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薄氷を履む
邂逅@
春たけなわの某日、トリアスタ特攻軍第1師団第3旅団、第2師団第1旅団、第4師団第5旅団は、三都市同時奪還計画遂行のために、それぞれの目的地へ向けて本部を発った。
レイ率いる第1師団第3旅団は、第1大隊から第7大隊、戦闘支援局および軍医――総勢3,624名を動員し、約一日をかけてホブの東側に隣接するメディングへ到着、そこで一夜を明かしたあと、日が昇る前の早朝に、いよいよホブへと進軍した。

余談だが、奪還宣言からひと月と少しが経ったメディングは、国防軍と現地の元奴隷が復興に励んでいる最中で、これっぽっちも行政やインフラストラクチャーは整っていなかったけれども、街中に人々の希望が満ちているような活気があった。
元奴隷たちのやっていることは、奪還前も奪還後も労働であることに変わりはなかったが、彼らにとって重要なのはそんな表面的なことではなくて、果たして何のためにこの限られた命を使うかという意義にあった。
彼らを救った第3旅団の再訪は言うまでもなく歓迎され、丁重にもてなされたのだった。


さて、ホブ奪還の大まかな戦略は以下の通りである。

エフィリアの国民は、大きく、アリストクラット(貴族)、ブルジョワジー(有産階級)、プロレタリアート(無産階級)の三つの階級で構成されている。
エフィリアの街は大抵、中心部にアリストクラット、その周りにブルジョワジー、さらにそれを囲うようにプロレタリアート、というようにそれぞれの階級ごとに住居の区画が分かれていて、ホブも例外ではなかった。
ホブ奪還にあたっては三つの侵入ルートを引いてあり、メディングから見て北西と南西の細い路からはそれぞれ第4大隊と第5大隊が、ちょうど真ん中の大きい路からは第1大隊から第3大隊が攻め入ることになっていた。
第3大隊から第5大隊はプロレタリアートの住居区画を襲撃し、拓けた進路から第1大隊と第2大隊がブルジョワジーの住居区画へ侵攻、三日目には第2大隊がアリストクラットの住居区画へ軍を進め、そこから扇状にホブ全体を制圧していくという流れである。
なお、第6大隊と第7大隊は、野営地の設営や見張り、襲撃が終わったあとの “掃除” といった仕事を担う、要は予備軍として動員されていた。

これまで第1大隊長を務めていたレイは、専ら最前線で領主の首を取りに行っていたが、今回からはバトラーが大隊長に着任して第1大隊が自分の手を離れたこともあり、後進の育成として、第2大隊に領主の館の撃破を命じ、自身は最初バトラーの指揮の様子を側で窺いながら、二日目以降は他の大隊の様子も見て回ろうと考えていた。

上述の戦略が上手く運べば、ホブへの侵攻開始から奪還宣言までは、およそ二週間を見込んでいる。


ホブへの侵攻開始から数時間が経った頃、レイはブルジョワジーの住居区画内、中でも一番の規模を誇る商人ジャコブの屋敷に、第1大隊第2中隊第1小隊第3班の面子五人を引き連れて赴いていた。
すでにプロレタリアートとブルジョワジーの住居を数軒潰した後だったので、彼らは返り血で軍服を汚していたが、どす黒い赤は黒色の布に同化していて、傍目にはあまり分からなかった。

ジャコブの屋敷は貴族の館に引けを取らない豪勢な造りで、使用人も含めておよそ三十人は収容できる三階建ての大邸宅であった。
庭も広く相応な敷地面積が故に他の住居と少し離れた所に位置する屋敷の四面には、背の高い鉄柵が打ち立てられていて、容易に侵入を許さない意図が見て取れる。

トリアスタ特攻軍襲撃の報せは一足先に届いていたようで、正門を塞ぐように警備兵のエルフが十二人、槍を構えてずらりと並んでいた。
歩いて近づいてくるレイたちを、警備兵は固唾を飲んで見守っていたが、レイたちと警備兵の距離が五十メートルほどになったところで、レイが腰に携えている刀二本のうち一本を抜刀したのを合図に、両者がお互い駆け出し、交戦が始まった。

レイは向かってくる槍をひらりと交わして敵の懐に入り込むと喉元を素早く切り裂き、血飛沫の飛んだ胸倉をむんずと掴んで、別の方向から突きつけられた槍の前に押し出した。
盾になったエルフを突き刺した槍をその体ごと地に投げ捨て、武器を失ったエルフの喉を刀で突き刺し、これで二体。
刀を引き抜きながら素早くしゃがんで心臓を狙った槍を交わすと、頭上のそれを左手で掴んで力いっぱい前に引き、背後のエルフがそれに引き摺られて姿勢を崩す気配を感じながら、刀の峰を担ぐように右肩に乗せる。
背後のエルフの心臓がそれに貫かれたのは、予定調和であった。これで三体目。
背中にのしかかった死体をずり下ろして、自身に向けられる殺気がなくなったことを確認したレイは、立ち上がりながら仲間たちの様子をざっと窺った。
そうして一番分の悪い、一人で三人の相手をしている一等兵の元へ大股三歩で距離を詰めて、背を向けていたエルフの身体の真ん中に刀を突き刺した。
他二人のエルフの気が一瞬逸れたところに、一等兵がレイから遠い方のエルフの肩口を深く切り付け、残る一人の喉元をレイの刀が切り裂いた。
一等兵に切り付けられたエルフが肩口を押さえて呻きながら倒れ伏したのをレイがギロリと一瞥して、一等兵の腿のあたりをブーツで蹴りつける。
黒い布生地に、白っぽい砂の汚れが付着した。

「息の根止めろよ。」

冷たく言い放つと、一等兵は慌てたように、倒れ伏したエルフの喉を剣で突き刺した。
エルフの体がピクピクと痙攣して、口から鮮血を吹き出し、やがて動かなくなった。これで六体。

レイは戦況を確認するために周囲をぐるりと見渡して、十二人のエルフのちょうど最後一人が、第3班班長の剣に貫かれたのを確認した。
それ以外の班員は、どうやら死体の所持品を探っているようで、レイは「集合」と声を掛けた。
直径約二十メートルの範囲に散っていた班員がキビキビと彼の周りに駆け寄る。

「怪我は?」

短く問うと、班員は声を揃えて「ありません」と答えた。
ちなみに、この場合の “怪我” というのは、戦闘に支障が出る程度のものを指していて、多少の裂傷や打撲は含まれていない。
彼らにとってそれらは、指のささくれみたいなものだった。

続いて「何を探してた?」と死体を探っていた班員に問いかけると、代表して上等兵が口を開いた。

「錠前の鍵を。見つかっていませんが…。」

「あー。」

レイは振り返って、鉄柵の門扉の打掛錠に、頑丈そうな南京錠が掛けられているのを視認した。
柵の外にいる警備兵が錠前の鍵を所持している可能性は、平時はともかく、有事であればどうだろうか。
もし警備兵が全員殺されたらどうなるか?
その可能性にすら行き着かない脳みそだとしたら、きっとここまでの資産を築けていないはずである。

「持ってないだろうな。」

言われた上等兵は、一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、「あ」と心づいたように小さく声を上げた。
レイは気にも留めず、左腕の肘窩に刀身を擦り付けベッタリと付着した血を拭いながら、大きな門扉の前へ身を寄せた。
柵の奥に見える屋敷の玄関には、先程まで警備兵が二人程待機していたように記憶しているが、いつの間にか引っ込んでしまったらしい。

「どうしましょう」と後ろから声をかけてくる班長を無視して、レイは南京錠の鍵穴に左の手のひらを押し付けた。
そうして五秒ほどじっとしたあと、彼はおもむろに手首を時計回りに捻った。
同時にガチャ、と音がする。

「え?」

呆けたような声が誰かから上がった。
「何したんですか」と思わず上等兵が聞くと、彼は「ピッキング」とだけ答えた。
上等兵の顔には「わかるように説明してくれ」と書かれていたが、背を向けていた彼の視界には入らなかった。
解錠された南京錠をぽいと投げ捨て、打掛錠を跳ね上げ、門扉を後退りながら手前側に引けば、いとも簡単にそれは開いてしまう。

ちなみにレイは平素からこんな風に素っ気ない男ではなく、むしろ本部で隊員に訓練してやる時などは、一聞かれれば十答えるぐらいにはサービス精神旺盛だったし、育成に関心もあった。
ただ、戦の最中、今この瞬間の “勝ち” に関係ない行動や会話に割く時間を彼は無意識下で惜しく思っていて、こういうときばかりは酷く冷淡な印象を与えがちだった。
それを陣地に戻って一人になったときなどにふと後悔することはあったが、潜在意識では「そんなことに時間を割こうとする方が悪いのだ」とも思っていて、結局反省までには及ばず、当然改善されることもなかった。


レイは班員を後ろに引き連れて立派な庭を抜けて玄関にたどり着くと、先程と同じ要領で玄関扉を解錠して、いよいよ屋敷の中へ侵入を果たした。

彼らが扉を開け放つやいなや、玄関ホールは騒然とした。
さすがにこれだけ早く警備が突破されるとは思っていなかったのか、三階まで吹き抜けになっている開放感のあるホールには、警備兵や使用人が大勢屯して、悠長にも――本人たちは必死だったかもしれないが――作戦会議を開いていたらしかった。
彼らのお出ましにより、当然ながら作戦会議は中断され、得物を構えて一心不乱に彼らに向かってくる者もいれば、慌ただしくホールから逃げ出ていく者もいた。
レイは班員が全員ホールへ入ったことを確認してから玄関扉を完全に閉め切った。
その彼の手の触れている所から、突如扉に氷が張り始めて、急速に広がっていく。
それは、一般的にはエルフが持つとされる “自然の力”――通称『ダグア』によるものに他ならず、オリバーの読み通り、また、『トリアスタ軍佐官履歴便覧 第48号』に記載の通り、彼は紛れもなく “氷使い” であった。


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あきゅろす。
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