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-惟神の道--
不動明王/慈救咒

○慈救咒(じくじゅ)

不動明王の大・中・小の呪文(真言/陀羅尼)のうち中呪のこと、これを唱えると災いを避けられ願いも成就するという。


のうまく さんまんだ ばざらだん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん。


不動明王(悩みをくだく)

この明王は形はいろいろあるが、普通右手に剣を持ち左手に羂索という縄を持ち頭上に蓮華を載せ弁髪と呼ぶ髪を左肩に垂らしてる。
左眼を半眼にし右眼は見開き下歯で右の上唇をかみ口の両端に牙を出して忿怒の顔をもって火焔を背に上半身裸で立っている。この姿ですべての障害や悩みを打ち砕き人々を救いとるという。

もともと、この明王はドラヴィダ族というインドの原住民が西方から侵入してきたアーリア族に圧迫され奴隷を強いられた苦難を象徴してるとされます。

頭髪を束ねて左側に垂らし目や歯が不揃いで醜いのは、そのためだと言われます。
明王は別名(持明使者)といいます。如来が我々を救おうと願いが実現できるように、その前に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除くための使者として現れた仏です。

インドで仏教が密教化された段階で取り入れられました。

如来がその教えを説くのに、正攻法でまともに説いたものを素直に聞き入れる者ばかりとは限らず中には強情でツッパリ屋のひねくれ者がいて、その教えを聞き入れないときには心を鬼にして威嚇して従わせる必要がある。そうしたときに登場するのが明王である。


如来はそれ自身が救い主で厳然として存在をしているので(自性輪身:ジシヨウリンシン)といい、観音はその如来の分身として正攻法で慈悲の手を我々に差し伸べて救ってくれるので(正法輪身:ショウホウリンシン)といいます。

それに対して明王は逆手をとって救いを徹底させるので(教令輪身:キョウリョウリンシン)といい如来の変身した姿なのである。

明王の真言(陀羅尼=経文中の呪文)は特にその威力が絶大であるとされ我々の内外を取り巻くあらゆる障害を取り除くために明王の前でその姿を念じ、その真言を唱えると効験があらたかであるといいます。

もしも貴方が心身ともに虚弱でやるべきことを、なかなか実行できないとしたら明王を念持仏として信心してみたらどうでしょうか?
明王は優しさあふれる他の如来や菩薩と異なり忿怒の形相をしています髪型は焔髪で怒眼がすさまじく牙をむいて武器を持ち、一見して眺める者に畏怖の念を抱かせる。

このぐらい凄いかっこうをしてないと手強い敵(我々の自我や弱気)を撃破できないのかもしれません。

サンスクリット語では「アチャラナータ」といい、シヴァ神の異名であります。
激しく燃えさかる炎を背後にし、眼光鋭く、右手には「降魔(ごうま)の剣」、左手には綱をもっている。
そして、矜羯羅(こんがら)、制た迦(せいたか)の二童子を初めとして、八大童子などの使者を従えている。
背後の猛火は、迦楼羅鳥の吐き出す火炎であり、「迦楼羅炎」(かるらえん)と呼ばれています。

⇒明王の「明」とは、「真言」(マントラ)を意味していて、すなわち、明王は、真言の力そのものを体現した仏であります。

不動のお姿は、目を怒らせ、右手に宝剣を持ち左手に縄を持つ大変恐ろしい姿をしておられますが、
その心は人々を救済しようとする厳しくもやさしい慈悲に満ちております。


不動が右手に持っている剣を利剣といいます。正しい仏教の智慧で迷いや邪悪な心を断ち切りることを現しています。
左手の綱は羂索(けんさく)といいます。悪い心をしばり善心をおこさせることを現します。

足下の岩は磐石(ばんじゃく)といって、堅くて大きな岩を指します。迷いのない安定した心を現します。
お経では「金剛石に座し」と書かれていますから、巨大なダイヤモンドの原石に座っていることになります。



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あきゅろす。
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