∞陰陽道探究∞ □陰陽道と修験道 山伏と陰陽道の 関係を説明します。 山伏・修験者の名で 知られる山岳修行者の 歴史は以外に深く その起源は五世紀以前に さかのぼるとされます。 たとえば奈良の三輪山に 祭られる大物主神の ルーツは大和朝廷が 奈良に築かれる以前の 土着の山岳信仰に あるといいます。 一般には 七世紀に葛城山に 修験道場を開いた 役行者が山岳修行の 祖とされてますが 実は役行者にも まだまだ先輩がいたのです その土着の信仰は 六世紀に百済(くだら) を通して入ってきた中国 の呪禁道(じゅごんどう)と結びついて 修験道の形をなした。 ※[言うなれば陰陽道の 祖が日本に到着したのが その時代という事 にもなります。] このプロセスによって 修験道は、陰陽道と きわめて強い関係を 持つことになりました。 『呪禁道は呪術を 以て災厄-悪鬼の 害を禁ずるもので、 道教の方術に巫術を 加えた医療術にもなる、 道教は中国の民族信仰で ある長寿延命の信仰の上 に成立したもので、 方位に基づく吉凶判断を する陰陽道の重要な基盤 となってます。 古代中国の呪禁道 道教、陰陽五行説は たがいにとけあって ひとつの総合呪術を なしていました つまり…… 日本で成立した 修験道と陰陽道は、 同じタネから生まれた 兄弟にほかならないです。 ごく簡単にいえば 中国の総合呪術から 生まれた兄弟が、 山で育って修験道になり 平地で育って陰陽道に なったということです。 鈴鹿山脈の修験者達は 独特の術を身につけていた 道教の方術である 『遁甲/とんこう』が それです。 この遁甲は修験道と源を ひとつにする陰陽道の 中心的な術でもあります から。 [*前頁へ] [戻る] |