忘却葬送曲 Sixth Movement 7 透夜が学校の友人達と帰っていった後、俺は安堵のため息をついた。 話を聞かれていなくて、助かったと思うべきか。 ここにお前の親父の墓があるのだと、教えてやりたい気持ちも湧いてくるが・・・時期尚早だろうな。 再び俺の隣に腰掛けた近江は、彼らが去った方を眺めながら言った。 「水野君のお墓参りだったのかな。ちょっとびっくりしましたね、永井さん」 「ああ・・・それで話の続きだ。消える方法ってのは、何だ?」 「はい、そうでしたね。・・・今ここに在る僕の実体は、「近江真琴」という人間に関する、数多の人々の記憶によって支えられています。・・・つまりは、誰かが僕を覚えている限り、近江真琴という存在が消えることはありません。僕は記憶そのものですから、年をとることもないし、死ぬこともないんです」 「お前が、記憶だというのか・・・?それにしちゃ、リアル過ぎるだろう・・・」 どこからどう見ても、普通の人間にしか見えない。ただ一点、影がないことを除いては。 「まあ、僕にも仕組みはよくわかりませんが。だから僕が消えるには、近江真琴という人間を知っている人が、一人もいなくなればいいんですよ」 「・・・それは無理だろう。無人島で半世紀くらい過ごさない限り、誰かしらと接触することになるはずだ・・・人間がひとりで生きていくなんて、不可能だろ」 「そのとおりです。けれど、僕が持っているこの能力を使えば、簡単に実行可能なんですよ。 ・・・近江真琴に関する記憶の全てを、この世界から消しさればいいだけの話ですから」 普段通りの調子で、何でもない事の様に語った近江に、俺は衝撃を覚えた。 生きた証も、死んだ事実も残せず、お前は消えるしかないというのか。 「お前は・・・それでいいというのか?」 「いいも何も、仕方のない事です。・・・これは、報いだと思っています。僕は五十年前の戦争において犠牲になった人々の存在を、この世界から消し去ってしまったんですから。・・・償うには、まだまだ足りないくらいです」 夕凪の時間が終わったのか、薄暗くなってきた墓地に、夜の風が吹き始める。 急に表情を失くした近江の、艶やかな黒髪を、弄ぶそうに流れていった。 「もうそろそろ、頃合かなと思っていました。・・・僕は近日中に、この世界から消えます。だから、どうか透夜をお願いします、永井さん」 微笑む彼が告げた、その言葉の示す意味をすぐに理解出来ず、俺は呆然とする。 ようやく把握した時には、彼の胸ぐらを掴みかかっていた。 「お前・・・本気でそんな事言っているのか!?・・・透夜が、どれほどお前の事を大切に思っているか、わかっているのかよ!」 近江は俺の怒声に全く怯まず、強い意思が宿った瞳で見返した。 「・・・はい。だからこそ、早く消えないといけないんです。これ以上、僕と関わってしまえば、近江真琴が消えた際に、より多くの記憶が、透夜から失われてしまいます。・・・僕と過ごす時間が長ければ長いほど、彼の人生に空白が出来てしまうんです」 「・・・!」 俺が手を離すと、近江は乱れた服を直しつつ、言葉を続ける。 「僕は、透夜に何も与えられません。・・・夢のような存在でしかないんです。今こうしてあなたと話している事実も、僕が消えれば「無かったこと」になります。彼にも・・・あなたにも、僕は幸せな時間をあげることは出来ない。・・・それにもう、五十年経ちました」 近江はゆっくりと腰を上げて、またあの疲れきった表情をして、俺に微笑んだ。 「さすがにもう、疲れてしまいました・・・。自分の中に留まっている記憶を、そろそろ弔ってあげたい。・・・全てを抱きしめて、遠い誰の手も届かない場所へ、僕が持っていきます。・・・だからすみません、永井さん」 俺の前で膝をついた近江は、流れ落ちる涙で濡れている、俺の頬にそっと触れた。 まるで母親が、泣きじゃくる子供にするような仕草だ。 年の功というやつなのだろうか、こんなにも様になってしまうのは。 この温かい手の感触も、涙が溢れるような悲しみも、全部、俺は忘れてしまうのか。 ならば、せめて。 今の俺の、このみっともない姿を、お前の目に映してくれ。 お前の側にずっといたいと願う俺を、そこへ一緒に連れて行ってくれ。 そうしたら、今ここに在る俺は、お前の中でずっと生き続けられるだろう? 俺が抱き寄せると、近江は驚いたように一瞬身を固くしてから、ゆっくりと俺の背中に腕を回した。 震えそうになる声をどうにか制し、彼に伝える。 「お前に出会えて、本当に良かった」 第六楽章 終 [*前へ] [戻る] |