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Sostenere 2

 ふっと意識が戻ったのは、首筋に寒さを感じたからだった。
 ゆっくりと目を開けても、視界がはっきりしないことに疑問を感じる。頭だけ持ち上げてあたりを確認すれば、窓の外がすっかり暗くなっているのが分かった。
 慌てて枕もとのチェストの上に置いてある時計を確認すれば、もう真夜中だった。およそ10時間ほどぶっ続けで眠りつづけていた計算になる。あれだけ寝入ることができなかったのにと、呆気にとられたまま起き上がった。
 ベッドには既にザンザスの姿はなかった。少しがっかりした気持ちになってしまった。一緒に寝ててやると言ったくせに、と胸の内で文句を零したが、彼が忙しい男だということは分かっている。これだけ時間が経っているのだから仕様がないではないかと自分に言い聞かせながら視線を巡らせ、ふとリビングとの境の扉の隙間から洩れる光に気がついた。
 ぴん、と期待に背筋が伸びた。逸る心を抱えながらベッドから降り、小走りに扉へ向かう。
 そろりと開けたその先、リビングのテーブルセットに我が物顔でザンザスが座っていた。来客用のマグカップを片手に、崩した体勢で本を読んでいる。
 馥郁としたコーヒーの香りと明るく柔らかい部屋の灯りに目を細めていると、本から目を上げたザンザスが了平の姿を認め、呆れたように片眉を上げた。

「てめえ、なんて恰好してやがる。」

 はっと気がつけば、自分は寝入ったときのままの恰好で、つまりは全裸で戸口に立っていた。

「ああいや、その、これは。」
「何か着てこい。」
「うむ。」

 慌てて寝室に舞い戻り、洋服ダンスを探ってジャージとTシャツを取り出した。ついでに替えの下着も。
 見回しても昼間着ていたスーツやシャツは見当たらない。ザンザスがどこかに片付けておいてくれたのだろうか。
 ごそごそと着替えていると、戸口に腕組みをしたザンザスが立った。

「具合はどうだ。」

 問われて気がつく。だるさや疲れがすっかり抜けている。ぼんやりしていた頭も大分すっきりした。
 ぐるぐると腕を振ったり首を回したりしてみる。調子はいい。

「うむ、いい。」
「腹は。」
「……へった。」

 言った瞬間、盛大に腹が鳴った。
 ぶ、とザンザスが噴き出す。

「そのようだな。」

 情けなく眉を下げた了平に向かい、珍しく口の端に笑みを浮かべたまま、ザンザスは声を掛けた。

「さっさと着てこっちにこい。飯食わせてやる。」



 大人しくテーブルについた了平の前に出されたのは、多種の野菜とマカロニ、鶏肉の入った具沢山トマトスープだった。

「おお!」
「がっつくなよ。」

 スプーンを手渡すザンザスの言葉も耳をすりぬけさせ、了平は手を合わせた。

「いただきます!」
「Prego.」

 どうぞ、とイタリア語で告げたザンザスは、またコーヒー片手に本を読み始める。
 小さく一口大にされた野菜はみな柔らかく煮込まれていた。マカロニも通常よりも柔らかくくたくたになっている。鶏肉も口に入れればほろほろとすぐ崩れた。トマトの酸味が胃の腑を温かくする。
 ここのところまともな食事をとっていない胃袋にはありがたい、消化に良さそうなスープだった。
 ものすごい勢いで1杯目を空にしてしまえば、ザンザスは「がっつくなと言ったろうが。」と言いながらも、今一度ボウルいっぱいにスープを渡してくれた。
 2杯目は先程と違ってゆっくり味わって食べながら、了平は首を傾げた。

「どうしたんだ、このスープ。」

 一体どこからこのスープを調達してきたのだか、疑問に思ったのだ。
 どう考えても、インスタントではない。野菜と鶏肉が美味すぎる。かといって、この時間では近所の惣菜屋も開いてない。
 ルッスーリアにでも作らせたものを持ってきたのか、ならば今度礼をせねばな、と推察していた了平に、ザンザスは本に目を落としたままさらりと言った。

「調味料は勝手に使わせてもらった。」
「……は?」
「てめえもう少し食材揃えとけ。買いに出たろうが。」

 ……………………………………………………………………………。

「お、おまえが作ったのか!」
「他に誰が作るんだ。」
「おまえ料理できたのか!?」
「……失礼なこと言いやがるな。」

 本から目を上げたザンザスは、白い目で了平を見た。

「普段せんではないか!」
「しないだけで、できないわけじゃねえ。」

 俺にできねえことはねえ、と豪語される。
 了平は改めてスープを見下ろした。
 ザンザスとの付き合いもそれなりになったが、ザンザスが作った料理を食べたのは初めてのことだった。イタリアで過ごす時間も長くなり、互いの家の行き来も何度もしてきているのだが、外食をするのでなければ料理をするのは専ら了平だ。ザンザスに作って食べさせるということで、了平は料理を覚えたくらいだ。
 ザンザスは年の多くをヴァリアー保有の屋敷で過ごすが、そこにいる間はルッスーリアを筆頭とした部下の誰かが料理をするらしい。また実家に帰れば、先代ドン・ボンゴレの御曹司である彼の家には専属の料理人もいるので、キッチンに入るまでもない(まあ、滅多に帰ることはないのだけれども)。だからてっきり、彼は料理というものをしないのだと思っていたのだが。

「すごく美味い。」
「当たり前だ。」
「極限に惚れ直した。」

 ザンザスは本に目を戻して、気のない声でそうかよ、と言った。



「昼過ぎに、電話があった。」

 2杯目もぺろっと平らげ、それでも満足しなかった了平に流石に呆れた顔をしたザンザスは、3杯目を分けてくると「もうねえからな。」と言って、自分は今度は酒を飲み始めた(了平の家に置いてある酒は、ほとんどザンザスが持ち込んできたものだ)。
 3杯目を食べながら、そういえばとザンザスの訪問理由を尋ねた了平に、やはり呆れた顔のままザンザスは頬杖をつく。

「電話?」
「沢田綱吉と山本武。正確には、山本はカスザメに電話を寄越したわけだが。」

 沢田はともかく、山本は俺の番号を知らねえからな、と酒を舐めつつザンザスは嫌そうに言った。綱吉が自分の電話番号を把握していることも腹立たしいと言わんばかりだ。
 なるほど、自分は余程みなに心配をかけてしまっていたらしい、と了平は思った。まあそれも無理からぬことだろう。こうして睡眠をとって栄養補給をしてだいぶ元の自分に戻ってきたから分かるが、確かに自分はかなりらしくなかったし元気がなかった。
 だが何もザンザスに連絡をとらなくともな、と思わないでもない。彼は保護者というわけでもないし、自分もいい年をしているわけだし。こうして気遣われてしまうと少々気恥ずかしいし申し訳ない。

「仕事のことは聞いた。てめえが柄にもなく頭を使う他ファミリーとの抗争防衛に奔走してるとか、人死にが出るのも避けづらくて大変そうだとかなんとか。」
「……柄にもなくとはなんだ。」
「慣れない上に嫌な仕事をさせてしまったせいか、元気がなくなっていて心配だ大変だどうしようと電話を寄越してきてな。あんまりオロオロと間抜けな声を出しやがるんで、『大ボンゴレのドンが阿呆な声出してるんじゃねえカスが、どうせ使えねえ脳味噌使って多少ホルモン系統のバランス崩しただけだろうがそれくらい察しろクソめ、てめーそれ以上あんまり情けねえ様晒しやがるならこれからボンゴレ乗っ取りにいくぞドカス。』と言って切ってやった。」
「おまえ仮にも上司になんてことを……おまえが言うと冗談に聞こえんぞ。」
「何が冗談だ。そもそも俺は奴を上司と認めた覚えはねえ。」

 つんと鼻先を上げたザンザスは心底腹立たしそうだ。
 了平は思わず笑い出した。こんなことを言ってはいるが、ザンザスは綱吉を結構評価しているし、認めている。受け入れてやれないのは感情に因るところが大きいのだ。
 ザンザスの性格からして素直に従ってやることもできないでいるが、「大ボンゴレのドンが」と自ら言っているところに色々なものが表れていると、残念ながら当人も綱吉も気がついていないというだけで。
 じろりと視線を寄越されて笑いをおさめた了平は、今一度その発言を思い返してから首を傾げた。

「それにしてもなんだ、その、ホルモン系統のバランスがどうとかいうのは?」

 ザンザスは頬杖をついたままカラリとグラスを揺らし、くいっと片眉を上げて見せた。

「てめえ、精神的に嫌な仕事に、肉体的にも忙しく追われていたんだろう。」
「うむ。」
「睡眠時間削って食事の時間削って、結局いざって時に寝られねえし食えねえ状態になってたんだろう。」
「……うむ。」
「それで、溜まっても抜かないでいたと。」
「……それは関係があるのか……?」

 胡乱な表情をする了平に心外そうな顔をしてから、ザンザスはグラスに口をつけた。

「だから、男性ホルモンが一時的に低下してたんだろ。」
「……は?」
「不眠、食欲不振、集中力の低下、あとは鬱だの疲労感だのの精神的・身体的不安定。これは全部ホルモンバランスを崩して男性ホルモン分泌を低下させた成人男性の諸症状に当て嵌まる。……まあ、1番わかりやすいものとしては、男性更年期障害なわけだが。」
「お、俺はまだ20代前半だぞ!!」
「強いストレスだの疲労だのがかかれば、年齢関係なく男性ホルモンの分泌が低下することがある。」

 要するに、てめえのはそれだ。容赦ない調子でそう断言され、なんだかガーンとショックを受けた。
 なんだ、ホルモンって。
 ここ暫くこれでも色々悩んでいたのに、原因がホルモン?
 というか、更年期障害?
 そんなものに振り回されてしまっていたのか、自分は。
 ごん、と思わずテーブルに突っ伏してしまう(それでもスープ皿は避けた。だって勿体ない。そういう理性は働く)。なんだか自分が情けなかった。
 健康には気を遣っているつもりなのに、そんな、自分の体の中のことでこんな状態になっていたなんて、大変不本意だ。

「……極限に情けない……。」

 呻く了平に、ザンザスはひょいと肩をすくめた。

「若い慣れねえマフィアがたまになる。だから抜いとけっつってんだ。」
「……だから関係あるのか、それは。」
「ホルモンが分泌されるのは睾丸、つまり精巣だ。性欲減退もホルモン低下に関連しているからな、性行為である程度のバランスを無理やりとることが可能だ。加えて射精後の全身の筋肉弛緩は睡眠に繋がりやすい。疲労回復にもうってつけってわけだ。」
「………………。」
「……なんだその顔は。」
「小難しく科学的に説明しおって……おまえまさか、俺とのセックスをそんな風に考えてやってたりはせんだろうな?」
「なんで俺がそんな面倒なこと考えながらてめーとセックスしなくちゃならねえんだ。ふざけろ。」

 本気で顔を顰められ、内心ほっとして了平は突っ伏し直した。
 なるほど、あれだけ寝付けなかったのがまるで嘘のように、泥みたいに寝込んでしまった理由が分かった。無理やりイかされたことによって、弛緩した身体が睡眠を求めたのだろう。疲労が回復されたことにより、食欲も戻ったのかもしれない。
 そして、あの熱のこもらない機械的な行為の理由も。

 心が離れたとか、行為を嫌がられたとか、そういう理由じゃなくて良かったと、本当に了平は安堵した。







 結局1人でスープを全部平らげれば、今度は熱いブランデー入りミルクを出された。
 なんだか至れり尽くせりだ。
 ふうふうと冷ましながら飲んでいる間に、食器類はみな片付けられてしまう。正直自分でやる気力があるかどうかは疑問だったので、大変ありがたい。だがしかし、ザンザスがそういうことをしている姿は見慣れないので、なんだか腰のあたりの据わりが悪いというか落ち着かないというか。
 きっちり腕まくりをして皿を洗う様子を眺めているうち、泡がついたその腕になんだかむらむらしたというか。

「飲み終わったなら寝ろ。」

 片づけを終えタオルで手を拭いたザンザスは、ミルクを飲みほした了平からマグカップを受け取り、今一度キッチンに戻ろうとする。

「おまえは?」
「俺はこの本を読み終える。――なにかあったら声をかけろ。」

 顎で示された本は分厚いシリーズもので、5連作のうちの4冊目だった。栞はまだ最初のほうに挟まれている。先の3冊は了平が眠っているうちに読み終えていたらしい。5冊目もすぐそばに置いてあることから、彼が最後まで読んでしまうつもりでいることが分かる。
 これは朝までこの家にいる口実を作ってくれたのだろうと、察するのはたやすかった。……本当に至れり尽くせりだ。
 この男に大事にされているのだなあと思えば胸の内になんともいえない思いがわき上がる。
 その気持ちのまま、キッチンへ戻りかけるザンザスの背中にばふっと抱きついた。

「……邪魔だ。」

 うるさそうな口調で邪険に払われそうになるが、体温を感じて匂いを感じて、やっぱりなんだかむらむらしてきた。
 1週間ぶりに聞く声。2週間ぶりに触れる肌。

「ザンザス。」
「……なんだよ。」

 引き剥がそうとしても一向に離れようとしない了平に、ザンザスはあきらめたように腕を止めた。無駄に鍛えているわけではない了平は腕力が強い。半ば面倒そうに首だけで振り返る。
 そこへ、首を伸ばして口づけをした。

「……何の真似だ。」
「寝る前に運動が必要な気がする。」

 ぎろりと視線が刺さる。

「なんの冗談だ病み上がり。」
「えーとなんだ……あっ、極限にホルモンが足りん!!」
「わざとらしいな。つーかてめえ、さっきまでホルモンについて知らなかったじゃねえか。」
「そこはそれ、血を見たら怪我をしたところが痛くなってくるのと一緒で。」
「そんな繊細な神経してねーだろうが。離せカス。」

 結局引き剥がされて残念そうな顔をすれば、ザンザスは鼻を鳴らした。

「その気にさせたきゃ、色っぽい誘い方でもしてみろ。」

 常日頃了平の色気のなさに言及している彼にすれば、それはつまり不可能であろうことを要求しているということで。
 体調を気遣われているのだろうとは思うが、そういう言い方をされれば、了平だって少しはむっとしたりする。
 それ以上なにも言うことなくマグカップを洗いはじめたザンザス。了平はその場に佇んだまましばし考え込んだが、やがて妙に素直に寝室に向かった。



 少々手間取った了平が寝室から出てきたとき、ザンザスはソファーセットに移りまた酒のグラスを片手に本を読んでいたが、了平の姿を見て盛大に噎せた。
 滅多に見ることのできない冷静な恋人のそんな様に、了平は腰に手を当てにやりと笑う。

「どうだ恐れいったか。」
「げほっ……お、まえ、なんていう恰好を……。」

 先程了平が起きてきたときと似たセリフを投げかけられる。
 寝室から出てきた了平の恰好を、ザンザスが咎めて。
 違うのは、了平が素っ裸ではなかったところだ。
 素っ裸ではなかったが、普通の恰好をしていたわけでもなかった。
 ザンザスは天井を仰ぎ、目も当てられないという風に片手で顔を覆う。

「……人の服を、勝手に使いやがって……。」

 呻くような言葉に、了平は今度は楽しげに笑った。
 そう、了平はザンザスのジャケットを羽織っていた。黒と白のモノトーンのそのジャケットはヴァリアーの隊服だが、他の幹部隊員たちのものと違い、ファーのフードがついていない。
 ザンザスが滅多に腕を通すこともなく肩に引っ掛けているだけのそれを、了平はボタンまで留めてきっちりと着込んでいた(ダブルボタンなので留めるのに結構手間取った)。そうしてしまえば首元から太腿までが細身のジャケットで覆われてしまう。ザンザスと了平に身長差があるとはいえ、流石に裾は膝までは届かないのだが。
 そしてその足元。ジャケットの裾から伸びているのは素足だった。

「ちなみに上のTシャツも脱いでから羽織ってきたぞ。」
「……。」

 ずる、とソファーの上をずり落ちるザンザス。顔は覆われたままだからどんな表情をしているのか伺い知ることができないが、結構な衝撃を与えられたことは確かなようだ。
 以前、沢田や獄寺が、「カノジョが自分のシャツだけ羽織ってウロウロしてたりするのが可愛い、色っぽい」などと言って盛り上がっていたのを思い出して実践してみたわけだが、思った以上の効果だった。
 座っているザンザスに近づき、その顔を覆う手を離させ、首を傾げながら悪戯っぽい顔で見下ろす。

「その気になったか?」

 ザンザスは眉根を寄せたままちらりと了平の顔を見上げ、そのまま上から下までまじまじとその恰好を確認した。
 それから口許を歪ませると顔を逸らす。

「……脛毛と筋肉が結構な破壊力を、」
「うるさい黙れ。」

 思わず手が出た。
 どうやら了平が思っていたのとは別の意味で目を覆っていたらしい。失礼なことだ。
 だがどうやら色っぽさ(?)で動揺を招きその気にさせる作戦は不成功だったようだ。煽られるのは自分ばかりかと了平は口を尖らせる。たまにはこの男の落ち着いた顔を、そういう意味で焦らせてみたいのに。
 軽く殴られた頬を擦っていたザンザスは、今一度ちらりと了平の顔を見上げ、深い深い溜息をついた。
 ますます唇を尖らせた了平の腰にその腕が回される。驚く了平をよそに、そのまま膝の上に引き上げられた。
 自然、ジャケットの裾が引き上がり太腿が露わになる様に、ザンザスの目が細まる。

「……煽ってンじゃねえよ、クソガキ。」

 向かい合わせにして乗り上げた了平は目をしばたかせる。その頬にそっと大きな掌が触れてきて。

「俺の我慢にも限界がある。」

 見降ろした赤い瞳の中、隠しようもなく揺らいでいる炎。
 細められたその瞳に、彼が欲情していることを悟る。

「……脛毛と筋肉の破壊力がどうとか言ってなかったか。」
「ああすげえ破壊力だ。――だがおまえにそういう恰好されて俺が何も思わないわけね……おいてめえまさか、下着も脱いできやがったのか。」
「ああ、うむ。全部脱いでジャケットだけを羽織ったが。ほら。」
「見せねえでイイから裾まくるなバカ。」

 慌てたように腕を掴んで了平を止める。
 そうして両手を掴んだまま、脱力したようにソファーに頭を預けた。眉根を怒ったように寄せているが、その表情の中に困惑したような色が窺える。
 その表情が妙に可愛らしい気がして、了平は思わず顔を寄せて口づけた。
 顔を離してもまだ、ザンザスは困ったような顔をしている。

「……なんかおまえかわいいな……。」
「あァ?」
「なんというかこう……ヤってしまいたくな痛ッ!!」
「調子に乗るんじゃねえ。」

 まじまじと顔を見つめていたら、思い切り頭を殴られた。仮にも恋人相手に、容赦がない。まあ自分もさっき殴ったから五十歩百歩か。
 殴られた場所をなでていると、また深々と溜息をつかれる。
 それから唐突に、視界がくるりと反転した。
 気がつけば、ソファーに押し倒される形になっていて。

「……その気になったか?」

 再度、尋ねる。
 逆光の下、見上げれば瞳だけが赤くくっきりと見えた。
 ゆら、とその瞳の中の炎が揺らぐ。

「……その気にさせた覚悟をしろ。」

 ふん、とザンザスが笑む。
 了平も笑った。

「極限に望むところだ。」







 翌日。
 朝、了平の顔を見て、綱吉はほっとした。

「ああ沢田、おはよう!」
「おはようございます、お兄さん。」

 挨拶を交わした了平は、いつもの真夏の太陽のように明るい笑顔を見せていた。
 心なしか、足取りも軽いように思える。
 傍まで寄って来た彼は、照れたように笑った。

「すまんな、昨日は気を使わせてしまったようで。」
「いいえ、全然。……あの、ザンザス怒ってました……?」

 電話越し、低い声で凄まれたのはまだまだ記憶に新しい。たかがそれくらいでうろたえるなカス、とは言われたが、やはり彼の恋人相手に面倒事を押し付けた結果で体調を崩させてしまったのは、きっと腹立たしかろうなとは思う。
 まあ、自分からの電話事態が嫌がられてはいるのだろうけれども。情けないことしてるとボンゴレ乗っ取るとか言われたし。
 だが了平は首を振った。

「いや? ああそうだ、あいつから伝言だ。『エルバの件、半分ケツをもってやる』だそうだ。」
「えっ……、ほ、ほんとですか!?」
「ああ。俺には意味はわからんが。」

 なにかわかるかと尋ねられ、綱吉は目を見開いた。
 エルバというのは、現在了平が抱えている面倒な案件の、大きな根源となっているマフィアン・ファミリーだ。直接関係はないのだが、あちらの周到な根回しの末に、他ファミリーとの大きな抗争に発展しそうなのである。
 了平は、そのことに関しては関知していない。了平どころか、守護者の誰も、今回の一連の面倒事がエルバを元にしているなどとは誰も知らない。なぜなら対エルバに関しては、誰にも任せず綱吉1人で処理をしようとしていたからだ。
 誰にも漏らしていないある意味機密情報であるそれを、はたしてザンザスは一晩で調べてしまったのだろうか。恐ろしい男だ。
 だがしかし、その申し出事態は、正直ありがたいものだった。エルバは古いファミリーで、ボンゴレには匹敵せずともなかなかの伝統がある。ぽっと出のジャッポーネの若きドン・ボンゴレには、少々手に余るような相手で。エルバ相手だけではなくとも、イタリアの伝統に守られたマフィアの裏社会でまだまだ顔が利ききらないのは、綱吉の大きな悩みのひとつではあった。
 対してザンザスは、先代ドン・ボンゴレの御曹司だけあって、裏社交界での顔は広い。昔は色々な会合にも顔を出していたようだし、エルバにもおそらく顔が利くだろう。もしかしたらある程度の影響力もあるかもしれない。半分ケツを持つ、と言ってはいるが、彼が動けば問題のあらからは片付いたようなものだ。
 綱吉は、ザンザスに対して後ろめたい思いがたくさんある。こんな自分がドンになっちゃって、申し訳ないといつだって思っている。だからヴァリアーに対してはともかく、彼に対して何事かを頼むということができないでいた。今回、ヴァリアーを動かさなかったのはそういう意味もあったのだけれども。

「……あの、それがほんとなら、正直すごく有り難いです。」

 おずおずと、綱吉はそう言った。
 首を傾げていた了平は、にっと笑った。

「そうか。なんだかわからんが、それなら良かった。ああ、書類をまとめておいたほうがいいかもしれんぞ。午後にこっちに来るといっていたからな。」
「じゃあ整理しときます。」
「おう。ではな、また後ほど会議で。」

 くるりと踵を返すその背中を、綱吉は見詰めた。真っ直ぐに伸びた背中は、昔から変わらない。
 その背中越し、こちらに手を伸ばしてくれているザンザスを見た気がして、綱吉は1人微笑む。するりと、肩から何かが抜けた気がした。







 その日の午後。
 ドン・ボンゴレの部屋が半壊するという事件が起きた。
 苛立たしげに立ち去っていったのはヴァリアーのボスであったそうで、幹部らが苦言を呈したのだが、当のドン・ボンゴレはどこか嬉しそうに苦笑するばかりであったという。



END.


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あきゅろす。
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