忘却葬送曲
finale 前編 8
妙に広くて寒々しい空間で、僕は何もせず、椅子の上で体育座りをしていた。
透夜の言うとおり、僕は本当に弱くて、色んな事から逃げ続けている残念な人間だ。
現実から目を背ける事で得た幸福は、とても脆くて壊れやすい。
周りにいた人間が一人でも欠けると、いとも簡単にこの小さな世界は色褪せてしまう。
もしもある日突然、世界に一人取り残されたとして。
それは、どのくらい寂しくて悲しい事なのだろう。
今感じているこれの、何倍だろうか。
逆に心が壊れて何も感じなくなる、という可能性もあるけれど。
こんな恐ろしい空想を巡らせても辛いだけなのに、一人になるとどうしても考えてしまう。
コン、コン、コン・・・
両膝に顔を埋めていると、庭に面しているガラス扉を叩く音が耳に入った。
椅子から降りてそこへ近づき、カーテンを開けると、予想通り智洋が立っていた。
鍵を外して扉を開けると、僕の泣き腫れた顔を見た彼はため息をつく。
「どうしたの、智洋。こんな時間に」
「どうしたも、こうしたも・・・さっき俺の部屋の窓から、透夜が走って出て行くのが見えて、気になって見に来たんだ。・・・喧嘩でもしたのか、珍しい」
「うん、ちょっとね。・・・お父さんはまだ帰って来ていないの?」
「ああ、だから一人で退屈なんだ。邪魔するぞ」
靴を脱ぎ捨てた智洋は、慣れた動作で家の中へと上がり込む。
夜の肌寒い空気を感じつつ扉を閉めていると、今外に出ている透夜の事が気にかかった。
部屋の中をうろうろとしていた智洋は、コンロの上にある鍋に目を付ける。
「おお、カレー作ったのか。いい匂いだな」
「うん。多めに作ったから、食べていく? ・・・透夜が帰って来るまではお預けだけど」
「ああ。親父もまだだし、気長に待つさ」
我が物顔でソファーに腰を降ろした智洋に、僕は苦笑いしつつ、椅子に座った。
「・・・ねえ、僕って幸せそうに見える?」
突然投げかけた質問に、彼は怪訝な顔をして答えた。
「・・・幸せかどうかは、誰かに認めてもらうもんじゃないだろ、自分の心が決める事だ」
「そうだね。・・・自分で決めるしかないし、自分で決められるんだ」
身に言い聞かせるように呟いた言葉を、智洋は拾い上げる。
「どんな人生でも、そこに幸福を見つけられるかは、そいつ次第。・・・お前はそう言いたいのか?」
「うん。でもきっとそれは、一人じゃとても難しい事だから、人は誰かが側にいないと生きていけないんだ」
「・・・要するにお前は、溺愛する弟がいないと寂しくて死んじまう、残念な兄貴なんだな」
わざと茶化すように話す智洋に、僕も笑って言葉を返した。
「ふふ・・・そう言う事。本当に、寂しくて死んじゃいそう」
「じゃあ、透夜が帰って来るまで俺で我慢しろ。・・・バイクの音が聞こえる、親父が帰って来たのか」
僕達は立ち上がって、揃って玄関へと向かう。
ドアを開けるとすぐに、バイクのエンジンを止め、こちらへとやって来る孝一さんと、
・・・その後ろに隠れるようにして付いて来る、透夜が目に入った。
智洋によく似た顔に不器用な笑みを浮かべる彼は、困ったように頭を掻きながら話す。
「真琴君・・・ああ、智洋もこっちに居たのか。帰る途中で透夜君を見つけて、とりあえず乗けって連れて来たんだが・・・ずっと黙ったままでなあ、どうしたもんだか・・・」
「すみません、孝一さん。・・・透夜、お帰りなさい」
唇をきつく引き結んでいた彼は、僕がそう言った瞬間、赤くなった目を伏せた。
ぽんぽんと、あやすように透夜の背中を叩いた孝一さんに、智洋が言う。
「親父、真琴がカレーをご馳走してくれるってさ。今日は夕食作らなくて済むぞ」
「おお、それは助かるな。ありがとう、真琴君」
「いいえ。沢山作っちゃったので是非食べていって下さい。・・・ほら透夜、早く家の中に入って」
玄関の前で立ち止まっている透夜を、僕は声を掛けて促す。
それでも動こうとしない彼に、智洋がとんでもない事を口走った。
「早く入ってやれよ、透夜。お前の兄貴は大好きな弟が側にいないと、寂しくて死んじまうらしいぞ?」
「わわっ・・・ちょっと智洋、何言っているの・・・!」
恥ずかしさに頬を染めて慌てる僕を、何食わぬ表情の智洋が答える。
「何って、実際お前が喋っていた事だろうが。変に気持ちを隠したりするから、すれ違うんだよ。・・・ほら、透夜も何か言ってやれ」
目を丸くして僕らのやり取りを見守っていた透夜は、一瞬肩を震わせてから、口を開いた。
「ごめん、なさい。・・・俺、真琴のカレーが食べたい」
「透夜・・・」
ぎゅるる・・・
まるで彼の気持ちを代弁するかのように、切ないお腹の音が響き、僕達は顔を見合わせる。
透夜は激しく首を横に振り、断じて自分のものではないと訴えた。
代わりに、その隣に居た孝一さんが、控えめに手を挙げる。
「・・・わりい、俺だわ。すまん、せっかくいい雰囲気だったのに・・・」
「親父、どうしていつも、肝心な時に抜けているんだ・・・」
呆れたように智洋は父親を見つめ、僕と透夜は可笑しさに腹を抱えていた。
「ふふふ・・・すぐご飯にしましょうか。透夜、手伝ってくれる?」
「あはは・・・うん、もちろん。俺も早く食べたいし」
僕達は笑い声を立てながら、家の中へと入っていく。
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