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裏地球史ミステリー
ピリレイスの地図


人類未踏の地が地図に描
かれ、地形までをも正確
に描いていたら……
その情報と知識は誰が
もたらした?

(ピリレイスの地図)は
オスマントルコ海軍提督
だった、ピリ.イブン.
ハジ.ムメドが1513年に
作ったとされてます。

ピリが名前でレイスは
「提督」を意味します。
1929年、イスタンブール
のトプカプ宮殿博物館で
オスマン帝国公文書を
調査していた学者が

保管棚からホコリまみれ
の状態で発見した。

羊皮紙に描かれた
この地図は、上部と
右半分が破れて欠落して
いる。

残っているのは、大西洋
を挟んで、右側に
アフリカ大陸西岸の一部
と、左側に中南米大陸の
東海岸線の描かれた部分
です

さらに、下端に南極大陸
の北岸部分らしきもの
までが記されていた。

コロンブスが大航海を
経て、北米大陸に至った
のは1492年のこと。

そのわずか21年後に
中南米の海岸線が詳細に
描かれた地図があるのは
実に奇妙です。

中南米は発見された
ばかりで、探検が
行われている時代。

詳細な地図があろう
はずがない。
あれば危険を冒して
探検する必要など
ないですから

また、1818年に発見
された南極大陸が
描かれていることに
至っては…

大きな謎としかいいよう
がないです。

この地図の特徴として
海岸線が正確であるにも
かかわらず、中南米大陸
が不自然に細く描かれて
いること

南極大陸と南米大陸が
つながっていること
などが挙げられる。


こうした特徴から
地図をいい加減なもの
と切り捨ててしまうのは
早計であり

このゆがみに法則が
あったなら、それは
地図の正確さを裏付ける
証拠となるからです。


1950年代の後半になり
米国海軍のアーリントン
マレリー大佐が

この地図を「再発見」
することになります
マレリー大佐は
第二次大戦中に米国海軍
が、エジプトのカイロを
中心にして作成した
「作戦地図」と非常に
よく似ていることに
気づいたのです。

一般的に、地図は
丸い地球を平面の紙に
写しとるため、形、距離
方位、面積などを
すべて正しく表すことは
困難であり表すことは
できない。

「作戦地図」は
「正距方位図」と
呼ばれる距離と方位が
正確になるように
描かれた地図でした。

丸い地球を宇宙から
眺めたイメージを思い
描いて、見ている
中心から離れた部分ほど

大陸の形がひずむことが
容易にわかりますから。

マレリー大佐は
中南米大陸のゆがみこそ
が、この地図の正確さを
証明していると考えたの
です。

また、1950年代の後半に
地震波を利用した測定に
よって、南極大陸の
氷の下の地形が明らかに
なった。

マレリー大佐が、これと
比較したところ
ピリレイスの地図と
一致することがわかった。

ピリレイスの地図の
左隅には…

「ギリシアの
アレクサンドロス大王の
時代から伝わる20枚以上
の地図を参考にした」
という意味の文章がある。

しかも約6000年前の
氷冠に覆われている
以前の南極大陸の海岸線
が描かれているので
あるから、となると


この地図が作成された
のは?

いつの時代になるの
でしょうか?

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あきゅろす。
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