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薄氷を履む
夢の跡
ゼノは春の太陽の下に寝転がっていた。
小高い丘の斜面は背の低い雑草に覆われていたが、頭の後ろに回した腕にはなんの感触も伝わってこない。
青い空にまばらに浮いた雲が、視界の中をゆっくりと流れていく。
視界の遠くに、見慣れた城の尖った屋根が見えた。

『ゼノ。』

柔らかい声がすぐ隣から聞こえた。
首を少しだけ傾けると、ゼノの横に座る女が、微笑みを湛えて彼を見つめている。

『今度、あなたに会わせたい人がいるの。』

『ア?』

『少し前にオルヴァシオンで偶然出会って、それから仲良くなったんだけど、とっても素敵な人。きっとあなたとも仲良くなれると思う。』

『へー。』

ゼノは大きなあくびをした。
女が声を上げずに笑う気配がした。

『人間だけど、あなた別に気にしないでしょ?』

『そもそも興味ねェ。』

『残念。』

言葉とは裏腹に、女はにこにことしていた。
ゼノは女のそういうところが憎めなくて、どうしようもなく愛おしく思うのだった。

『リアムっていうの。リアム・クロフォード。もしわたしが紹介するより前に会ったら、ちゃんと挨拶しておいてね。』

『知らね。』

その名前は、その顔すらも、知っていた。






「おい、傭兵!!」

そんな怒鳴り声で、ゼノは夢の淵から引きずり上げられた。
その一瞬の間に、見ていた夢の中身は忘れ去ってしまって、どうして懐かしい気分だけが、なごり雪みたいに消えずにいるのが気持ち悪かった。
ぬくい布団の中で頭だけを起こして、怒声の聞こえた方向に視線を巡らせると、恰幅のいい男のエルフが、開け放たれた扉の前で鬼の形相をして肩をいからせている。

「さっさと起きやがれ!ここを出るぞ!」

「……ア?」

「ここを出るっつってんだ!トリアスタが攻めてきやがった!」

「……マジかよ。」

ゼノは男の言葉を心中で反芻して、それから、心底面倒くさい、と思った。





先だってゼノが引き受けた契約の概要は、ホブの商人ジャコブの護衛任務だった。
ジャコブはホブ随一の商売人として名声を上げていたが、近頃の情勢を受け、これまでせっせと培ってきた資金力を活かして早いところ拠点を移してしまった方がよいとの見立てから、その言わば避難にあたって、腕利きの傭兵を探していた。
ところが傭兵側も、危険とわかっているホブまでわざわざ足を運ぶことを忌避し、なかなか見つからない依頼の請負人にジャコブは報酬を吊り上げに吊り上げ、それでも見つからないので桁を一つ増やしたところにようやく現れたのが、ゼノだった。
ジャコブは、いくら出費がかさもうとも命に替わるものではないし、なんならあと一桁か二桁増やしてやろうかといよいよ考えていたところだったので、請負人が現れたことに文字通り泣いて喜び、パブのマスターから「ゼノがホブを観光したがっている」との沙汰を聞くやいなや、部屋も余っているからぜひ自分の屋敷を宿にして前入りしてはいかがか、と、ゼノが依頼を受けた数日後には彼の元に手紙を寄越した。
そんな折、ちょうどゼノも宿を探していて――というのも、金を出される傭兵ですら寄り付かないホブに外からやってくる物好きはやはりほとんどいないのか、ホブの宿屋は軒並み潰れてしまったようなのである――ジャコブからの申し入れにこれ幸いと甘えることにしたのだった。

そうしてゼノがホブに着いたのが昨夜のことで、今日は少し朝寝坊してから街をゆっくり巡ろうと考えていたのだが、ちらりと壁の時計に目を走らせれば、まだ日が昇って幾許も経っていないくらいの時刻だった。

大儀そうにのっそりと寝台から降り立って靴をつっかけるように履くゼノに、男――ジャコブは、焦れたように声を上げた。

「さっさとしろと言っているだろう!」

「はァ。オレはオレで勝手に逃げるからほっとけよ。」

「……は?依頼を忘れたとは言わせんぞ!」

ゼノは床に転がったベルトを屈んで拾い、腰に巻き付けたあと、寝台の枕元に置いてあった鞘に収められた短剣をベルトに差し込んだ。
続いて、サイドテーブルに無造作に放られていたリュックサックの肩紐を手に取り、緩慢な動作で背負う。

「忘れてンのはそっちじゃね?契約は "4日後に護衛開始" ってハナシだろーが。そんときに、オマエがまだ生きてたら、守ってやるよ。」

「ふざけるな!ああ、金の問題か!?倍出そう!」

「ヤダね。契約書に書いてあることしかやらねェ。前倒しすンなら、契約取り交わすとっからだ。」

「そんな悠長なこと言ってられるか!もう、すぐそこまでトリアスタ軍が――」

ジャコブが言い終わらないうちに、パキパキという細かい音がどこからともなく聞こえてきて、追いかけるように冷気が部屋を包み込んだ。

「ああ、嘘だろ!よりによってクロフォードが来やがった!!」

「――クロフォード……?」

「トリアスタの氷使いなんてクロフォード以外に誰がいる!?クソ、もうお前は知らん、一人で逃げる!こうしてる間に奴が来たら殺されちま――」

またもやジャコブの言葉が途切れた。
ゼノは切れ長の目を大きく見張る。

ジャコブの身体の中央から、血に濡れた刃物が突き出ていた。
恐らく、心臓ど真ん中を突いた、容赦の欠片もない太刀筋だった。

しばらくしないうちに刃がずるりと引き抜かれ、ジャコブの身体が力なくくずおれた。
そうしてその向こう、一人の人間の姿が、ゼノの視界に映る。
その顔は初めて見るはずなのに、どうしてか、やけに、見憶えがあった。
まるで悪夢を見ているようだった。


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