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きみのためなら死ねる。
8

 お前が自殺しようとするからだろ、と罵ったり説教したりするのは簡単だし、気を抜けば口を突いて飛び出してしまいそうだけれど、こうして桂木とまともに会話を交わすのは、昨日の事を除けば今が初めてと言っても過言ではない。クラスメートとはいえ、今までお互いの名前を呼びあうことさえ無かったのだから、はっきり言って他人も同然だ。それどころか、もしかしたら桂木は俺の名前なんて覚えていないかもしれない。そんな俺が、死にたい理由や死を選んだ理由を尋ねたり、増してやそれを責めたりなんて、とてもじゃないけれどできなかった。

 お互いがお互いを見たまま、また沈黙が落ちた。何かを言いかけたが一向に口を開かない俺の真意を汲み取ろうとしているかのように、桂木は静かだった。吸い込まれるような黒い瞳だ。対照的に、俺の目からは桂木を睨む力なんてとっくに無くして、その代わり、唇を噛みしめる力が強くなった。耐えきれなくなって視線を落とす。

 悲しい選択をした桂木を怒ってやることも、理由を聞いて慰めてやることもできないのが辛かった。拳を握り絞め過ぎて、短い爪が掌に食い込んだ。無力だった。悔しくて悔しくてどうしようもなくて、段々とのどの奥が熱くなって、震え始めた。ああ、マズイ。泣いたってどうにもならないのに。



 この建物のどこかに子供がいるんだろう、ドタドタと駆ける足音と子供の笑い声が聞こえた。

「怒らないのか?」
桂木が言った。
ビクッと肩が揺れた。
「…そんなの、お前もだろ」
戸惑いながらも、するりと言葉が出た。

“お前には関係ない”という桂木の言葉。あれは俺への明確な拒絶だった。なのに俺は桂木の住所を担任から無理矢理聞き出して、鍵がかかっていないのをいいことに勝手に家に上がり込んだのだ。そして最終的に死にたい桂木を生かさせた。きっと俺は、“余計なことしやがって”と怒りをぶつけられてもおかしくない筈なんだ。
だって桂木の、文字通り“決死の覚悟”を二度も踏みにじったのだから。

 俯くと、日焼けして黄色みがかった畳の目が視界に映った。桂木の顔なんて見られるはずもなかった。俺は余計な事をしたんだろうか。けれど、自分から死ぬのなんて絶対に間違っている。だけどもし、桂木からその理由を聞けたとして、俺はそれでも“絶対”なんて言葉を使えるのか。あるいは、それを受け止めることができるのだろうか。
複雑に渦巻く感情に押しつぶされてしまいそうだ。

「…なにも聞かないんだな」
チクリと胸が痛んだ。
「……聞いてもいいのか?」
声が潤んでしまった。
せっかくの格好良いセリフが台無しだ。
一瞬間を置いて、浅く息を吸い込む呼吸音がした。
「……おまえ…、…」

 その声の僅かな震えに思わず顔を上げた。目が合ったがすぐに外された。
一瞬、ほんの一瞬見えたその顔は、泣きそうに歪められていた。その表情は、まるで幼い子供のようで。今にも壊れてしまいそうなくらい、儚かった。

 俺は居ても立ってもいられなくなった。
原因不明の衝動のままに、のそりと桂木に近づく。
俯いたまま桂木は逃げない。
俺は段々と速くなる鼓動を抑えながら、その微かに震える肩に手を伸ばした。
指先にじわりと、桂木の熱が滲んだ。
それに気付いたのだろう、桂木が顔を上げる。黒目勝ちなその瞳には薄い涙の幕が張っていて、謎の衝動が一気に加速した。視線が深く絡み合う。
どうしよう、俺は今、どこかおかしい。




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あきゅろす。
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