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きみのためなら死ねる。
18



 それにしても、意識したとたん壮絶な痒みが襲ってきた。全身、いたる所が痒い。

「うわ、ここも。ここも、ここも!? キモッ! 自己新記録達成……!」

 わーわー言いながら刺された個所を一通り確認していく。顔に2か所右腕に4か所、左腕に5か所ぐらい。皮膚がぷくりと膨らんでいる。上半身はTシャツだったからそれが腕のいたるところにあって見ているだけで痒くなる。下は黒のGパンを履いているからまだ救いはあるものの、足もところどころ痒いから、もしかしたらGパンの上からも刺されているかもしれない。梅雨の田んぼを舐めていた。あんなところで寝てしまうなんて、血に飢えた蚊達にとっては格好の餌だ。それによりにもよって顔に刺されるなんて、間抜けを顔に書いたようなもんだ。

「痒んゆッ」と呟きながら、ひぃ、ふぅ、と刺された個所を数えていると、「それで」と桂木の声がした。そちらを見やれば、胡坐を掻いた桂木がこちらを見上げていた。どうやらこの家では胡坐を掻くのが桂木のデフォルトらしい。

「いつうちに来たの?」
泳ぎそうになった目を瞬きでなんとか耐える。
「えっと、……さっき」
夕方6時なんてさすがに言えない。

嘘を吐いてから皿の入ったビニール袋を絨毯の上に置き、俺も桂木に倣って1メートルくらい距離が離れたところに胡坐を掻いた。その間も我慢できず左腕をポリポリやる。

「もう9時過ぎなのに?」
「え! 嘘!?……あ」

 慌てて口を押さえたがもう遅い。桂木はひとつ短いため息をつき片手で両目を揉んでいた。呆れられている。もう、こんなのばかりだ。俺の見る桂木の表情は。

「携帯貸して?」
「え」
「携帯」

なんだかぐったりした様子でこちらに手を伸ばされた。戸惑いながらも尻ポケットから空色の携帯を取り出し、その掌に乗せる。すると桂木は自分のポケットからも黒色のスライド式携帯電話を取り出して、両手の携帯を器用に操り始めた。(桂木が携帯を持っていたことに少し感動した。)そして同時進行で動かしていた指を止めると、俺の携帯の外観をチラリと見やってから、自身のそれと向い合わせにさせた。赤外線通信だろうか。もしかして、アドレスを交換している? いや、もしかしなくてもきっとそうだろう。なんだ。それだったらそう言ってくれればいいのに。けれどそうは思うものの、今更作業に割って入ることも出来ない。手持無沙汰になってしまいなんとなくそわそわしてしまう。どうしてアドレスを教えてくれる気になったんだろう、と思考を巡らせたところで赤外線通信が終わったようだった。俺の携帯が桂木の手の中でパチリと閉じられる。

「ほら、アドレスと番号登録しておいたから」
「あ、サンキュ?」
礼を言って自分の携帯電話を受け取る。
「次来るときは、連絡して? 俺あんまり家にいないから」

……次、来るときは――?

弾かれたように桂木を見る。当の本人は胡坐を掻いたままぽちぽちと自分の携帯をいじっていた。

「え……? でも、いいのか?」

動揺を抑えきれず、そっと桂木の顔色を窺った。素直に喜んでいいのか躊躇われる。だって、まともに会話をしたのは実質昨日が初めてだし。けれど、どうしよう。顔の筋肉が緩む。ゆるゆるに緩む。

そんな俺に、桂木はカシャンと軽快な音を立てて光沢のある黒い携帯電話をスライドさせると、困ったようにこちらを見た。そして、

「ダメって言っても、来るんでしょ?」
笑った。
器用に片眉を下げながら、薄い唇から白い歯を零して、しょうがないなあ、という顔で、笑っている。




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あきゅろす。
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