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-惟神の道--
古神道とは(2)?

古代では、祭りを行う場合、磐境(いわさか)または岩座(いわくら)とよばれる神聖な場所か。あるいは神籬(ひもろぎ:古くは,祭りなどの際に周囲に常磐木(ときわぎ)を植えて神座とした場所をいう)という神座を設けて祭場としていました。

また太古には、大きな木の周辺とか近くの丘、山あるいは巨岩などに神が宿ると考えられていたので、これらを取り囲む広場などは聖地とされ普段は立ち入ることができない場所だったとされる。

当時の人たちは、氏族ごとに原始共同体的な農耕生活を主としていたと考えられています。
農耕はきわめて自然条件に左右されやすいものでありますが、古代人はこれら日照りや干魃や大雨などの気象条件の変化を神の業(おこない:わざ)とみて、神をおそれ敬ったのです。

したがって、神の存在を信じ、それぞれの生活規範の中で、神を求める敬虔(けいけん)な態度で接していたのでしょう。

つまり自ら神の神意の存在するということを推しはかり、これを生活規範に取り入れるならば、山河であれ、風雨などの自然現象であれ、あらゆる動植物のように生命のあるものはいうに及ばず、この世のすべてのもの、いわゆる森羅万象、どれ一つとっても神の存在しないものはないと信ずることができるようになります。
神々は常に立派に存在しているのですね。

古神道はこれまで述べてきたように、日本の国土に生まれ育った自然発生的な清らかな信仰なんです。

古代の人びとは、宇宙や自然界の神秘にふれるたびに、その不可思議な力に驚嘆しました。と同時に、これらを超人間的なしわざととらえ、神として畏(おそ)れたのです。

この心を日本人は、祖先以来、伝統的信念、生活信条として信奉し、信仰、思想の源流としてきました。
いうなれば、日本民族の精神生活の基盤ともいうべきものなんです。

こうして古代の人は、あらゆる超自然現象を神のなせるわざと考えて、神の存在を認めたのです。
そして、これをあがめるとともに、造化の神および祖先神の存在をも信じてきたのです。

そして、これらの神に対して、災いを除くことや福をもたらすことを祈ったり、報恩感謝のまことを捧げたり、あるいは神霊をなぐさめるということを行ってきました。

これが日本民族固有の信仰であり、古神道とよばれるものの本来の姿です。




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あきゅろす。
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