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夢の続きは永遠の眠りの中で
「トーヤ」

 風一つない丘の上、おんぼろの小屋の中、怪しく白い光を差す満月の夜、か細く僕の名を呼ぶ声がした。振り向けば、蒼白の少女。ベッドで毛布にくるまって、ガタガタ震えている。

「目が覚めたの。怖いわ」

 ベッドの脇の椅子から立ち上がり足を前に出すと、床がギシギシ悲鳴を上げた。そのうち床が抜けてしまいそうだ、慎重に一歩だけ歩いて少女に近寄り、差し伸ばす腕を掴んで起こしてやった。顔をしかめ、息を荒げながらも少女は起き上がった。支えていなければぱたりと倒れてしまいそうだけれど。

「ここももうじき見つかるかもしれない。お願い、私をここに置いて逃げて。トーヤが死んじゃったら悲しくて……生きていけないわ」

 首を静かに横に振り、潤んだ瞳を覆う瞼にそっと口付けを。堪えきれずに零れた嗚咽を拾うようにしながら、何度も何度も繰り返す。いつの間にか少女の腕が僕の首に絡んでいた。預けられた体重、最後におぶってやったのはいつだろう、随分と軽くなってしまって。
 もう一眠りするよう促そうとした刹那、前のめりになって少女は噎せた。渇いた咳の音が太く強く響き、響き、続き、痛々しくて耳を塞いだけれどやっぱり響き、響き、続いた。それはまるで永遠に降りやまない雨のようで、真っ白な吹雪の雪山に独り取り残されたようで、僕はぐっと目を瞑って雨が止むのを待った。

「……ごめんなさい」

 静かになったおんぼろの小屋に、ぎゅっと毛布を握り締める僅かな音だけが残った。僕は少女の頭を撫でながら首を横に振る。笑ってみせた。苦笑が返ってきた。
 やせ細った人差し指が、小屋の扉を差した。僕は指先と少女を交互に見る。少女は僕と指先を見まいと視線をベッドの左斜め下に向けている。
 言わんとすることは、分かっている。

「大丈夫、どっちにしろ私は一緒にはいられないよ。こうやって喋ってるだけでいっぱいいっぱいだもの」

 荒々しい呼吸をしながらも、口元は笑っているけれど。

「夢を見たよ。あのね、トーヤと一緒にレンガ造りの家が並ぶ平和な国で、踊ったりお散歩したりお腹いっぱいご飯を食べたりする夢だった。夢だったけど、楽しかったよ。私はすっごく幸せだよ」

 重たい足を動かせば、床が僕の重みを主張する。ずっとここにいるわけには行かない。だけど、ここまで一緒に来た少女を残すのも嫌だ。それでも指先はぴんと扉を差していて、目は相変わらず左斜め下を向いていて、嗚呼、僕の爪先は少女のいるベッドから扉のほうへと向きを変えて。

「トーヤ、元気でね。にんじんもちゃんと食べなきゃ駄目だよ、しっかり早寝早起きしなさいね」

 人の心配をしている場合ではないであろう少女の言葉は消えそうで、ノブにかけた手はくるりと回らなかった。もう一度、爪先をベッドに向けた。
 再び雨が降る。大粒だ、一つひとつがとても重たくて突き刺さる。耳を千切り落としたら楽になるのだろう、でも僕の耳を千切り落としたところで少女の胸は良くならない。雨が止む寸前、少女はなにかを吐き出した。毛布に赤い染みが出来る。とろりと口から垂れたそれは、僕を凍らせた。
 唇を拭い、少女を寝かせる。涙の滲んだ瞳は一瞬だけ笑い、握った手のひらから力が抜け落ちた。ぐったりとした少女、名前を呼ぶ、返事はない、微笑むこともない。
 ベッドに腰をかけ、動かない少女の身体に自分の身を重ねる。ねちゃりと赤い水溜まりが鳴いた。ポケットから取り出した折り畳み式のそれは、銀色に光り、月光を浴びて白く煌めいた。僕はそれを自分の腹に突き刺し、朦朧とする意識の中で辛うじて少女に届かない言葉を贈った。

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