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忘却葬送曲
Sixth Movement 1

近江の話を聞き終える頃には、日がすっかり暮れていた。
広い空も、俺達も、整然と並ぶ墓石も、全てが茜色に染められている。

墓地の脇に作られたコンクリートの階段に、俺と並んで座っていた彼は、ゆっくりと立ち上がって言った。

「以上が、あの島で僕と透夜と、永井さんのお父さんが経験したことです。・・・もし、僕が死んでいない事を知っていたら、透夜もあんな事件を起こさずに済んだのかもしれない。・・・本当に僕は、失敗してばっかりだな」

そう言って近江は、深いため息をついた。
どこか、苦労に苦労を重ねて疲れきった俺の親父のような面影を、彼はふいに見せる。

そう言えば、こいつは一体何歳なんだ?
少なくとも、あの時に高校生だった俺よりは年上のはずなんだが、全くそうは見えない。

「そりゃあ、お前のせいじゃないだろう。・・・全く親父も、いざって時に役に立たないな。どうせその後、怪我した足で無理して、透夜と静香さんを船まで連れて行って・・・片足を失ったんだ。本当に不器用で、馬鹿みたいに優しい奴・・・全然、軍人には向いてねぇよ」

近江は俺の顔を見て、穏やかに微笑む。久しぶりに見た旧友を、懐かしむような表情だ。

「そうですね。・・・あなたに、本当によく似ています」

嬉しそうにそう言って、彼はにっこりと笑う。
急に照れくさくなった俺は、ごまかすようにしかめ面をして、頭をぼりぼりと掻いた。

「ああ、認めるよ・・・親子して自分の仕事を放り出して、お前達を助ける方を選んだんだ。まあ、後悔しちゃいないさ、お前と透夜に出会えたんだから」

「僕もあなた達親子と出会えて、本当に良かったです」

「・・・そのうち、俺の親父の墓参りにも来いよ、絶対泣いて喜ぶぜ」

「ふふ・・・はい、そのうちに」

少し寂しげな笑い声を立て、近江は地平線に沈もうとする夕日を見た。
同じ方を見ようとした俺は、ある違和感に気が付き、再び彼に目を移す。

何かが、おかしい。
彼を取り巻いている空気が、何故か作り物のような嘘くさいものに感じる。

彼の足元を見た俺は、ようやくその理由を理解した。
激しく動揺して上擦りそうになる声で、彼に問いかける。

「・・・近江、どうしてお前には、影がない?」

普通にあるべきはずのものが、彼の足元には、なかったのだ。

強烈な西日を浴びても、影法師一つ作らない体をこちらに向けた彼は、困ったような笑みを浮かべる。

「ああ、ばれちゃいましたか。ほら、僕は普通の人間じゃないでしょう、銃弾を浴びても生き返っちゃいますし、人の記憶を消せちゃいますし・・・」

「それはそうだが・・・結局、お前は何者だ。どうして、いつからお前は・・・」

普通の人間では、なくなってしまったんだ?

どうして、そんなに悲しそうに笑うんだ?

俺はそう尋ねそうになる口をつぐみ、近江の答えを待った。
夜の闇が迫りつつある空を見上げた彼は、静かに語り始める。

「強く、願ったんです。全てを、忘れて欲しいと・・・悲しみも憎しみも全部、僕が背負って、どこか遠くに持って行ければいいと。・・・そんな可笑しな願いを、かみさまが気まぐれに叶えてしまったんです」

近江は、恐ろしい程無表情な顔を俺に向け、淡々とした声で話し出す。

「今から五十年程前、世界規模の大きな戦争がありました。・・・永井さん、知っていますか?」

「いや・・・確かに俺は、歴史に詳しくないが。そんな話、全く知らないぞ・・・?」

「ええ、そのはずです。この世界のどこにも、その「記憶」は残されていませんから」

彼が口にした言葉に、俺は息を呑む。
まさか、こいつは。

「はい。僕はその戦争があった事実を・・・それに関する記憶の全てを、消し去りました。あの頃起きた事を知っているのは、僕以外には誰もいません。・・・まあ五十年も経ちましたから、実際あの頃生きていた人々も、だいぶ減ってしまったでしょうね」

近江は普段通りの調子に戻って、口元に笑みを浮かべる。

なんて、途方もない話だ・・・世界の歴史さえ、こいつには消去出来てしまうのか。
俺は困惑した声で、近江に問い質す。

「・・・ちょっと待て、じゃあお前は何歳なんだ。五十年前、お前は・・・」

「ほら、この前夕食で話した通りです。学校にある本を全読破しようと頑張ったり、生徒会長として仕事をしたり。ただの、普通の高校生でしたよ」

いつもと同じはずの、彼の気の抜けた口調が、とても重たいものに感じた。

俺は頭を手で押さえ、苦しげに言葉を吐く。

「・・・それから五十年間、お前はずっと、そうやって生きてきたのか・・・!」

誰にも理解されない、誰とも共有できない悲しみを、孤独に背負って。

それはあまりにも、残酷じゃないか。
何てことを、お前は願ってしまったんだ、近江。

「・・・そんな悲しい顔をしないでください、永井さん。これは僕自身が望み、選んだ事なんです。・・・あの戦争の記憶を、消さない方が良かったのかもしれない。あれを、過ちを繰り返さないための記念碑にすれば・・・今の世界は、もっと良い方に進んでいた可能性もある。正志は、死なずにすんだのかもしれない。透夜も、あんなに悲しまずにすんだかもしれない。・・・でもそうするには、あまりにも悲し過ぎる記憶だったんです」

苦しげに眉をひそめても、彼の口は微笑むことをやめない。
俺はそんな彼を責めるように、強い眼差しを向ける。

「・・・それでお前は、いつまで生き続けなければいけないんだ・・・年を重ねられない不死の体で、そんな記憶を背負って・・・どこまで、進むつもりだ?」

「確かにこの体は、死ぬ事は出来ません。けれど、この世界から消える方法はあるんです」

「消える方法・・・?」

「はい。消える、方法です」

聞き返した俺に、彼は寂しげに笑って答えた。

水平線から、太陽の姿が完全に消える。
それでもまだ赤く照らされている世界は、彼の姿を不自然に浮かび上がらせていた。


忘却葬送曲〜第六楽章〜

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