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薄氷を履む
変わるはずのない日常

エフィリア国、メディング領主の館、その書斎にて――ひとりの青年が熱心に本を読みふけっていた。
青年は、名をオリバーという。
姓はない。なぜなら、彼が”奴隷”という卑しい身分だからである。

彼は奴隷してはまだマシな、薄っぺらく飾り気のない無地の衣服を身につけていた。
滅多に散髪させてもらえない黒い長髪は、後ろでひとつに緩くまとめられている。

そんな彼が、書斎で本なぞ読めている理由は至極単純で、それが何かといえば、ただのサボりであった。
生まれつき要領がそこそこに良く、かつ知的探究心に溢れていた彼は、与えられた時間の8割ですべての職務をこなし、残り2割を書斎での読書に充てるという荒業を、かれこれ数年バレることなく続けている。
要は、狡賢かった。

領主は昼間はもっぱら出かけているし、屋敷の中の者も奴隷には一切の興味関心を示さない。
奴隷同士も、お互い必要最低限の接触と会話しか許されていない。
書斎の掃除をする振りでもしていれば、誰もオリバーの極々些細な悪事には気づかなかった。

それをいいことに、オリバーは今日も今日とて、気になった本を気まぐれに読み漁るのだった。

今彼が手にしているのは、 真新しい雑誌だった。
つい数日前から本棚に出現したそれには、隣国トリアスタとの戦争についての最近の新聞記事が寄せ集められている。

オリバーが暮らすこのエフィリアは、”エルフ”と呼ばれる種族が統治する王政国家である。
エルフは人間の亜種のようなもので、外見的なところで言えば、人間と違うのは耳の先が尖っていることと、皆一様に容姿が美しいことぐらいである。
エルフをエルフたらしめているのは、ある特定の”自然の力”を使えること、そして、500年を超える長い寿命であった。

そんなエフィリアの隣に位置するトリアスタは”人間 ”が統治する軍事国家で、国民は人間だけで構成されている。

昔はそれなりに交易のあったエフィリアとトリアスタだったが、数十年前から始まったエフィリアのトリアスタ侵略により、瞬く間に両国は敵対関係に変わり果てた。
しかも、エフィリアが捕らえた人間を奴隷として苦役するという政策を打ち出したものだから、両国の軋轢はどうしようもないほどに深まっていった。

ちなみに、このメディングも、かつてはトリアスタ領だった。
現在は、エフィリアの新興貴族が領主としてメディングを治めている。
オリバーはといえば、物心ついたときから奴隷として育てられ、およそ15歳になるころ、この家に買われた身である。
この家で立派に奴隷を務め上げること約10年、そんな自分の人生に特に感慨もなく、幸せとも不幸とも言い難い日々を、彼は「そんなものだ」と受け入れ過ごしていた。

なお、当時の領地を3分の2ほど奪われたトリアスタは、近年軍事力の急激な強化により、エフィリアに勝るとも劣らない戦績を見せつけている。
それが故に、軍事力を持つエフィリア貴族向けに、こんな雑誌が世に出回っているのだ。

彼は雑誌の終わりがけのとある記事を眺める。

――――――――――

『能無しムーディ、遂に引退。後任はクロフォードか。』

某日、××の襲撃・略奪を苦しくも成功させたトリアスタ軍だが、その際軍を率いていた特攻軍第1師団第3旅団長のクリス・ムーディが、右腕を失い軍から身を引いたことが判明。
後任には第2旅団長のニック・ハリソンが兼務で充てられたが、臨時との情報がある。
宮廷関係者によれば、現第1大隊長レイ・クロフォードが正式な後任として有力と話している。

――――――――――

記事に小さく添えられたムーディの似顔絵は、本当に軍人かと疑いたくなるほど、ぷっくりとむくんでいた。
一方、その横に並ぶクロフォードの似顔絵はまた違う意味で、軍人らしくないなとオリバーは独りごちた。
エルフでもないくせにあまりに整った顔立ちは、少なからず美化されているに違いないと、不躾にもそう思った。

ちょうど気になる記事にすべて目を落としきったタイミングで、目に入った壁掛け時計がタイムアウトを知らせる。

オリバーは雑誌を元の場所に戻すと、凝り固まった肩をぐるぐると回し、大きくひとつ、あくびを打った。




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