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薄氷を履む
有力な協力者
クロフォードという軍人に救出されたオリバーは、あの後、外で待機していた別の軍人に引き渡され、野営地へと連れていかれた。
野営地にはテントがいくつも張られており、紙に名前を書かされてから一つのテントに押し込まれた。
中では、彼と同じ館で隷属していた顔も見かけたが 、もともと親しい間柄でもないため、特に言葉は交わさなかった。

そのテントで一夜を明かし、片付けが済んだからと、彼が元いたのとは別の館に、他の奴隷たちと詰め込まれた。
誰かの死体も、血も、見当たらなかった。
なるほど、片付けとはそういうことか、であれば領主の死体も今頃片付けられているのだろうなと、オリバーは奴隷の分際でありながら、主に対して一抹の憐憫を抱いた。

その見知らぬ館で丸2日、食事と睡眠以外にすることもなく過ごしたオリバーだったが、初めてそんなに自由な――ある側面では不自由な時間を与えられ、彼は持て余した暇をすべて、自分の人生がぐるんと一転したあの日の出来事を思い巡らすことに充てていた。

最初、窓に氷が張っていくのを見たとき、オリバーは"氷使い"の貴族が攻め入ってきたのだと考えた。
が、それは全く見当違いで、実際攻め入ってきたのはトリアスタの軍人であった。

だとすれば、オリバーが目にしたあの超常現象は何だったのか。
幻覚のような気もしてくるが、それでは一体何が彼にそんな幻覚を見させたのかがわからない。

あれを現実と仮定して話を進めるなら、考えられる可能性は「トリアスタの軍人の中に"氷使い"が存在していた」ということである。
そして、これはあながち有り得ない仮説でもなかった。

トリアスタが人間だけで構成されているという話は、事実でもあり、ほんの少しだけ誤謬でもあった。
というのも、トリアスタには、"自然の力"を使うことができる――つまりエルフと同じ力を持つ人間が存在するのである。

彼らは『エルマーニ』と呼ばれ、死んだエルフの血を溜飲する(エルフ側はこれを"血の窃取"と卑称している)ことによって、"自然の力"を得、その名を冠する。
ただ、同じ力と言っても、種類が同じというだけであって、力の総量自体はエルフ本体の半分にも満たないものであるらしい。

しかしやはり、ないよりはある方がいいわけで、トリアスタ軍では戦利品の最たるものとして"死んだエルフの血"を挙げていた。

オリバーは、まずトリアスタに"氷使い"のエルマー二がいるであろうこと、そして、そのエルマー二は恐らくあのクロフォードという軍人であろうということを、なぜだか強く確信していた。
それと同時にオリバーの好奇心はぐんぐんと膨れ上がり、今すぐにでも領主の館に戻って書斎の本棚を悉く漁り仮説の真相を確かめたい、という欲求が、彼の腹の中を渦巻いた。

もちろんそんな自由が許されるわけもなく、そもそも引っ込み思案な彼がそれを誰かに交渉できるわけもなく、えも言われぬもどかしさをひとり抱えて、彼は結局はやはり暇を持て余していたのだった。


そして、オリバーが助け出されてから丸4日が経つころ、出し抜けに奴隷たちが広間に集められた。

一人の軍人の前に、50人ほどの奴隷がギュッと間を詰めて座らされる。
オリバーはちょうど集団の真ん中ぐらいに、両脇を屈強そうな農奴に挟まれ、足を折りたたんで縮こまっていた。

軍人の傍らには、書斎に置かれているような椅子とデスクが用意されている。
その軍人の脇に控える3人の軍人が用意したであろうことが伺えた。

20代半ばほどのその軍人は大きな白い弓を背負っていたが、矢はどこにも見当たらない。
無造作に跳ねるライトゴールドの短い髪が、窓から差し込む光でキラキラと輝いた。

「みんな、今日までご苦労様。閉じ込められっぱなしでさぞ疲れたろう。」

軍人は温かい微笑みをた堪え、奴隷たちの顔を端から端まで見渡し、労いの言葉を紡いだ。
顔立ちにそぐう、柔和な声質であった。

「俺はジェリー・キングストンという。トリアスタ国の軍人だ。君たちと同じ、”人間”でもある。」

軍人――ジェリーは、簡単に、少しだけおかしな自己紹介をした。
オリバーは、この後ジェリーの言わんとすることが手に取るように分かった気がして、胸が高鳴るのを抑えられなかった。

「つい先程、メディングの奪還が宣言された。つまり――ここメディングはエフィリア国ではなく、トリアスタ国になったということだ。」

ジェリーが鷹揚に宣う。

広間はシン、と静寂に包まれた。
遠くで鶯の鳴く声が、微かに聞こえる。

こういうとき、囁くことすらも教えられていない奴隷たちは、固唾を飲んでジェリーの次の言葉を待った。

そんな奴隷たちの期待に応えるように、もしくはもはや慣れきっているのだという風に、ジェリーはすらすらと澱みなく続きの言葉を読み上げる。

「エフィリアの奴隷として虐げられてきた君たちは、晴れて奴隷の身分から解放され、人間として生きる権利が与えられた。あくまで権利だからね、もちろん断ることはできるが…まぁそのあたりも、この後聞くとするよ。」

ジェリーは傍らで控える3人の軍人に「配って」と声をかけた。
軍人たちは揃って返事をすると、手に持った紙の束を近場にいる奴隷に手渡していく。

「一枚とって隣の人に回していって。時間が無いから、受け取りながら聞いてくれ。今から君たちには選択肢を与える。大きなところでいえば、トリアスタの国民となるか、エフィリアの奴隷のまま生きるか。」

ジェリーは一つ間を置いて、「後者はこっちじゃ責任取れないから、自分でなんとかしてね」と付け加えた。
それはつまり、ほとんど強制的に、前者を選ぶほかないということであろう。

それでも選択肢を残しておくというのは、理不尽な戦争によって弱き者が淘汰された末、実力至上主義へと渋皮が剥けたトリアスタの国文化故であった。
あくまでもすべての責任は己にあるのだと、国が一方的に解放したからと言ってもその先の面倒は自分で見るのだと、そういうトリアスタ特有の意思表明なのである。

そんな高尚な意図を汲み取れる奴隷が果たしてどれだけいるのかということは、どうしたって”強き者”たちの興味関心に上がりようもなかったが。

「トリアスタの国民となるならば、その紙に書いてある中から好きな職業を選んで。もちろん偏りがでないように調整させてもらうから、希望が通ればラッキーぐらいに思っておいてね。…ああ、ちゃんと給料も出るよ。」

ジェリーはおもむろに背負っていた弓を肩から降ろし、デスクの脇に立てかけた。

「じゃ、決まった人から俺に申告しに来て。14時で締め切るから、早めにおいでよ。タイムオーバーになった人はこっちで勝手に振り分けるから、くれぐれも文句を言わないように。」

そう言い切ると彼は椅子を引いて腰掛け、頬杖をついた。

オリバーはようやく左隣から回ってきた紙の束を受け取り、一枚取ってすぐに右隣へ束を流した。
手に取った紙をざっと眺めれば、農耕、漁、商売、飲食、出版など、様々な仕事の内容が載っている。

オリバーは目を凝らして紙を眺めた。
しかしどれも、魅力的には思えなかった。
奴隷として生きてきたこの二十数年と比べれば、どれもそれより良いものに違いはない。

それでも彼を迷わせるのは、彼の瞼の裏に捨てきれない残像がこびりついているからだった。

残り5分で締め切られるというころ、オリバーはようやく重い腰を上げた。
他の"元"奴隷たちは、「早めにおいで」という言いつけを従順にも守ろうとしたのか、ほとんどジェリーへの申告を終えているようである。

オリバーが恐る恐るジェリーの前に立つと、彼はにこやかにオリバーを迎えた。

「やっと決まった?」

当然のように問いかけられ、オリバーはやっぱり大人しく適当な職業を伝えるべきかと逡巡したのち、それでも我欲が勝って、用意してきた質問を投げかける。

「あの、……クロ、フォードさんは、ここには来ませんか。」

「…え?レイ?」

ジェリーは意表を突かれたように、パチパチと瞬きをした。
オリバーは、ようやくあの軍人のファーストネームを思い出す。
そう、彼の名はレイ・クロフォードだ。

「あー、と、レイはよっぽどのことがなければ、ここには来ないよ。ていうか、なんで?」

「僕、クロフォードさんに助けてもらって…そのとき言えなかったお礼を一言、言いたいんです。」

明白に、建前であった。
本音は、もう一度この目に焼きつけておきたいのだ。
あの美しい軍人の姿を。

「へぇ、レイが名乗るなんて珍しいな。けど、うーん、ちょっと会うのは難しいんじゃないか?レイは若いし気さくなところがあるからパッと見じゃわからないと思うが、あれでも今回の遠征を率いてるトップなんだ。隊員ですら、気安く話しかけられる人は少ないよ。しかも旅団長に就いてからかなり忙しくしてるからなぁ。」

ご丁寧にツラツラと現実性を突きつけられ、オリバーは彼を少し嫌いになった。
きっと、オリバーがレイに会うための方法を、ジェリーは知っている。
けれどもおそらく、面倒だとかそこまでしてやる義理はないだとか、そんなつまらない理由で、さも仕方ないという風に装ってオリバーの望みを潰すのだ。

それならばと、オリバーはなおのこと食い下がった。

「軍隊に入れば、可能性はありますか?」

どうして渡されたあの紙に「軍」という選択肢がなかったのか、オリバーには皆目見当もつかない。
軍事国家のくせにそれを選ばせないのには何か理由があるのだろうが、せっかく自由の身を手に入れたのだから、少し浮かれて我儘を言うぐらいは許してほしかった。

ジェリーはポカンと口を開けて静止したあと、

「……はは!」

突然笑いだした。
オリバーは出過ぎた真似をしたかと、羞恥と後悔で顔を赤くする。

「いいね!君みたいに執念深いのはなかなか、いないよ。面白い。」

ジェリーはデスクから身を少し乗り出し、オリバーの瞳を覗き込んだ。
楽しむように、瞳がニッと弧を描いている。

「――わかった、協力しよう。まずはトリアスタ軍においで。そうしたら、俺の隊に引っ張るから。」

「……いいんですか?」

「君が言ったんだろ?」

「……あ、ありがとうございます!」

「どういたしまして。」

トントン拍子に話が進み、オリバーは夢のような心地だった。
前言撤回、些か現金ではあるものの、彼はこのジェリーという軍人が好ましく思えた。

ジェリーがオリバーの前に右手を差し出す。

「改めて、トリアスタ軍第1師団第3旅団第2大隊長、ジェリー・キングストンだ。レイとは割と親しくしてるから、力になれると思う。よろしくね。」

オリバーは、握手というものを求められているのだと、遅れて理解した。
たどたどしい手つきで、ジェリーの手をギュッと握る。
彼の人生で初めての握手は、ジェリーの指の付け根を掴まえた不格好なものであった。

「オリバー、と、言います。よろしくお願いします。」

とても久しぶりに音にした自分の名前は、他人の物のように彼の口には馴染まなかった。


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