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∞陰陽道探究∞
怨霊と化した天神様(4)
受験の神様の恐ろしい素顔
ここで菅原道真と
藤原時平の経緯を説明し
ます。

世は醍醐(だいご)天皇の
治世下で、藤原時平は
左大臣で菅原道真は
右大臣の地位にありました

両者は、まだ二十歳を
むかえてない天皇の補佐
をつかさどり国政の実権
を二分してました。

といっても、まだそれ
じたいは両者が争い合う
要素とはならなかったの
です。

争いのタネは、ほかに
ありました。

宇多(うだ)天皇は、息子
の醍醐天皇に譲位したさい

醍醐の後見人を時平に
醍醐の弟・斉世(ときよ)
の後見人を道真に指名を
していたのです。


八九九年、醍醐の后
(きさき)が死ぬと
時平は、すかさず
妹の隠子(おんし)を
入内(じゅだい)させます


このとき、道真の娘は
斉世の妻となってます。


この構図が、斉世と道真
の娘のあいだに男児が
生まれることにより
一気に敵対関係の構図に
発展します。


この場合、道真の孫は
宇多上皇の初孫でもある。

この子が、隠子が生む子
に先がけて皇太子になる
可能性は十分あった。


そうなれば、ゆくゆくは
天皇の伯父になろうと
していた時平のもくろみは
アワと消えるのですから。
かくして時平のなかで
道真への激しい敵意が
燃え上がったのです。


時平は、ひそかに陰陽寮
の陰陽師を自分の邸宅に
招き道真の呪咀を
依頼するのです。


陰陽師は、左大臣の依頼
をつつしんで受けると
道真の呪咀を開始した。


「北野天神縁起」には
このように記されてます。

陰陽師は木を人の形に
切り、そこに道真の似顔
を描き入れた。

そのヒトカタ[人形]に
冥界の神の霊を吹き込み
呪咀の呪の言葉と
符号を記して夜の闇に
乗じて宮城の
(大内裏/だいだいり)
の四方に埋めた…。


これは、宮城の遺蹟から
数多くの呪咀のヒトカタ
(人形)が出土している
ことから、

けして絵空事では
ないことがわかります。


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