煩い 無機質な音と機械音、そのいつもの音も、今は作業場には響いていなかった。軍手を外した掌を見つめて、ぼーっとしてみる。気のせいかウチ、集中出来ていない。 この前からおかしかった。部屋にあの子がいて話したあの時から、ずっと。胸のあたりがキツくて、食事も喉を通らない。どうしたんだろう、ウチ(病気、なのかな) こんなの初めてだった。こんな、煩わしい気持ち。 よく、分からない。 『……あの、』 「……あ」 いつの間にか開いてた扉から人影が見えた。静止したように動けなくなったのは、その見えた人物がたった今考えていた人だったからかもしれない。ここにいたんですね、とその子は笑った。ウチはというと、また心臓のあたりが狭くなった気がして、萎縮する。(苦し、い) 『ここがスパナさんの作業場だったんですね…広い』 「……何か、用?」 『え?あっ、すみません…正ちゃんが最近スパナさん食べてないって言ってたから、コレ』 「ん?」 『おにぎりです、和食、好きなんですよね。作ってきたから、どうぞ』 白いオニギリをお皿に乗せて差し出しながら、零という子はウチの前に座った。オニギリ…オニギリだ。こんな芸術的な三角を握れる人がいるとは(ウチは丸にしかならないのに…) じぃとオニギリを観察していると零って子に不思議がられた。嫌いでしたか?そう不安そうにこっちを見る。 「いや…三角に握れるなんて…さすがジャッポネーゼだな」 『え?ああ…おにぎりだけは得意なんですよ、私』 「スゴイ…ウラヤマシイ」 『(そんな間近で観察しなくても…)お母さんがおにぎりぐらい作れないとって煩くて、だからそれで練習を』 「ふうん…」 『?どうしました』 「…ウチ、ジャッポーネが好きなんだ」 『ジャッポーネって…日本のことですか?』 「うん、そう。いただきます」 『あっ、どうぞ』 手に取ってもボロボロと崩れない。そんなことが嬉しくてじろじろ見ているとオモシロい人ですねなんて笑われた。そんな事はないのに。(正一のほうがオモシロい)(…眼鏡だし) 自分ではさほど気にはしてなかったけど、実際食べてみると自分がどれほど食べるという作業をしてなかったのかが身にしみて分かる。それと同時に目の前の視線に少しだけ違和感を感じた。やっぱり、ちょっとだけ胸がおかしい。(おなか減ってるはずなのにな)(零って子が見てると…食べれない) 『……。あの、スパナさん?』 「……ん。」 『なんか、首だけ違う方向見ながら食べてますけど、食べにくくないですか?』 「大丈夫……ちょっと苦しいくらい」 『いや、そんな無理しないでください(やっぱり変な人)』 「ん、んん」 『変な食べ方すると、のどに詰まっちゃいますよ?』 ほら、こっち向いて、なんてつなぎの袖を引っ張りながら彼女はウチの顔を元の向きに戻す。どこから取り出したのか、水筒のお茶をウチの湯呑みに注ぎながら彼女は怒った。アンタを見ると、逆に食べれなくなっちゃうんだけど。(胸がいっぱいになる、というか)(やっぱりウチオカシイ) はい、と渡されたお茶を飲んだ。彼女は心配そうにこっちを見ている。 「……大丈夫。そんなに見なくてもオニギリを喉に詰まらせたりしない」 『本当、ですか?』 「食べ物は20回噛めって、おじいちゃんからの教えだから、平気」 『ふふ、そうですか』 「うん。」 『……嫌われたかと思いました』 「ん?」 『夜中に部屋で会ってから、もう何日も顔見なかったから』 「……あ、うん」 『忙しかったんですか?ご飯も食べてないって正ちゃんも言ってたし』 「……」 『ちゃんと寝てくださいね。私の部屋のベッドもスパナさんのために空けてますし…また寝にきてください』 体壊しちゃう前に、そう言って零って子は微笑んだ。何となく胸の奥が痒くなったみたいで、ウチは目が合わせられない。どう、しよう(また心臓が…ウルサくなってきた) 一気に食欲が無くなって右手に持っていたオニギリをお皿に戻した。やっぱりウチ、病気なのかもしれない。(食べれなくなる、とか)(おかしい) 『?どうしましたスパナさん』 「…」 『…スパナさん?』 「ウチ…最近おかしい。ここが痛くなったり、食欲なくなったり、何も集中できなくなったり、する。」 『…ここ、って、胸ですか?』 「うん」 『……そうですかどうしたんでしょうかね…』 「……さあ」 『あ…もしかして』 「ん?」 『恋、してるとか?』 「……コイ?」 『はい。あ、もちろん池の鯉じゃないですよ?恋愛のほうの恋。』 「…レン、アイ」 『誰かを見てるとそうなるとかありませんか?その人を考えると、胸が痛くなるとか』 「……」 『それが違うなら…やっぱり疲れが溜まってるんですかね?休んだ方がいいですよ』 倒れちゃうといけないし、そう眉間にしわを寄せながら、彼女は自分の事のように心配する。でも当のウチは彼女がその前に言った言葉に思考が止まっていた。コイ…恋。考えもしなかった単語に囚われてしまう。わからない、けど、この現象がもしかして(そう、なのか?) もう一度その原因に目を向けてみる。恥ずかしいほどキツく、胸が苦しくなった。 『!あ、もうこんな時間…正ちゃんと約束してたんだっけ』 「……」 『ごめんなさい、私そろそろ行かなきゃなんで…お皿はその辺に』 「……アンタは」 『はい?』 「正一と仲良いけど、好きなのか?正一が」 『え……』 「……」 『なっ、まさか!そ、そんな』 「……顔が赤い」 『ち、違います…そりゃたまにときめいたりはするけど、そんなんじゃないですよ』 「……」 『というかどうしたんですか?いきなり』 必死に赤い顔を戻そうとする彼女。どうしたのか、という問いに答えないウチにしびれを切らしたのか、彼女は水筒を持って立ち上がった。答えられなかったのは、赤い顔にモヤモヤしたからなのか、生まれて初めてヤキモチというものを妬いていたからなのかはその時は分からない。 ただ、一つだけはっきりした。 『じゃあ、えと…おにぎりは全部食べてくださいね。お皿は後で取りに来ます』 「…アンタ、作ったときつまみ食いしたろ。」 『え?』 「ほっぺた、オコメ」 『!わ、付いてたなら早く教えて』 「嘘、冗談だ。」 『え…』 「ウマかった。また作って。」 『……スパナ、さん』 「ありがとう、零」 頬を優しく触って笑って見せる。今日初めてまともに彼女の顔を見た気がした。ぼっと赤くした顔で頷いた零は作業場からドタバタ出て行く。顔を触られて嫌だったのかと、少しだけ落ち込んだ。(あ、指が黒く汚れてたからかも) はっきりとした気持ちは未だに整理がつかないけど、でもこの気持ちは間違いないではないと思う。 そう感じながらオニギリをまた掴んだ。 「……ウマい」 無機質な空間の中で、煩っていた胸が、少しだけ満たされる気がしたんだ。よく、分かんないけど。 「……零のこと、もっと知りたい そっか……これが」 好き、ってことなんだ。 緩む顔はどうにも隠せそうにない。誰もここに来ませんように、ただただそんな事を祈った。 lovesickness (大きな障害が待ってるなんて知らずに、ただ今は、気づけた歓びに浸っていた。) [←][→] |