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薄氷を履む
心血を注ぐ先
長く揺れ続けていた馬車が、緩やかに動きを止める。
車窓を眺めていたウィリアムは、横でスピスピと寝息を立てるレイへと視線を移した。
銀肩章があしらわれた肩に手をかけ、軽く揺する。

「旅団長、起きてください。」
「………ん、?」

レイはゆっくりと瞼を上げ、数回瞬きをした。
長い睫毛がそれに合わせてパタパタと揺れる。
花に停まってたおやかに羽根を揺らす蝶のようだった。

「着きましたよ。今日はこのあと予定もないと思いますから、報告書だけさっさと書き上げて、部屋で休んだらどうです?」
「んー…そーする、」

レイは寝起きの掠れた声で返事をし、グッと伸びをする。

外は夕暮れ時で、西陽がトリアスタ特攻軍本部の荘厳な建物を赤々と照らしていた。

特攻軍本部の玄関目の前に停まった馬車から、レイとウィリアムが連れ立って降車する。
二人が玄関を通ろうとすると、端に立っていた警備兵が敬礼をしながら「おつかれさまです」と声をかけた。

「クロフォード大佐、ルイス大尉。」

簡単な挨拶で終わるかという予想に反して呼びかけられ、レイとウィリアムは揃って訝しげに視線を傾けた。

「バーンズ中将が、帰られたら中将の執務室に寄るようにと。」

「…わかった。」

レイは表情を変えずに、短く答えた。
ウィリアムは僅かに眉根を寄せたが、警備兵が開けた大きな玄関を足早にくぐるレイの後に、無言で続く。

大理石調の廊下を闊歩するレイに、ウィリアムは歩調を少しだけ早めて隣に並んだ。

「帰ってきて早々呼び出しなんて、なんでしょうね。」

ウィリアムが純粋な疑問を口に出せば、レイはいたずらっぽく口角を上げた。

「給料上がるかな。」
「これ以上もらっても、使うとこがないでしょう…。」
「夢がねーな!軍引退後はハイナで隠遁生活しようぜ。」

ハイナといえば、トリアスタと交友関係の深い隣国ヘーヴスのリゾート地である。
軍引退までちゃんと生きててくださいね、と頭に浮かんだままの言葉を返しそうになったウィリアムは、しかしあまりに捻りのないそれにレイはいい顔をしないだろうと、グッと言葉を飲み込み、代わりの言葉を探した。

「俺を巻き込まないでくれません?」
「はあ?喜べよ!」
「俺はヨーレットに家を建てるって決めてるんです。」
「何それ。独り身で?」
「まさか。それまでには綺麗な嫁と可愛い子供と温かい家庭を築いてる予定です。」
「あ、俺の部屋も作れよ。」
「旅団長が俺のこと好きなのはよくわかりました。」
「今さら?」

こんな劣情を擽る冗談の応酬だって、ウィリアムの鋼の恋心には傷一つ付けられやしないのである。
レイもそれを存分に理解した上で、ポイポイとそこへ小石を投げつけるのだから、なんとも罪深い男だった。

そんな軽口を叩き合ううちに、二人はトリアスタ特攻軍第1師団長バーンズの執務室の前までたどり着いていた。

レイがコンコン、と重厚な扉をノックする。

「クロフォードです。メディングから帰りました。」

気持ち声を張り上げて告げれば、すぐに中から返事が聞こえ、レイは無遠慮に執務室の扉を押し開けた。

「ご苦労だったな。」

豪勢な革張りの椅子に腰掛けたバーンズが、二人に声をかけた。
二人は歩みを進め、バーンズの対面に直立する。

「まさか死者を出さず帰還するとは、驚いたよ。君らは本当に、利口な戦い方をする。」

「身に余るお言葉です。」
バーンズからの賞賛の言葉に、ウィリアムは恭しく礼をした。
その横で、レイはさっさとしてくれと言わんばかりに無表情を貼り付けている。

「ところで、本題だが。」

二人の性格をよくわかっているバーンズは、話の運び方を心得ていた。
レイはあまり前置きが長いと目に見えて苛立つのですぐ本題を切り出すのが吉であるが、ウィリアムは存外承認欲求が強いので要所要所でしっかりと言葉に出して伝えないとこちらも次第に機嫌を損ね始める。
二人揃って執務室に呼び出すときは、レイが耐えられるぐらいの短い賛辞を主にウィリアムに向けて投げかけ、そのあと間を置かず要件を告げるというのが、バーンズの中で見つけた丁度いい塩梅だった。

「来月いよいよ、ホブ、ゴズポート、アーゲイトの三都市同時奪還に踏み切ることになった。そこで、第3旅団にホブ奪還を任せたい。」

レイは放たれた指令を咄嗟に飲み込めず、無表情でバーンズの瞳を見つめた。
彼の知るところでは、たしかホブ奪還はハリソンが指揮を執ることになっていたはずである。
上層部から信頼の厚いハリソンが外される理由に思考を巡らせ、そういえばと一つだけ思い当たった節があった。

「あ、ハリソン旅団長、今足やってるからですね。」

「そう、彼には残念な話だがね。それで代打がお前に回ったわけだ。」

代打という表現にも、レイは一切悪い気がしなかった。
そもそもこの三都市同時奪還にあたっては、どこの師団のどの旅団長を抜擢するか、当時の戦略会議で相当揉めたと聞いている。

リーザ奪還の決定的な布石となるだけに、負け戦は何があっても許されない。
しかし、どの旅団長もあと一歩、確実な凱旋を保証できるだけの信用を持ち合わせていなかった。
それは旅団長陣の実力がないというよりは、この計画の難易度に問題があった。

そんな中、どうにかこうにか選ばれた内の一人がハリソンである。
しかも、ホブ奪還は、地理的にも規模的にも最も重要とされていた。
代打とはいえ、旅団長就任直後のレイがそこに選ばれるというのは、レイにとっては謙遜なしに「ありえない」ことだった。

「指揮は俺でいいんですか。」

「あぁ。私含め、上のやつらは君を買ってる。」

レイは全身がゾクゾクと震えるのを感じた。
それは、恐れでも不安でもなく、かと言えば認められたことへの歓喜でもない。
いや、彼も人間なのでどれも少しはあるのだけれど、ほとんどは、リーザ奪還に直接王手を打てることへの武者震いであった。

一方、隣に立つウィリアムは、そんなレイを横目で心配そうに見やった。

「出陣はいつです?」
「来月の頭を予定しておいてくれ。また正式に日付が決まったら知らせる。一度、明後日までに、ハリソンから引き継いで布陣と簡単な戦略を考えられるか?」
「はい。」

間髪入れず答えたレイに、相変わらずだなとウィリアムは内心でため息をつく。
この調子では、ろくに睡眠も取らず戦略を練るつもりなのだろうと、容易に想像がついたからである。

レイはどうにも、軍人というのを自分の天職だと思い込んで、全ての生命力をそこに注ぎ込むような癖があった。
比較的職務に忠実で責任感の強いウィリアムの目から見ても、彼の身を粉にするような働き方は異常であり、悪癖とすら思っている。
そして、それを分かった上で、にこやかに嫌感なく彼を酷使するバーンズには、その面でだけ密やかな不満を持っているのだった。

「急ですまないな。明後日の午後はここで仕事をしている予定だから、好きなときに尋ねてくれ。ああ、それと――」

バーンズは何かを思い出したように、机の上に無造作に置かれていた紙の束を拾い上げ、ずいとレイの方へ差し出した。

「第1大隊長にグレゴリー・バトラーを置こうと思う。さすがにずっとお前に兼任させるわけにはいかないからな。」

レイが第3旅団長に就任したとき、本来であれば空いた第1大隊長の座に他の隊員を置くべきであったが、メディング奪還にすぐにでも乗り出したかったバーンズ含む上層部としては後任選定にかまけていられず、レイに第3旅団長と第1大隊長を兼任させたまま遠征へ派遣したという経緯があった。
実際これまでも戦地では旅団長代理と大隊長を兼務していた彼だったので、メディング奪還でも大きな歪みを生むことなく、むしろ名実共にトップとなった彼の統率力はいよいよ増して、今回の快挙に繋がったのだった。

それでも、旅団長と大隊長の責務は明確に区分されているため、いつまでも兼任を続けることは物理的に難しい。
そこで、メディング奪還を一つの区切りとして、レイの兼務を外そうというのがバーンズの計らいだった。

レイはバトラーの名を聞いたことがあるような気はしたが、どうにも顔を思い出せないまま、引き寄せられるように数歩前に進む。
紙の束をバーンズの手から受け取り、最初の紙面に書かれたバトラーの簡易的なプロフィールをざっと眺めてようやく、彼の脳内で名前と顔がパチッと一致した。

「あー、第5旅団の…。」

「ランドルフから到底手に負えないといって相談があってな。かなりやり手なんだが、少し気性が荒くて、他の隊員との折り合いが悪いらしい。お前とタイプが似てるから、第1大隊との親和性は高いかと思ってね。」

バーンズの言葉に、レイの眉がピクリと動いた。

「あれ、もしかして俺、気性荒いと思われてます?」

「悪い意味じゃない、うちで上がっていくにはそのぐらいの気概がないとな。……さて、私からは以上だが、何かあるか?」

不機嫌そうに口を引き結んだレイは首を横に振りかけ、そういえばこれだけは聞いておかねばなるまいと思いとどまり、結んでいた口を開いた。

「給料上がります?」
「ああ、まぁもちろん上げてもいいが…それ以上もらっても、使い道がないんじゃないか?」
「…冗談です。では、これで。」

ウィリアムとまったく同じ答えが返ってきて辟易したレイは、さっと話を切り上げ身を翻した。
ウィリアムも慌ててそのあとを追いかける。

「頼りにしてるぞ。」

無機質なバーンズの声を背に、執務室の扉がパタンと閉まった。

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