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きみのためなら死ねる。
17


 沈黙が単調なケラの声に掻き消される。やや間があって返ってきたのは長いため息だった。

「とりあえず、あがって」
「え、でも」
もう夜遅いし。
「いいから。ほら、そこどいて? 邪魔だから」
「あ、悪い」

邪魔とまで言われてはどくほかない。受け取ってもらえなかった皿を抱えながら立ちあがって、のろのろ扉の前からどく。すると桂木は間を空けずに鍵を取りだしてガチャリと扉を開けた。暗いのに鍵開けるのが速い。そう感心している間にも桂木は開いた扉を支えながら素早く靴を脱いで部屋の電気を着けた。すぐにパッとこちらを振りかえる。綺麗な黒髪がさらりと揺れた。

「早く入って。蚊が入る」
「あ、はい」

一連の動作がなんだかやけにスマートでボケっと固まってしまっていた。支えられた扉を受け継いで、いわれるままにいそいそと靴を脱いだ。昨日ぶりの桂木宅に入る。

「お邪魔しまーす……」
「…………」

なにか言えよ。――とは言えなかった。やっぱり非常識だし。知らなかったとはいえ連絡もしないで家の前で待っているなんて自分でもどうかと思う。


 しかし、昨日の今日でも人の家に入るとなんとなくきょろきょろしてしまう。
昨日は何もなかったキッチンに小さなスプーンの入ったマグカップを見つけた。「あ」と声が出る。桂木も飲んだり食べたりするんだ。そんな当たり前過ぎることを考えていると、パチリと音がした。反射的にそちらに顔を向けると、桂木越しに薄暗かった奥の部屋がパッと明るくなるのが見えた。絨毯の敷かれた部屋だ。長方形型の薄い蛍光灯に照らされたその部屋は、やっぱりものが少なくてガランとしていた。本棚と机と椅子が薄いクリーム色の絨毯の角にポツンと置かれただけの部屋。生活感皆無だ。こざっぱりとし過ぎている。俺の部屋なんか物が多すぎて生活感丸出しで超汚いのに。

 その、生活感皆無の部屋の主は無言のまま部屋のカーテンを閉めると、持っていた鞄をドサリと絨毯の上に置いた。ずいぶんと疲れているように見える。

「えっと、バイト? ごめんな、疲れてるのに」

ここでこのまま突っ立っているのもなんなので、俺も絨毯の敷かれた部屋に入り、ポリポリと頬を掻きながら半笑いで声をかけた。目が合うと、桂木はこちらへ近づいてきた。

「見せて」
「……?」

かなり距離を詰められて右頬を触られる。綺麗な顔をぐっと近づけてきた。なんだ? と思いながらその整った顔を眺めていると、突然頬に爪を立てられた。

「イテッ!」
「我慢して。うち、虫刺されの薬ないから」
今度は左頬を触られる。
「虫…? 痛って! ちょ、わざとやってるだろ!?」
「………」
「え、ホントにわざと!?」

目を丸くして桂木を見ていると、右腕を取られた。うわ、こりゃひどい。今見える範囲だけでも3か所は蚊に刺されている。なるほどと思った。きっとこれと同じのが俺の両頬にもあったんだろう。でも、だからって普通人の顔に爪立てるか? 
 驚愕と困惑を顔に浮かべたまま目の前のイケメンに目を向けると、右腕にチクンと痛みが走った。

「っだから痛いって! もう、手ぇ離せよ。自分でやるから」

言いながら腕を振り払う。爪を立てられた個所を摩ってドギマギしながら桂木から離れた。当の本人は「そう?」なんて言って小首を傾げている。昨日同様、ほとんど表情のないその顔はまるで人形。いや、顔が整っている分マネキンに近い。何を思っているのかちっとも読み取ることができない。無断で家に来たことに対して怒っているのかもしれないし、本当に親切で俺の蚊に刺されを看てくれようとしたのかもしれない。いや、ただ単に俺を傷めつけたかったって可能性も……。いや、それはさすがにないか。でも、昨日も痛がる俺を余所に平然と足の治療をしていたのを合算するに、桂木は間違いなくドが付くSだと俺は推測している。




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あきゅろす。
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