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神の名鑑
毘盧舎那如来


毘盧舎那如来(ビルシヤナニョライ)とはサンスクリット語の
(ヴァイローチャナ)の音写であり、略して盧舎那仏と呼ぶ和訳すると(光明があまねく照らす)という意味です。

華厳経(けごんきょう)によれば、この宇宙には大千世界があり、その一つ一つの世界には人間の住むような小さい世界が十億集まっているという。

この中で人間は芥子粒のような存在でありながら、それぞれの人生を送っている。

(光明があまねく照らす)という意味で仏の教えは宇宙全体に行き渡り、その救おうとする心は太陽の光のように輝くということである。

毘盧舎那如来で有名なのは奈良の東大寺にまつられている大仏像です。

わが国を統一するために
奈良時代に聖武天皇と光明皇后が国中の人力や銅を集めてつくったものです。

その尊容は釈迦如来像と同じ手印を結び光背や台座の蓮弁に数多くの釈迦の分身を表してます。



□毘盧舎那如来の出自
華厳経、梵網経など
□原名:ヴァイローチャナ
□旧姓:太陽神
□愛称:大仏さま
特質:宇宙を支配



まず仏といえば、ふつうは仏教の開祖である釈迦(ブッダ)のことであります。

今からおよそ二千五百年前に現在のインドとネパールの国境付近にあるルンビニー園というところで誕生した歴史的人物である。

別名を悟りを開く前の個人名である「ゴータマ・シッダッタ」とか釈迦族の人であるところから「釈迦」や
その尊名「釈尊」と呼ばれることもあります。

仏とは(仏陀/ブッダ)の音写語で「目覚めた人」という意味であります、固有名詞ではない。

釈迦が入滅直前に弟子のアーナンダにわたしが亡くなることで決して悲しむな。
だれでも肉体は滅びるもので、わたしとて例外ではない。
したがってわたしの亡きあとは、汝自身を寄る辺とし
法(宇宙の摂理)を寄る辺として日々努力せよ‥≠ニいう言葉を遺した。


この教えを守ったときに、その中に釈迦の教えが生きているということなのです。

釈迦が開祖の仏教ではたとえば神も人間も動植物も含めた自然界には万有引力の法則が万遍なくはたらいているように(宇宙の無意識性)ともいうべき‥


(諸行無常、諸法無我)の法則(因果応報)が分け隔てなくはたらいてることを説いています。

この世に生を受けたものは人間も動植物も共々いつしか朽ち果てる運命にある。

宇宙界の営みは、われわれが気づかなくても時が来ればちゃんと再生しており、つまり自然界の営みは長い時間の間に循環し、再生しているのであります。

この法則はフィクションでもイデオロギーでもなく、信じようと信じまいと だれもが、この法則に従わざるをえない。

この真理を感得し、随順して生きるのが仏であるのです。

そこに智慧と慈悲が生まれる。

智慧によって自ら真理に随順して生き、慈悲によって他にはたらきかけて自他ともに幸せになるべきであるというのが仏教の考え方である。

とくに我が国では「自然界のすべてに神が宿る」という古来の教えや悉有仏性(しつうぶつしょう)とか悉皆成仏(しつかいじょうぶつ)といって

すべてのものに仏になる性質があるという考えが受け入れられた。

そこから、今まで仏教に縁のなかった人間でも葬儀の折に没後作僧(もつごさそう)つまり遅ればせながら僧侶から戒(名)を授けされて仏弟子となる、儀式を受ければ死後四十九日の中陰を過ぎると(ほとけ)になれるという祖先崇拝的な考え方が定着していった。

また我が国では仏とは歴史的人物であるブッダ(仏陀)だけでなく、ほかのさまざまな仏や菩薩をも含めた意味となり、さらに故人や自然界の仏性のすべてを総称した言葉になっています。

これらをわかりやすく示すとビラミッドのようなカタチに例えるとしたら、

◯一番上から
自分(求道者・自己)
人間(菩薩・活仏)
故人(ほとけ)
釈迦(覚者)
動植物/モノ(仏性)
宇宙/自然(普遍的無意識性)

※自分はたったひとりで存在しているわけではない。

この思想は、自己中心の利己的な生き方から、いちばん下のそれを包み込む「宇宙の無意識性」ともいうべき自然界の摂理(宇宙の営み)に目覚めて、それに包摂される生き方を勧めていることであります。

如来とはこの宇宙自然を、成り立たせる真理そのものを総括したもので、この世にあるものはすべてその真理から生まれ、因縁など条件によって仮に和合して形成されてるにすぎないかもしれません。


例えば「家」というのは、その素材や形や立地条件など、いろいろな面を総称した言葉である。

家の素材は柱や床木などの材木や瓦や壁の土などから成る、木材は太陽の熱や雨を受け、土壌から養分を吸い、空気によって育った木を加工したものであるから、地や水、火、風の合成物といえるでしょう。

それはみな時間とともに変化し、いずれ朽ち果てるもので どれ一つとして、永久にあるものではないから。

この世に仮に存在し現に一つの固体として生かされたもので それを成り立せている真理の現れにほかならないから。

即ち、真理の姿が木材のごとき、家のごときものに現れ そこに住む、我々もやがて時が経てばいろいろな元素に還元される。

このように この世に存在するものすべてに実体がなく(無我)絶えず変化している(無常)この真理を(空)といい。

その千変万化するさまは因縁という法則性によっている。

この空を現代語に換言すれば、エネルギーといっていいかもしれません。

如来はたしかに この宇宙自然の森羅万象の中に内在しており、また、われわれの中にも内在していると同時にそれらを超越していまする。



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