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同盟・捧げ物小説
仙里朱李さま(カナさんとクロシェさん)
「aquilone ──凧」


 湿気を帯びた風が木立を吹きぬける中、黒い点が青い空でゆらりゆらりと動いている。それは鳥の動きとは似て非なるものであり、ましてや葉っぱが舞い上がっているのでもない。自然物の動きとはおよそかけ離れた黒い点が空で一回転するのを、カナは目を細めて見ていた。

「……なあに、あれ」

 隣を歩くエリディアがあからさまに怪訝そうな声を上げる。

「鳥じゃないわよね」

「凧、でしょうか」

「凧って」

「木や竹で作った骨組みに布を貼って、空へ飛ばすものです」

「勝手に飛ぶものなの」

 いや、と答えかけて、ピンとくるものがあり、カナは前方へと視線を戻した。

「糸をつけて地上から飛ばすので……地上で操作している者がいるはずです」

 少しだけ温度の低くなった従者の声に察するものがあったのだろう。エリディアはああ、と頷いて腰に手を当てた。

「わかるわ。そういうことをしそうな奴、二人くらい察しがつくもの」

「行くのをお止めになりますか?」

 足を止めたカナの手には紅茶を入れる為の一式と、スコーンとジャムの入った籠が握られている。

 美味しい紅茶の葉が手に入ったからとウィディールの所へ届けに行こうとし、ついでにスコーンも焼いていたらエリディアも一緒に行くと言ったのが今朝のこと。しっかり布につつまれたスコーンはまだ温かく、ほのかに芳ばしい香りがする。

 ところが行った先で、ウィディールは出かけている、という。その話に疑念を持つべきだった。彼の屋敷から少し離れたこの場所まで二人に足を向かわせたのは、ただ単に葉を渡したい思いのみによる。

 カナと同じく紅茶好きであるウィディールに、この葉を届けられないのは残念ではあるが、凧を揚げているであろう人物を思えば引き返した方が無難なのかもしれない。

 案の定、エリディアもあまり良い顔をしてはいない。嫌いではないのだろうけども。

 主人である彼女の意志が、カナの中では絶対命令にあたる。帰る、という言葉を想定しつつ、主の顔を見ていると、その唇が「行くわ」という言葉を紡ぎ出した。

「別に喧嘩しに行くわけじゃないんだから」

 するかもしれないけど、と不穏な言葉を吐いて、エリディアはカナを置いて歩き出す。

 かつかつと進む足音に促されて苦笑したカナがその後について行くと、木立を抜けた先で開けた場所が二人を出迎えた。

 雨続きだった日々に終止符を打つかのような晴れ渡った空と、青々とした芝生が風景を二分している。そっと顔を覗かせる木々の遠慮がちな姿が、広大な景色に色を添えていた。

──だが。

「……二人じゃなくて三人だったわ」

「賑やかですね」

 エリディアの低い呟きが聞こえたわけでもあるまいに、芝生の上で仰向けになっていた人物が起き上がり、こちらを振り向く。つられて、隣で空を見上げていた人物も二人を認めて、笑った。

「何だ、お二人さんで」

 ざんばらになった榛色の髪の下で、濃灰の瞳が片目だけ穏やかな光を宿す。もう片方は眼帯に覆われていたが、長身痩躯の姿から感じられるのは怖さではない。

「届け物よ」

 言いながら歩み寄るエリディアはカナを示す。

 カナは立ち上がったウィディールの前に籠を差し出した。

「良い紅茶の葉が手に入ったので、よろしければと」

「うわあ、いい匂い」

 ウィディールが手を出すよりも早く、脇から伸びた手が籠にかかった布をめくる。淡い金色の髪を持つ彼は、青い瞳をカナに向けた。

「スコーンだね。焼きたて?」

「はい。紅茶と一緒に頂いてもらおうと思いまして」

「相変わらず上手だね。お腹も空いてきたし、そろそろ休もうよ」

 自分は何もしてないにも関わらず、イシスはのんびりとした口調で言う。これにはエリディアが応えた。

「じゃあ、あの凧揚げてるのってクロシェなのね。一体、どこで手に入れたのよ」

「いや、見よう見まねで作ってみたんだとさ。それで揚げてみたいから、じゃあってことで朝からここに」

「あんたたち、朝からずっと?」

「朝食は食べたよ」

 カナから籠を受け取ったイシスはすっかりご機嫌である。

 空手に風が触れ、カナは思わず空を見上げた。黒い点は相変わらず優雅な動きを見せている。

 それがどこか、好奇心を持っているようにでも見えたのか、ウィディールが声をかけた。

「しばらく俺たちで話しているから、行って見てきたらどうだ。せっかくの好奇心を無駄にするのは勿体ねえぞ」

「……承知致しました」

 カナは一礼し、ウィディールが苦笑しているのを目の端にとらえながら、凧を揚げるクロシェの側へ歩み寄る。

 灰色がかった金髪は頭の後ろで少しだけ結ばれ、残りと共に風に揺られるままになっていた。後ろからでは見えない濃灰の瞳と共に、その興味も注意も、遥か上空から自分たちを見下ろす凧に向けられている。

 しかし動物的勘というやつか、それともただ単に気配を察知する力に長けているのか、さほど近づかない内にその注意はカナへと向けられ、クロシェは本当に嫌そうな顔をしてみせた。

「……何だ、お前かよ」

「毎度のことながら、芸のない言葉ですね」

「お前に見せる芸なんてない。何だよ、何か用」

 視線を凧に戻して言う。カナもその視線の先を追った。

「作ったそうですね」

「へ?ああ……何か、面白そうだったから」

「鳥でも飼い馴らして飛ばせた方が、もっと有意義だとは思いますが」

「つまんないこと言うなあ」

 クロシェがちらりとカナを振り返る。

「飛びそうにないもんが飛ぶから面白いのに。……ま、お前らしいっちゃお前らしいか」

「どこまで上げるつもりなんですか?」

「さあ?上がるところまで。雲の上くらいまで行ったら楽しいなとか思うけど」

 クロシェらしい楽天的な発想だった。カナが答えずにただ凧を見上げていると、静かなその様子が気味悪く映ったのか、クロシェが訝しげに問う。

「なあ、何だよ。何か用」

「いいえ、特には」

「……ウィディール様に何か言われたのか」

「ええ。知りたいですか?」

「う……いいよ別に。ただ、お前が何も言わないであんなの見てるのが珍しいなって思っただけ」

「そうですね。……自分でも珍しいと思いますよ」

 ウィディールに言われたから、と理由をつけることも出来るのに、何故か今の自分の口はそれを言いたがらない。

──何故だろうか。

「凧、好きなの」

「さあ。好きでなければ見てはなりませんか」

「好きじゃなくてもいいけどさ。嫌いだから見てるってのもおかしいだろ。お前ならやりそうだけど」

「好きでも嫌いでもない場合でも、見てみたいと思うことはあるのですよ」

 クロシェがカナを振り返る。

「……そういうもん?」

「お前にはわからないでしょうが」

「あー……多分な、わからないと思うよ。いや、わかるかもしれないけど、見てるお前がわからないって思ったら、見られてる凧だってわからないよ。言葉や態度にしなければわからないことを、誰かに察して欲しいと思うのは欲が過ぎると思うけどね、俺」

「私にそんな欲はありません。あるかどうかすらも怪しいものですが、無いと言い切れる根拠ぐらいはあるつもりです」

「ややこしい奴」

「日頃からよく考えて生きているもので。お褒めに預かり光栄ですね」

「ああそう、そりゃ良かった……って、うわっ!」

 その時、突風が吹きぬけ、芝や葉を撒き散らして天へと舞い上がる。

 すると上空でも同じかそれ以上の強風が吹いたらしく、それまで優雅だった凧の動きが乱れ、遠目からでもわかるほど大きく布を膨らませたかと思うと、あっという間に風にもぎ取られてしまった。

 ぶち、という小さな音が振動となってクロシェの手に伝わる頃には、凧は晴れて自由の身となり、怪鳥よろしく青空の中を遠くへ飛び去っていった。

 ぼんやりとその行方を見つめていたカナの前で、クロシェが小さく息を吐く。

 穏やかな風が辺りに戻った。

「……もうちょい強い糸が良かったかなあ」

 あまり気落ちはしていないようだ。手持ちの簡単な操縦桿に糸を巻きつけながら手繰り寄せる。

「ここは遮る物もありませんから、風の通り道にでもなったのでしょう。例え強い糸を持ってきたところで同じことになると思いますよ」

「ま、だろうな」

 珍しくカナの言に噛み付かず、クロシェはまた嘆息する。

 二人して凧の行方を眺めていると、カナは口を開いた。

「また作るつもりですか」

「いや。多分、もう作らないよ。楽しかったけど」

 楽しかったけど、という言葉に、凧を見つめていたクロシェの背中が重なる。

 彼は凧に何を見ていたのだろうか。

「しっかしまあ、これであの凧も自由の身かあ」

 糸を巻き終えたクロシェは大きく伸びをしながら、踵を返した。側を通り過ぎる間際、カナは低く呟く。

「本当に自由かどうかはわかりませんよ。そのうち、風か何かで手折られるでしょう」

「そういうもんかね。自由かどうかなんて、あの凧がそう思えばそれでいいんじゃないの」

 後頭部で手を組みながらクロシェは歩きだす。思わず、言葉を返すのを忘れてしまった。

 ぼんやりと彼の言葉の名残を反芻していると、当の本人であるクロシェが、合点がいったような声を上げた。何事かと体をそちらに向ければ、話し込む主人達を指差してカナを振り向いている。

「ああ、そっか。お前が来たのってあれか」

 あれ、とはイシスの手にしっかりと握られた籠を指している。

 カナが紅茶を淹れてくれるのを待っていたのだろう。踵を返した二人を認めて、手招きした。

「今、行きます」

 クロシェが手を振って応える。こちらを振り返らずにさっさと歩き出した背中に向かって、カナは小さく息を吐いた。

「ああ、先に言っておきますが、お前の分は用意していませんよ」

「別に、誰もねだってない」

「後で無いと言われても困りますから。それとも恥ずかしいのを承知で駄々をこねてみますか」

「こねるような駄々もないし」

「それは良かった。では、空腹を抱えて頂くだけになりそうですね。ちなみに、はしたない真似はなさらないように。エリディア様だけでなく、ウィディール様やイシス様にも呆れられたところで私には何の関係もありませんが、一応」

「そんなことするかよ!」

 顔を赤くして言い募るクロシェを適当にあしらい、カナは彼を追い越して歩く。

 糸の切れた凧が果たして本当に自由だったのかどうか、わかるのはいつになるだろう。

 誰にも見られぬよう緩めた口許に、穏やかな風が触れた。

 そんなことは世界にとって、ほんの些細な事にすぎないんだよ、と囁いているようだった。





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