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裏地球史ミステリー
イースター島

イースター島は正式名はパスクア島(スベイン語)で(Pascua)は復活祭(イースター)を意味します。

現地語名はラパ・ヌイ(ラパ・ヌイ語)でラパ・ヌイとはポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」というのです。

イースター島の狭い島の言語の意味が広い大地というのも不思議でありますが


イースター島ほど謎に満ちた島は他にない。

まずはその位置は領土的にはチリ領ですが、本国の海岸からは3700キロも離れている。

もっとも近い隣の島でさえ1600キロのはるかに彼方なのです、まさに完全なる絶海の孤島なのですね。

そんな島に、今も静かにたたずんでいるのがモアイ像です。

現在、確認されているだけで、およそ1000体。

佐渡島の4分の1ほどしかない島のサイズからすれば、いかに多いかがわかりますよね。

しかもその多くは重さ20トン、高さ4メートルを越える巨大な火山岩で作られている

それどころか未完成のモアイ像のなかには高さ20メートル重さが200トン近いサイズのものまで確認されている。

それにしても、いったい
なぜ?こんなものが次から次へと作られてきたのでしょうか?

ただ、その正確な答えはまだ出されていないのです。




そもそもイースター島は狭い島にもかかわらず各部族間による対立が激しかったという…

そのうえヨーロッパ人が奴隷として多くの島の人びとを連れ去ったり逆にヨーロッパ人がイースター島にない疫病や伝染病を持ち込んだりしたために人口が一時的に激減し


島の歴史や伝統の詳細が、まったくわからなくなってしまったといわれている。
たとえば島には「話す板(ロンゴロンゴ)」とよばれる、文字を刻んだ貴重な木版があった。

まさに島の歴史を語る重要資料だったのですが、後世、薪として使われていてほとんどが失われてしまい
現在では26枚しか残されていない。

それでも、それを解読したドイツの学者トーマス・バルテルによれば、その大半が神への祈り、神官への指示、島の神話だったという。

つまりモアイ像もまたこうした信仰心のあらわれの1つだった可能性がきわめて高いものだったわけです。

そこで…次のような興味深い島の伝承が残っています。
島は昔…「雲のような白衣を身につけ、虹にふちどられた、王に治められていた」
彼は「マケマケ」という鳥神を信仰し、それによって島民族たちに「マナ」という超自然的な霊的な力を授けた。

モアイ像はこの「マナ」の力で自分で歩いて移動したが、やがて「マナ」の力が滅びてしまうとモアイも歩くのをやめてしまったという。

これをもとに宇宙考古学では「マケマケ」は大陸(いまは島だが)に降り立った有翼の異星人のことで

「マナ」は彼らの超自然的な力ではないかとしていますね。


興味深い説明ですが…またマナを、ムー大陸伝来の力を解釈したりすれば、マケマケはムーからやってきた人びととすることもおもしろい。

もしかすると遥か昔にムー大陸が海上にあったとすればイースター島は孤島ではなくて、大陸があった名残りの一部なのであるから…



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あきゅろす。
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