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∞陰陽道探究∞
平安京と天皇(2)

織田信長が安土の丘に
築いた城も、いま安土の
地を訪ねても石の土台
だけが残されたものだけ
です。


時の流れは、いかに壮大
な建造物も幻のように
消し去ってしまう。

ロードス島の巨人像
アレクサンドリアの大灯台
もはや古記録のなかに
しか残されてないから。


それらと同様に、平安京
の大内裏も、いまは影も
形もない。

ただ現代は交差点の近く
の町中に大極殿の跡を
しるす石碑がポツンと
立っているのみです。


大極殿は、平安朝当時の
建築・美術水準の粋(スイ)
を集めた平安京最大の
殿堂だったそうです。


天録元年(970)の記録には
「平安京の大極殿は
出雲大社、東大寺大仏殿
と並び称せられる大建築」
とあります。

正面の広さは10本の
朱塗りの柱が組まれた
11間(けん)で、石段が
三ヶ所にもうけられている

頂の両翼に黄金の沓形
(くつがた)
(沓形は、靴を立てた形
に似てることから
この名がある)が装飾され
紺碧の瓦で葺(ふ)かれた
壮大な甍(いらか)は
入母屋造(いりもやづくり)
によって勾配(こうばい)
に多彩な変化がつけられ
ている。


まさに、豪壮にして華麗
平安朝最大の殿堂なんです

石段をを上がって柱の
あいだを通ると100人も
集まれそうな広場があり


その向こうには一段高い
床が張られた域がある。
その域を守る朱塗りの柱
のあいだには

あでやかな縁をとった
スダレがかかっている。

天皇は、このスダレの
さらに奥にしつらえた
高い玉座に座って


全面の広場に集まった
八省百官に対面した。
それが当時の「国会」の
姿なのでした。



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あきゅろす。
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