きみのためなら死ねる。
9
と、突然布団に鈍い音と振動が走った。俺も桂木もハッとする。
“今から桂木を抱きしめます”という以外他にないような体勢に今頃になって気付き、体が固まった。
眩暈がした。かあっと顔が熱くなる。俺は“ザザザザザッ”という擬音がぴったりな勢いで気持ち悪く後ずさり、思い切り背中をタンスにぶつけた。ぐらんと花瓶が揺れる音がした。桂木は目を丸くしている。な、何しているんだ俺は!
「あ、あ、お、俺! 俺ごめん違うんだ桂木……!」
「いや…」
つい謝ってしまった俺に(おまけに涙声だ)、桂木は困惑気味だ。無理もない。ここでこんなに取り乱しながら謝るのはどう考えても変だ。そう、“変”だ。なんなんだ俺は。本当にどこかおかしいんじゃないのか。
心臓がバクバクと激しく脈動している。俺はそれを諌めるようにひとつ、意識して呼吸をした。
「携帯」
「え?」
携帯?
「携帯、鳴ってるよ」
その言葉に、布団の上で震え続ける物体に目をやった。空色の薄いフォルムに緑色のランプを小さく点滅させている。
俺の携帯だ。
我に返ってすばやく携帯をもぎ取る。
マナーモードに設定されているのだろう、折りたたみ式の携帯電話をぱかりと開けば、多少指紋の付着した画面に映し出される“家”の文字。
「ほんとだ。ごめん、ちょっと、電話出るな?」
「…ん」と頷く桂木を確認して、通話ボタンを押す。
「もしもし…」
途端に甲高い怒鳴り声が俺の左耳を襲った。
『あ、利樹!? やっと出た、…今、何時だと思ってんの? 馬鹿じゃないの!? 何してんのあんた!?』
「母さん……!」
ヤバい。家の事をすっかり忘れていた。おそらく先ほどの着信履歴も、全て家からのものだったのだろう。
『なんっかいも電話してるのに出ないし! 何してたのよ!?』
やっぱりそうだったか。
なんて、納得している場合じゃない。母さん、完全にキレている。
普段から短気な母さんだけれど、ここまで怒ることは滅多にない。昔弟が体育で骨折した時ぐらい怒っている。そう一発で判断できるほどの怒鳴りようだった。
桂木はというと、母さんの奇声がそっちまで聞こえているらしく、目をぱちくりさせてこちらを見ていた。
先ほどの雰囲気との落差のせいか、怒声が耳に痛い。
考えてみれば、金曜の夜に自分の息子が突然消息不明になったんだ。電話に出もしないで高校生が無断外泊。そりゃあ怒るよなぁ、と思いながらも、あまりの音圧に携帯を耳から20センチ程離す。とりあえず即席でもなんでもいいから早く言い訳をしなくては、俺の命が危ない。なんだか今日は朝から言い訳をしてばかりだ。
「えーっと…。な、なんていうか、その、どうしても外せない案件が……」
何を言っているんだ。俺は父さんか……!
『何お父さんみたいなこと言ってるの!!』
ですよね。
『信じられないわ、高校生の分際で朝帰りなんてっ!』
「あ、朝帰りって、そんな夢いっぱいな事してな…」
『だまりなさい!!』
「も、申し訳ありません!」
ひどい。
続けて、『どこにいるの!?』と聞かれて、思わずチラリと桂木の方を見た。目が合う。どうした? って表情だ。
なんと言えばいいのだろう。はっきり言って、俺と桂木は友達ではない。だから“友達の家”なんて答えようものなら、桂木はきっと気を悪くするだろう。だったら“知り合い”だろうか。でもそれはそれでなんだか変だし。
一瞬の葛藤があって結局、「クラスの奴の家」と無難な返事を返した。
けれど母さんはその答えすらも気に障ったらしく、唾が飛ぶ勢いで説教を始めた。
その内容は、親御さんに挨拶はしたのか、だとか、迷惑掛けてないわよね、だとか、どっちにしろ連絡は寄こせ、といった具合だった。これはあくまで要約で、実際は合い間合い間に長々と、思わず電話の向こうの母さんに頭を下げてしまうような罵りが加えられているから、もっと長い。おそらく時間にして10分強。その恐ろしさに先ほどから冷や汗が止まらない。もう、泣きそうだ。
もちろん桂木は今も俺の隣にべったり張り付いている訳ではなく、説教が始まって一分足らずで奥の、確かキッチンがある方の部屋へ消えてしまった。おそらく気を遣ってくれたのだろう。
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