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短編
午前5:30
「なに、見てるんだよい?」
「ん?…あ、マルコ」
ぱさ、と音がした。マルコが服を着た音だろう。とは言え、彼のシャツはエースが着てしまっているので、もしかしたらズボンだけかもしれない。
エースは自分の着ている服より一回り以上も大きい服の袖を見る。長いために、袖から出ない手を見ると、なんだか気持ちが揺らめいた。ただ、袖が長いだけだと言うのに、そこに二人の年の差が現れているような気がして。ぶかぶかの服の分だけエースはマルコに追いつけない。
マルコはゆっくりでいいと言ってくれるけど、エースは早く大人になりたかった。早く、マルコの隣に立ちたかった。
「エース?」
後ろから、また、マルコが声を掛けた。まだ暗い室内、今日はマルコもエースも休日だ。今にも冬が訪れそうなこの時期、もう朝は半袖ではいられないほどには冷えている。窓の外を見て動かないエースに、マルコが暖かい毛布を掛けた。そうして、ベランダの手すりに寄っかかっているエースの隣に並び立つ。彼は、暖かそうなシャツを着ていた。
なんとなく、エースに漂う暗い空気をマルコは敏感に読み取る。この青年はいつもは快活で笑顔を絶やさないというのに、時折、その生い立ち故か、驚くほどネガティブになる。嫌な気持ち、不安な気持ち、何かに怯える気持ち、それらがごちゃまぜになって、それはエースを覆い尽くす。
そうなれば、エースの不安を少しずつ取り除いていくしか無い。幾度となく見たエースのその姿に、どうしたものかと思いながら、マルコは手すりにもたれるエースの隣に並び立った。
「あぁ、こりゃ綺麗だねい。」
真っ直ぐ前を見るエースの視線に合わせると、少し驚いたようにそう言った。
「…うん」
ぽつり、とエースも頷く。まだ朝早い時間、薄明の頃。ピィンと張り詰めた空気が二人を包む。目の前には、一面が青い光に照らされ、赤紫色のような雲がかかり、幻想的な風景を生み出していた。
「…ブルーモーメント」
考え事をしていたからだろうか、ふと頭に浮かんだその言葉が口の端から零れた。
「ブルー、モーメント?」
エースが聞き返す。聞きなれないその言葉は、しかし、なんとなく目の前の景色にあっている気がして。
「朝の早い時間、こうやって辺り一面が青く光る時のことを言うんだよい。日本じゃたまにしか見られない」
まぁ、若干違う色も混じってるけどねい、と言えば、ふぅん、とエースは頷いた。チチチ、と鳴きながら小さな鳥が優雅に空を飛んでいく。その姿はなににもとらわれない自由の象徴のように見えた。
黙って前を向いて動かないエースの黒髪に手をのせる。ぴょんぴょんと跳ねる割に柔らかいくせ毛を優しく梳くと、甘えるようにすり寄ってくる。
ふ、とその姿に小さく笑うと、なんだよ、と拗ねたようにエースが言う。だけれど、嫌ではないようで、もっとと言うように二人の間を詰めた。
その姿にマルコは、エースが猫のように見えた。気まぐれで、それでいて優しく甘えたがりな猫。
でも、少し、甘え下手。
エースは包まっていた毛布から手を出して、きゅ、とマルコの服の裾を掴んだ。服がぶかぶかなせいでその手は服から完全には出ていない。優しく撫でる頭はそのままにマルコはちゅ、と軽く額にキスをした。
「ん…」
擽ったそうに体を少し震わせてエースがマルコに身を寄せる。いくらも無かった二人の距離がぴたりと重なった。そうして二人でお互いの体温を分け合うようにぎゅ、とどちらかともなく抱きしめあう。
「エース」
エースの肩口に顔を埋めたマルコが少し聞き取りづらい声で優しくエースを呼ぶ。
「エース、お前はお前のスピードで進んでいけばいいよい。焦る必要はない。」
言い聞かせるようにマルコは言った。
こんな言葉一つでエースの気持ちが晴れてくれるのなら、マルコはいくらでも言ってやろうと思った。それ程に彼の存在はマルコにとって大きなものだった。

エースは、心の内を見透かされたかと、少し驚いた。いつもそうだ。エースの考えていることなんて、マルコにはお見通しなのだ。
それでも、それを分かっているから、エースも自分の心を隠さずにマルコに甘えることができる。甘え下手な猫の少し上手な甘え方。
「ん…でも、おれ、早くマルコの隣に立てるようになりたい」
少し鬱々とした表情で、すり、と頬を彼の肩に凭れさせる。そうしているだけで安心してくるのだから不思議だ。
凭れ掛けた頭に軽くキスをしてマルコは言う。
「あぁ、俺も、お前と並べる日を待っているよい。だがな、エース。今やっていることは必ず将来お前がやりたいことに役に立つ。先を見すぎるなよい」
宥めるように、諭すように、それでいて恋人を甘やかすような声音でマルコは優しく囁く。マルコとて、エースはいつまでも子供ではないと思っているし、そう遠くない未来必ず大人と呼ばれる年になる。
こうして毎週二人きりで会える時間も、エースが社会人になれば少なくなってしまうかもしれない。エースがそれを分かっているかは定かでは無いにしろ、もう社会人を何年もやっているマルコには、新卒がどれほどきついかを知っている。
新しく覚えること、上司との付き合い方、加えて、なれない場所で知らない人に囲まれて業務を行うストレス。マルコの勤める白ひげ株式会社は日本有数の企業で、毎年何人もの新入社員が入ってくるが、必ずと言っていいほど数人はその年に会社を去っていく。
その誰もが一様に辛そうな顔をしていたのをマルコは見てきた。今では社長である白ひげの右腕と呼ばれるまでになったマルコも、新卒の頃は苦労した。
無論、エースがどの企業に勤めようとマルコは反対しないし、できる限りのフォローはしてやりたいと思う。ただ、無理だけはしてほしく無いと思っていた。
同僚であるサッチにしてみれば、過保護だと言うのだろうが、年甲斐もなくこの年若い恋人に惚れ込んでいるマルコにとっては当たり前のことだった。
「…うん」
エースもそれは分かっているのか、素直に頷いて顔を埋めていた肩口から外すと少し上にあるマルコの綺麗な青い目と己の目を合わせる。こつん、と額を合わせると、へへ、と照れ臭そうにエースは笑った。
もう、あの暗い表情は見えなかった。
そうしてどちらかともなく顔を近づければ、優しく唇が触れる。
角度を変えてふわ、ふわりと口づけを交わしていく。
朝の少し早い時間。日はまだ登らない。空気はピィンと張り詰めている。二人は青い光に包まれて幸せそうなキスをする。
その時、東の方角にキラリと一筋の光が射した。眩いほどのその光は、青い空を覆い尽くすかのように存在を強めていく。
日の出だ。
午前5:30。太陽が地平線から顔を出し、月は西へと沈んでいく。街は起き出し、人々は活動を始める。
二人は抱き合ったまま起き行く街を見つめている。もうあと少しすれば、街は休日の賑わいに灯されていくだろう。今日はショッピングモールに行こうと言っていたんだっけ、とエースは昨夜マルコと話していたことを思い出す。
エースは考えていた。今朝起きた時に感じた焦燥感にも似つかぬ感情。時折感じる、深い深い海の底に落とされて息ができなくなってしまうような。自覚しながらもその闇から自分だけで這い出ることは出来なかった。だけれど、マルコがいれば闇から抜け出せる。
あの青い瞳で、優しい口調で語りかけられると、自然とエースの心は落ち着いた。強張っているからだから力が抜けていく感覚。
エースは目の前で自分を抱きしめる愛しい男を見上げる。こちらを見下ろす青い目と目が合うと、エースは小さく笑みを浮かべた。そうして、「マルコ、」と彼だけに聞こえる小さな声で囁く。
「ん?」
「マルコ、すきだよ。だいすき」
赤く染まる頬を隠すようにぎゅう、とマルコにしがみつけば、同じ力でマルコも抱き返してくる。
「あぁ、俺も好きだよい、エース。」
穏やかな声にひどく落ち着く。同時にエースは違う、と思う。
すき、だけど。だいすきだけれど。
あぁ、そうか、と気づく。俺は、この人を。マルコをーー…
「マルコ、」
見つめ合えば、あの青い瞳に吸い込まれそうになる。それでもいいと思った。彼と永遠に居られるのなら、それだけで本望だ。
それでも。
「エース、」
マルコもエースの名を呼ぶ。
マルコの蒼い目に自分の姿が写っているのがわかる。きっと、俺の目にもマルコが写っている。
この世界に二人だけしかいないような錯覚に陥る。でもきっと、世界が終わっても俺はマルコの手を離さないから、世界で二人だけ、なんていうのもアリかな、と思ってしまう。
そんな俺の想いを知ってか知らずか、マルコは柔らかく口元を緩めると軽く唇の上にキスを落とした。マルコは俺を見て、俺はマルコを見る。そうして見つめ合って、口を開けば、きっと溢れる想いは同じだから。

愛してる

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