[携帯モード] [URL送信]

薄氷を履む
友愛以上恋愛未満
カタカタ、カタカタ、車輪の音と合わせて二人乗りの小ぶりな馬車が揺れる。
行先は、トリアスタ国、特攻軍本部。

「腹減った…。」

レイ・クロフォードはそう呟いて、隣に座るウィリアム・ルイスの肩にもたれかかった。
レイの柔らかな髪が、ウィリアムの軍服の銅肩章にパラリと落ちる。
両者が身に纏う黒の軍服は、下ろしたてでパリッとしていた。

「もうすぐですよ。着いたら好きな物食べれますから我慢してください。」
「寝る。」
「……好きにしてくれていいですが、俺の肩は使わないでもらえます?」
「…つれねーの。」

レイはベェっとウィリアムに舌を出し、体を反対側に傾けると、開け放たれた窓の桟にもたれて目を閉じた。
窓から緩やかに吹き込む風が、労わるように彼の髪をそよそよと撫でて通り抜けていく。
そんな子供のように無垢な彼の横顔を、ウィリアムは呆れの中に一種の愛着を見出しながら、凪いだ心持ちで眺めた。

これが、史上最年少でトリアスタ特攻軍旅団長クラス、官位で言えば大佐まで上り詰めた鬼才だというのだから、人とはわからないものである。

軍事国家であるトリアスタには、敵国の襲撃から国を守る役割の “国防軍” と、積極的に敵国に攻め入っていく役割の “特攻軍” が設置されている。
レイとウィリアムが所属する特攻軍には、師団・旅団・大隊・中隊・小隊・班という単位が存在しており、左に行くほど規模が大きくなっていく。
二番目に大きい単位である旅団の長になるためには大佐に昇格する必要があるが、そもそも佐官にすら昇格できず軍人としての生涯を終える者が大半だった。

そんな中、二十一歳という異例の若さで大佐昇格を果たしたレイは、一部の層からは羨望の眼差しを、一部からは畏敬の念を、また一部からは妬み嫉みを、本人の預かり知らぬところでたっぷりと買い込んでいた。

ちなみに、そんなレイと軽口を叩ける間柄のウィリアム・ルイスという男の肩書きは、『トリアスタ特攻軍第1師団第3旅団長補佐』であり、官位でいうと大尉にあたる。
――そんな肩書きはむしろ、二人の関係に水を差すぐらいだが。

二人は所謂幼なじみというものだった。
色々と訳あってレイが八歳、ウィリアムが十一歳のときから同じ屋根の下で暮らし始め、その五年後、ウィリアムのトリアスタ軍入隊を機に一度は離れたものの、それから三年後追いかけるようにレイが同じ旅団に入隊し、気づけばもうすぐ六年が経とうとしている。
入隊後、快進撃とばかりに昇格を進めたレイは、ウィリアムをあっさりと立場上追い抜いていったが、それも二人の関係性には大した影響を与えていない。

そんなわけでレイの人間性を誰よりも熟知するウィリアムは、「腹が減った」というのは本音を隠すための不器用な見せかけの不満だということに気づいていた。
本当は、ただ疲れているのだ。
もはやいくつ重ねたかわからない勝利に、軍の上層部からの期待は重くのしかかる一方だった。
それは、精神的にも物理的にも。

前旅団長のクリス・ムーディは前線での戦いを嫌い、いくつかの隊を遠征に派遣しておきながら、自分はぬくぬくと本部でお茶を啜っているような仕事ぶりであった。
それが久しぶりに戦に出て、無傷なままではいられまい。
結果、腕を一本失い、その座から退くことになった。

レイは自分だけ安全な場所にいるようなムーディのスタイルが好きではなかったし、戦の最前線でこそ最大に活かされる自身の抜きん出た戦闘力への自負もあった。
ゆえに、戦場には必ず自らの足で赴くのが、旅団長になっても変わらないレイの軍人としてのポリシーである。

旅団長として背負う命は、一度の遠征で千名を超える。
弱冠二十一歳の若者には少し荷が重たいのかもしれなかったが、それでもここまでのし上がってきた実力は本物だった。
佐官として一丁前のプライドも持ち合わせている。

だから、彼を取り巻く色んなものが邪魔をして辛いのに辛いと言えないとき、レイは苦し紛れに子供のような駄々を捏ねるのだった。
それも、幼なじみであるウィリアムの前という限られた場面のみなのだが。

一方、そんなレイの素直でない甘え癖を、ウィリアムはなるべく、軽やかな口ぶりで躱すのが常だった。
それは別段レイのことを揶揄っているわけでもなければ、もちろん嫌っているわけでもなく、なんなら面倒がっているからとも全く訳が違った。

むしろ彼の心底に真っ直ぐ従うならば、レイに言われずとも喜んで肩の一つや二つ差し出す用意があるし、もっと言うと膝だって腹だって首だって、体丸ごと捧げるぐらい彼にとってちっとも惜しくはない。

それでも彼がそうやって明確に線引きするのは、一度一線踏んでしまえば、騎虎の勢いで沼に嵌って抜け出せなくなるのが目に見えているからである。

つまり、彼は、幼馴染にいたく不毛な恋心を抱いているのだった。

不毛というのは、彼にとっては残念ながら、彼の思い込みというわけではなかった。
これまでに彼は何度か自分の恋情を、誰でも容易く受け取れる緩慢なカーブでかの幼馴染に投げ渡したことがあったが、いずれも豪速球で「無理」と投げ返された苦い経験を持っている。
レイとしては、彼との“幼なじみ”という関係をどうにも捨て難く、彼の想いを受け入れてしまえば簡単に崩れてしまうそれも、拒んだ場合にはヒビの一つも入らないというのだから、後者を選ぶのは必然の理だった。

そうしてウィリアムの煮え切らない想いは拗れに拗れ、強靭に育った挙句、いっそのこと成就の見込みが無かろうがなんとも感じなくなっていた。
そんな安穏とした浅瀬でプカプカ揺蕩っている方が、安心安全第一主義の彼の性分にも合っていた。

だから、彼は踏み込まないし、踏み込ませない。
けれど、お互い替えの利かない存在であることは確かで、それらしく労りもすれば心配だってするのである。

「ゆっくり休んでくださいね。」

「………なら肩貸せばーか。」

小さくつかれた悪態には、気付かないふりをした。



[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!