元々、我が国の原住民達の小さな町だったんですが、突然町の住民達が次々に消えていく現象が起こり、人が絶えました。そこに日本民族が渡来し、原住民達の残した家をそのまま利用して生活していたようです」
「日本街の前の住民も消えた?」

 探索部隊と呼ばれた白いコートが淡々と説明した。Laviが素っ頓狂な声をあげた。

「ええ。あくまでも記録によると、恐らくは日本民族達と同じ消え方をしたのではと」
「ああ、それでこんな風なんだ」

 小さな納得がデニスの口をついて出た。探索部隊とエクソシストが一斉にデニスを見た。

「こんな風?」

 亜廉が首を傾げた。

「え、あ、ごめんなさい。口を挟むつもりじゃ」
「こんな風って何ですか、デニス?」
「日本は東アジアの国なんでしょ? それにしては彼らの国の空気が感じられないから」
「どういうこと?」

 探索部隊の、コートのみならず白い視線が痛い。デニスは視線に突き刺され、一歩尻込みしてしまう。
 何て言えば良いんだ。デニスは戸惑う。異国に一民族が集合したなら、彼らの自国の文化が尊重されるのが普通ではないか。それを上手く言葉に出来ない。冷や汗が流れたデニスの頭に、ぽん、と軽快に大きな右手が置かれた。

「中華街を見ても分かる通り、一つ所に同じ民族が集まると、そこには当然のように異文化ができる。民族が元々居た国の文化が。でもこの街にはそういう文化が見受けられない」

 見上げると、Laviが探索部隊に言い聞かせるように語っていた。デニスは慌ててその後に続いた。

「そ、そう。アジアでしょ? この国の文化とは違う。中華街のような独特の文化があってもおかしくはない、と思うんだ。建築様式や装飾や、街を一から作ったなら。それなのに、これじゃ丸っきりこの国……イギリス、で良いんだよね?」

 ボートの上で教わった話では、この国はデニスが元いた世界の、元いた国と同じ名であるようだ。Laviを見遣ると、小さく頷いた。

「丸っきりイギリスの模倣だ。けれど元からあった建物を利用したなら説明がつく」

 亜廉が辺りを見渡し小さく頷いた。白の探索部隊らは両目を丸めてデニスを見つめる。デニスは徐々に視線に慣れてきた自分を感じる。

「……それだけ。大したことじゃないんだ。足を止めてしまってごめんなさい」

 沈黙が続いた。しばらくしてから、探索部隊は気を取り直したように再び歩を進め始めた。後からLaviと亜廉がつき、またデニスが追いかける。ちらりとLaviに目を遣ると、変わらず無表情のまま先頭の探索部隊の先をまっすぐ見つめていた。デニスはそこに無言の拒絶を感じ、すぐに目を逸らした。礼を言おう。機会が出来たら。

 それからしばらくは誰もが無言だった。年配の探索部隊が「此処です」と始めて声を出し、着いた先は街の入り口で見た集合住宅とおぼしき建物だった。赤茶の屋根は古ぼけた証だろうか、壁には所々土がこびりつき、年月を象徴している。元は純白だったのだろうが、今は薄茶けている。2階建て、目分量で上は30部屋、下は昇降口を除いて25部屋くらいか。敷地としてはそれ程ある訳では無いが、横長の建物にはどことなく貫禄がある。窓にベランダは無く、洒落た外装も無ければ門も塀も堀もない。走れるのか危ういような崩れかけた馬車が一つ、昇降口の真ん前に停車してある。当たり前だが人影は無い。

「近隣の街の住民達の一番の噂になっている、元アパートです。昼間入れば確かに誰もいないはずが、夜になれば人影や人魂、人声が絶えないとか」
「うっわ、怖ぇ……」

 Laviがうんざりと眉をひそめた。

「我々の調査だけでは、イノセンスの有無は分かりません。ですが噂が本当なら、街の住民達が消えた現象の原因が関係している可能性はあります」
「ここが総本山、とかな」
「そんな単純な」

 Laviが嘲笑のように微笑んだ。亜廉がそれを窘めた。デニスは横目にその様を流しながら、古いアパートを仰いだ。

「何か、おかしい」

 ぽつりと呟く。誰の耳にも届かぬように。しかし亜廉が聞き留めたかデニスを見遣った。

「どうかしました?」

 どうしたかと問われれば、何がどうだと言葉にできる訳ではない。けれど何かの違和感を感じる。気のせいだとは思いたくない。今のデニスが頼れる唯一のものは自身の直感なのだ。この違和感はどこからだ? 端から端まで斬り落とすようにアパートを睨みつけた。

「デニス?」

 亜廉が気掛かりそうにデニスの顔を覗き込むが、デニスの目には亜廉は映らない。その先の建物を、じっと見据えているだけ。
 全体的な胡散臭さは確定だ。建物全域に染み付いている。しかし何処かにあるはず、確かに一層強く訝しい箇所。

「悪魔……」
「え?」

 違和感の実態までは推測できない。亜廉に聞いた、悪魔という殺人兵器か? そもそもその疑いを持って、この地に赴いたのだ。身震いする。武者震いではない。背筋に恐怖がのしかかる。

「とりあえず中に入ってみようさ。ここで眺めてるばかりじゃ何も」
「違う……違う、待ってLavi」

 デニスはLaviの袖を掴み引き留めた。今中に入ったなら、違和感の原因が隠れてしまう。

「何なんさ?」

 Laviの声に苛立ちが混じった。それでも袖は離さない。強く握りしめたまま、じっとアパートを見据える。

 何処だ? 妙な色のついた空気は……

「2階……」
「え?」
「正面の、2階、左から3つ……いや、4つ目の部屋。青いカーテンが引いてある」

 そこに居る全員が全員、揃ってその部屋を見上げた。薄汚れてはいるものの、はっきり青と分かるカーテンが覆う窓。違和感の中の違和感。カーテンの内側から異質の気配がする。

「ねぇ、誰かあの部屋まで行けない? 正面の昇降口を使わずに」

 一同は顔を見合わせた。壁を伝うには足場がない。梯子がない。
 すると、亜廉が隣のLaviを瞥見した。Laviは一度だけ亜廉と視線を絡めると、無言を交わし、やがて小さくため息をついた。

「確かなんだな?」
「確かだ……絶対に何かがいる」
「それはイノセンスの手がかりになるか?」
「そんなのは分からない。イノセンスの気配はあなたたちエクソシストにしか分からないんでしょう」
「俺らに分かるって訳ではないけど……まぁいいさ」

 Laviはウエストに巻かれていたポーチから、素早く小槌を取り出した。デニスはそこにポーチがあったことも、小槌があったことも初めて知った。小槌は黒く、装飾のない単純なもので、掌に納まるほどの小振りであった。Laviはペンを回すようにひとたびそれを弄ぶ。

「満」

 Laviが小さく呟いた。途端、小槌はデニスの身体ほどの巨体に膨れ上がった。
 デニスは驚いて目を剥き、慌てて飛びのく。亜廉と探索部隊らを見遣るが、誰ひとりとして、デニスと同じ驚愕の者が居ない。亜廉が察したように言った。

「これがLaviの対悪魔武器ですよ」
「掴まるさ、デニス」

 Laviに促され、デニスは恐る恐る大槌の鉄棒を握る。鉄棒は太い。デニスの指が回り切らない程。冷たい金属の感触。それより上方をLaviが握った。

「しっかり掴まってろよ」

 反射的に頷いた。Laviは槌を傾け、先端を青いカーテンの部屋に向けた。

「伸」

 途端、足場が崩れた。と思いきや、よく見れば浮いていた。鉄棒を掴んでいた手に負荷がかかった。槌は確かに地面にあるのに、鉄棒だけが伸びていた。

「え、」
「伸、伸、伸ーんっ」

 抑揚をつけてLaviが唱えると、合わせて鉄棒が伸びる。デニスとLaviの体が高みを目指して浮いていく。鉄棒の付け根、槌との接触部が文字通り伸びている。デニスは呆然としながらも両手でしっかり体重を支え、鉄棒にぶら下がった。

「す、すごい」

 離れていくに地面に目眩がした。Laviは誇らしげに微笑んだ。伸びる槌に連れられ、二人は瞬く間に目的の部屋の窓の前までたどり着いた。

「……開かないな。鍵がかかってる」

 Laviが窓の桟を揺らしてみるも、窓ガラスは身動き一つもとらなかった。デニスはカーテンとの狭間を覗き込んだ。隅に見えた錠は噛んでいた。

「割れるか?」

 デニスは答えずやんわりと桟をなぞった。

「出来るかも知れない、出来ないかも知れない……直感はない」
「デニス?」
「直感がない……? けれど、もしこれが出来たなら……程度は分からないけれど、僕が物質を意のままに操れるという証明になる。錠は……」

 デニスは窓ガラスの上に手の平を置き、目を閉じた。Laviが何か言っている。知らない。聞こえない。これはデニスのデニス自身への挑戦だ。部屋を探り当てたのはデニスの得意の直感だ。けれど窓が開かない。開けなくてはならない。Laviの部屋の本を片付けた時のような直感はない。それでも錠を開けられるか。
 意識をカーテンの奥の空間に集中させる。徐々に部屋の中が見えてくる。それ自体は得意の直感だ。部屋の中が分かる。何があり、どう配置されているか。見える。分かる。デニスの心臓が早鐘を打つ。
 室内には扉があった。カーテンの邪魔で見えないけれど、廊下へ出る扉がある。それ以外に部屋の外へ出入りできるものはない。窓もこれだけだ。デニスはその扉に意識を集める。扉は閉じているが、鍵は掛かっていない。錠を下ろせばそれまでだ。デニスは自分の窓ガラスの上の手を、僅かに下にずり下げる。ガラスの上に手汗が伸びる。同時に、室内の扉の錠が音なく下りた。施錠が完了した。この窓が開かない以上、部屋は密室だ。

 ……いる。

 部屋の中に何かがいる。自ら動き意志を持つ何かが。それが息を潜めている。日の当たらない部屋で、闇に同化せんと。
 ……無駄だ、引きずり出してやる……デニスの意識が、窓の錠を摘み、引き上げた。

 すかさず目を開ける。桟を引くと、窓は容易く開いた。

「え?」

 Laviが素っ頓狂に声を上げた。気にも止めず、デニスは桟を乗り越え室内へ足を踏み入れた。荒々しくカーテンを開けると、鈍い陽光が部屋を突き刺した。左にクローゼット。正面にラグと小振りのテーブル。右に小棚。帽子掛け。どれもこれも洋風で、暖色系に整えられているものの、年月を経て灰色の埃を被っている。

「だ、誰だ! 来るな!」

 小棚の奥のベッドの上で、うずくまっていた少年が顔を上げ、鋭く声を上げた。


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