[携帯モード] [URL送信]

転生少年-1
日記
 物音を聞いた気がした。

 それは物音だったのか、何かの暗示だったのか、気のせいだったのか、過ぎてしまえば分からなくなった。とにかくそんな気がして、少年は目を開いた。開いてから、また閉じて、今度はゆっくり開いた。視界が、一面のローズピンクで覆われていた。

「…………?」

 少年は、横たわったまま辺りを見回した。少ししてから、ローズピンクはローズピンクではなく、白や薄桃色のレース、花柄の壁などが作るイメージであったことに気付いた。
 少年が横たわっていたのは、豪奢に散りばめられた、一面の薔薇の花の上だった。薔薇は、花びらの凹凸を感じさせず平坦で、目を細めると繊維の縞が見てとれた。少年はベッドの上に寝ていた。薔薇はシーツの柄だった。
 少年は身体を起こした。それはそれは、小さな部屋だった。小さく感じるだけかも知れない。薔薇のベッドの隣にはウッディな小棚があり、非実用的な、可愛らしい小物が並んでいた。テディベア、ウサギやイヌの縫いぐるみ、硝子細工の花。青い瞳の西洋人形が、レースを施したブラウスの上に着ていたのは、赤いワンピースだったが、その上品な赤は、古びれてくすみ、紫色がかっていた。
 少年は人形の碧眼を凝視した。いつか、どこかで見たような、鮮やかなブルーの瞳だった。果たしてどこで見た瞳だったか。人形もまた、少年の瞳を覗き込んでいた。
 ふと思い出した。少年の瞳もまたブルーだった。
 人形の隣には、硝子細工の花があり、隣には写真立てがあった。写真立てのフレームには、ベッドシーツの柄のような、豪勢な薔薇の細工が施されていた。しかし肝心の中身は何も無く、空白の窓がぽっかりと開いていた。
 部屋が小さく感じられるのは、このごみごみした小物らのおかげではなかろうか。小棚から感じる圧迫感が、少年の不安を煽る。

 ここはどこだ?

 少年は再び、部屋をぐるりと見回した。視線をどこに遣ろうが、目を疲れさすような少女趣味。ベッドの向かい側には、机と、付属の椅子があった。椅子にはクッションが敷かれ、やはり花柄だった。四辺の縁から、短いレースが垂れていた。机自体は木製で、木目に茶色いが、その上に並べたてられているのもまた、ローズピンクの小物たちだ。ここにも写真立てがあったが、今度は飴細工であり、同じように中は空だった。
 少年は、薔薇の主張が喧しいベットを、そろりと降りた。自分の衣擦れの音が、やけに大きく感じられた。机を正面にして立つと、机の上に、ノートが一冊、置かれていることに気付いた。ページが開いていた。まるで読んでくれと言うように。少年はノートを覗き込んだ。


四月七日
やっと見つけたわ!
あたしの理想にピッタリの王子様よ
お陽様みたいな黄金の髪に
お天気のお空みたいな澄んだ青い瞳
とても綺麗なの
うっとりしちゃう
彼ならきっと出来る筈だわ
こんなに綺麗なんだもの
きっと引き受けてくれる筈
くれなきゃ嘘よ
これから彼を
あたしの部屋に招待するの

 細い羅線に沿って、小さく丸い文字が並んでいた。女の字のようだ。しかしそれは、まるでタイピングされたように規則的で、怖い程きっちりと整列していた。
 ふと、少年思い出した。それまで思い出せなかったことの方が、おかしかったように。同時に、背筋を、冷たいものが駆け登った。

 金髪に碧眼。それは僕のことではなかったか?

 何かに急かされるように、ページをめくった。


四月八日
零時の鐘が鳴ってから
彼を部屋に招待したわ
今はあたしのベッドの上にいる
なんだか胸がドキドキするわ
彼ってば寝顔も可愛いの
早く目を覚まさないかしら
早く目覚めてくれないと
ここに呼んだ意味がなくなるわ
 
もう、あまり時間が無いわ

 少年は金色の眉を寄せた。一体どういうことだ。この文章、恐らくは日記、これを書いた人物が、少年をこの部屋に連れ込んだ? それが四月八日。少年は目を伏せた。四月八日は何があっただろうか。
 しかし、すぐに目を開けることになる。

 四月八日だって?

 殊更深い皴を、眉間に刻み込んだ。それは一体いつの話だ。何日前の話だ。今日は何日だ?


四月十日
彼がようやっと目覚めたわ!
不思議そうな顔で
きょろきょろしてる
早く説明してあげなくちゃ
けれど歯痒いわね
あたしの方から
話し掛ることは出来ないのよ
彼があたしを知ってくれなくちゃ
早くあたしに気付いて頂戴

 少年は我に返り、辺りを見回した。先刻、自分が目を覚ました時、この部屋には誰か人間が居ただろうか? 逸る思いで次のページを開いたが、そこは真っ白だった。
 少年はため息をつき、肩の力を落とした。この状況を理解するのに、これ以外に手掛かりが無い。それなのにこれ以上の手掛かりも無いのか。
 だが、次の瞬間には再び日記を凝視した。空白だった羅線に、文字が浮かびあがった。

「!?」


同日
彼があたしに気付いたわ!
あたしを見てぽかんとしてる

 文字は、筆順正しく、右から左へ、確実に一文字ずつ書き込まれていく。まるで見えない誰かが、本当に書き込んでいるようだ。
 少年は碧眼を擦った。だが目の前で起きている現象に、変化はなかった。文字は羅線の間を流れ続けている。再び辺りを見回したが、依然として人影は見当たらない。ノートは独りでに文字を書き込み続ける。


無理もないわね
まだ何も知らないのだから
勝手に連れて来たことを
先ずは謝るべきね
ごめんなさい

「どういうことだ?」

 少年は初めて声を出した。同時に、跳ね上がるように自分の口元を押さえた。

 声が出た?

 それだけのことがおかしく感じられた。少年は、自分が声というものを持っていたことに驚いた。自分は声が出せないものと思い込んでいた。何故なのかは知らない。
 日記は独りでに文字を書きつけ続けた。


そんなことよりも聞いて
私は今からあなたを『送る』わ

「送るだって? 何だそれは?」


送り主はあたし
送り先はあなたの知らない
世界の人たち
あなたはそこで
いろんなことを知って
いろんな人と出会うのよ
そしてあなたには
課せられた使命があるの
それをやり遂げなきゃいけない

「使命とは?」


それはあたしの口からは
教えられないのよ
あなたの使命は
向こうからやってくる
心配しなくて良いわ
あなたは使命に対峙した瞬間に
それを遂げずにはいられなくなるの
ああ、もう残り僅か
あまり悠長にしていられないのよ!

「どうしてそんなに急いでるんだ」


時間が無いの
だってまさかあなたが
二日も目を覚まさないなんて
思ってなかった
早くあなたを送らなきゃ
使命は世界に一つだけれど
世界は一つでは無いのだから

「世界? 世界とは?」


説明している時間も無いの
さあ、準備は良いかしら

 文字の流れる速度が、徐々に早くなる。日記の持ち主は相当焦っている。あるいはこれは日記自身か。少年はうろたえた。

「待ってくれ! 何がなんだか……」

 この部屋は何だ? この日記は何だ? 使命とは何だ? 世界とは何だ? 少年が吠えると、拙速に文字が答えた。


送り先の世界で全てを察する筈よ
ねえお願い
時間が無いのよ
とにかく早く送らないと
手遅れになる前に
 
ああ、タイムリミットだわ

 少年はびくりと肩を震わした。


もうあなたを送らなきゃ
いい? 心の準備をして
目を閉じて身体の力を抜いて
大丈夫よ
全てあたしに任せて
あなたはあなたの使命を果たして
 
世界をどうかお願いね

 途端、少年は視界を奪われた。

「!?」

 勢い、掌で両目を触れる。瞼が降りていた。少年の意に反し、目は閉じていた。
 すると間もなく足元が歪んだ。視界の不自由な少年は、一瞬、地震が訪れたと思った。しかしすぐに思い直す。違う、地震にしては様子がおかしい。床が動いている。まるで生き物のように。
 バランスを崩し、少年はくずおれた。転ぶ、そう思い体を強張らせた。だが痛くない。地面にぶつからない。いつまで待っても床の感触がやって来ない。そうして少年は気がついた。自分は堕ちている。深い穴に放り込まれたように。足を支える地面など無い。あるのは風も無いのに、堕ちていると知れた、その空間ならぬ空間のみ。少年は底知れず堕ちていった。

 どのくらいそうしていたのだろう。或いはほんの数秒だったのかも知れない。やがて少年は、地面を感じた。足の裏に重みを感じた。懐かしくさえ感じる、自分の身体の重みだった。目を開くと、少年は立っていた。そこには地面があった。

 しかし、その地面もどうやら、気休めだったようだ。地面のある空間は、あの少女趣味の部屋よりは、壁が遠い。しかし決定的に色彩に欠け、壁も天井も床も、石造りのグレーだった。そして床という床に、本が散乱していた。まるで雪崩が起きたように、無作為に散らばっていた。ひっくり返り、折れ曲がり、あるいは破れ、本と本とが揉み合い、酷く惨敗しているのものもあった。立っていられる場所は、少年の足があるそこのみだった。その部分のみ、場違いのように、本が寄せられている。まるで少年がそこに立つために、誂えられた空間のようだった。

「やあ、お早うさぁ」

 少年は、右から男の声を聞いた。右方を向くと、二段ベッドがあった。その下段に、男が座っていた。


[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!