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接近03
 放課後、ジュンに一度演奏を聴いて欲しいと頼まれ、軽音部の部室へ向かった。音楽室は吹奏楽部が使うらしく、軽音部は生物実験室で活動している。
 僕が廊下からこっそり覗くと、酢酸カーミンの酸っぱい臭いがすっかりうつってしまったギターを構えたジュンが、ドラムやキーボードにアドバイスをしていた。

「……で、ここは思いっきりぶっ放しちゃって。多少の暴走は俺が許す」

 僕の存在に気付いていないかのように、ジュンは指摘を続ける。
 ジュンのお父さんはミュージシャンを目指していた頃があったらしい。息子にも言葉を話すようになった途端に鍵盤を押さえさせ、幼稚園に通うようになった途端に弦を鳴らさせたと聞いた。ちなみに今、ジュンのお父さんは保険会社に勤めている。

「よし、一回休憩だ。十分たったらミナトに聴いてもらおうぜ」

 楽譜の上を滑っていた鉛筆が放り出され、僕は立ち上がった。

「格好いいじゃん」

「当たり前だろ」

 ジュンはにたりと笑った。

「でも、なんか違うんだよな」

 ジュンの笑いはふと消えた。眉間に皺を寄せて考える彼の隣りで、僕も同じ表情を作った。僕とジュンの仲だし。

「まだちゃんと聴いてないから、聴いてから一緒に模索するよ」

「それもそうだな。俺も頭から揃えて通したのを客観的に聴きたいし。録音、頼んでもいいか?」

 僕はもちろん了解した。
 ギターがジュン、ベースがジュンの同い年の従兄弟、キーボードが従兄弟の一個下の後輩、ドラムがキーボードの幼馴染み。
 わりと狭い範囲の者で結成されている軽音部は、同じメンバーで「CELL」というバンドを組んでいる。そのせいで「部活」ではなく「バンドの集まり」としか見られていないというわけなのだ。
 唄はジュンかベースが曲によって歌いわけるというスタイルのため、ボーカルは誰と決まっていない。

「行くぜ」

 ジュンの合図でドラムが音頭を取った。僕は椅子に逆向きに座り、背もたれに抱っこちゃん人形のようにしがみついていた。
 最初は控え目にキーボードが同じ旋律を繰り返し、五回目に差し掛かったところでギターが乗ってきた。シンバルが鳴らされると、ベースが激しく鳴らされ、それぞれがそれぞれ、好き勝手に音を紡ぎ出す。
 が、良く聴くと違う。ちゃんと交わり合っているではないか。あっちと交わり、こっちと交わり、次第に一つの渦が出来上がり、飲み込まれそうになって息を飲んだところで、ギターとキーボードの静かな演奏に変化する。ドラムとベースはそれに相槌を打つだけであるかのように、二つの音の中に溶け込んでいる。ギターとキーボードは壊れそうにか弱く、それでいて結束を破れないと言いたげに強く、互いに支えあっていた。
 次第にギターが置いていかれ始める。本当は一緒にいたいのに、それでも涙を堪えてお別れを言うように、キーボードは小さくなって、終いには鳴り止んだ。か細い切ないギターソロが、物語の最後を告げた。

「……格好いいじゃん」

 曲もジュンも、他のメンバーも。僕はさっきと同じ言葉を、さっきよりもぽかんとしながら言った。他に何も言えなかった。ジュンは満足そうに、額の汗を拭ってピースを送った。だから僕は言い出せなさそうで怖かった。うっとり聴き惚れていたがために、録音開始ボタンを押し忘れたのだと。
 もう一度、今度はちゃんと録音をしながら聴くことになった。僕はしっかり録音開始ボタンを押した。二度目の演奏は、人に対して聴かせることに慣れてきたのか、さっきよりも良い意味でぶっ飛んでいた。
 聴けば聴くほど味が出る。とても良い音楽だ。僕は盛大な拍手を送った。

「ありがとう。愛してるぜ」

 ジュンがピックを飛ばす。宙で弧を描くそれを見失わないうちに拾いに走った。掴み方が悪かったのか、手のひらに刺さって痛い。ジュンはケラケラと笑った。

「それより、今回の曲はインストなのか?」

 ピックが僕の手からジュンの手へ渡る。ジュンは受け取るなり首を横に振った。

「そこなんだよ」

 どうやら歌詞はあるけど、ジュンもベースも声が歌詞や曲調に合わないらしい。こういう唄は女の子が歌えたらいいんスけどねぇ。そう言いながら、ドラムが困ったように笑った。

「だけどどの女子の声も聞いててしっくりこないんだよな。唄が上手い奴はたくさんいるけど、技術面だけ重視はできねぇんだ」

 メンバー全員で学校中のいろんな女の子の唄を聴き回ったらしいけど、素直に良しとは言い難かったようだ。上手いだけじゃなくて歌詞にも合う声の持ち主。唄が乗れば完璧に完成する音楽。僕はどうにもしてやれそうにない。

「ライブまでに間に合うといいな」

 そんな言葉はプレッシャーでしかないけど、僕は他になにも言えなかった。それでもなにか言わなくちゃと思った。ジュンは頑張るよと言って、練習を再開した。

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