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薄氷を履む
誓約書@
オリバーはトリアスタ特攻軍の書庫で、窓際にある4人掛けのテーブルに腰掛けて、『トリアスタ軍佐官履歴便覧 第48号』という10cmはあろう分厚い冊子を、頬杖をつきながらパラパラと捲っていた。
メディングにいたころは長かった髪が、耳にかかる程度の短さに切りそろえられ、ラフなベージュのシャツを身にまとった彼は、純朴な好青年という風采だった。

彼はおよそ一週間前、ジェリーの差し金もあって、トリアスタ特攻軍戦闘支援局への入局を果たした。
戦闘支援局の主な仕事は、戦地への物資の輸送と補給、本部の備蓄管理や整備などである。

彼自身はてっきり特攻軍の隊員として最前線で命を危険に晒すものと考えていたが――彼の持ち得る情報からはそれしか想像しえなかった――、ジェリーに言わせれば「これっぽっちも適性がない」とのことだった。
オリバーの目的は俗に言う"レイの追っかけ"だったので、わざわざ身を削らなくてもよいのであればそれに越したことはなく、戦闘支援局で職務にあたることを彼も快諾した。

入局後の現在は、見習いとして局の雑務をこなす日々を送っている。
戦闘支援局での仕事は、彼が奴隷としてやっていたことと、事柄は違っても本質は同じようなものだったので、彼は一週間にして難なく職場に馴染んでいたし、むしろ入局したてにしては手馴れていることもあって、彼の評判は上々とさえ言えた。

今日は彼にとって五日ぶりの休日で、トリアスタ軍所属であれば誰でも使ってよいと聞いた書庫に、日がな一日篭っていた。
オリバーは本に関して選り好みせずなんでも読んだが、中でも特に小説を好んでいて、メディング領主の書斎で過ごす時間は、その七割方を小説に使っていた。
ところがこの書庫には、所謂娯楽に分類されるそういった書物が驚くほど見当たらず、最初に書庫を歩き回って十分ほど経ってから、オリバーは一人で肩を落としたのだった。
それでも本に囲まれた空間というのは変わらず彼の心を満たし、メディングでは見かけたことのないトリアスタの書物が無数に有るというだけで、オリバーはこの書庫をすぐに気に入った。
受付で司書に申請すれば持ち出しも可能らしかったが、彼は現在寮の六人部屋で生活していたので、騒がしい寮に持ち帰るよりも、書庫に設けられた読書用のスペースの方が静かで集中しやすかった。

もう日の入りが近くなり、大きな窓から夕日が差し込んでいる。
テーブル脇のランプは先程司書が灯りを点したばかりだったが、夕日に遠慮するように、慎ましやかにオリバーの手元を照らしていた。

彼はあるページでふと指を止め、舐めるように丹念に、そのページの文字を目でなぞった。
彼の瞳の中には、ランプの火と反転した『レイ・クロフォード』の文字が映し出されていた。

そのページ、見開き半分に記載されていたのは、特攻軍における大まかな彼のキャリアと、遠征の勝敗の記録、彼の簡易なプロフィールだった。
それは、なんということもない無機質なただの"記録"に過ぎなかったが、オリバーにとってはレイの人生に想像を馳せるための恰好の材料だった。
オリバーは少し、"そういう"気質の人間だった。

記録を見る限り、レイは入隊から5年足らずで大佐まで昇格したらしかったが、参考までに隣ページに記載されている某大佐の経歴を見れば、そこに行くまでに13年かかっている。
彼はやはり異才なのだろうなと、オリバーは一つ確信を深め、気持ちを高揚させた。

その記録を半ばうっとり眺めている途中、簡易プロフィールに記載された一行に目が止まった。

『現役の隊員としては唯一のエルマン(氷使い)である。』

オリバーは「そんな馬鹿な」と内心思わず呟いた。
元々オリバーが立てていた仮説は「彼が氷使いのエルマーニであろう」というところだったので、それが間違っていると認めたく無かったのもほんの少しだけ理由のうちに入っていたが、そんなことよりも、"現実的に"考えて、レイが『エルマン』であるとは到底考えられなかった。

エルマー二は、エルフに言わせるところの"血の窃取"で自然の力を得た人間のことを指す。
それと異なって、エルマンはエルフとの"血の契約"によって、自然の力を得た人間のことであった。
"血の契約"は、エルフと人間がお互いの生き血を飲むことで成立する。
エルフに宿る自然の力はそのまま人間へと移り、力を失ったエルフは"仮死状態"になるが、契約からおよそ30年経つと契約の効力が切れ、エルマンは力とともに生命も失い、エルフは"肉体が無事なら"元より増幅した力が戻り目を覚ます。
お互い命懸けの契約なので、ある国のある時代のある文化では、"生贄"のような意味合いを持たせてそれらが行われたこともあったが、決して広く用いられるものではなかった。

レイが生まれた二十一年前、トリアスタとエフィリアはすでに敵対していた。
彼とエルフが、"血の契約"を交わすタイミングも意味も意義もないはずだった。

「やぁオリバー。何してるの?」

そんな呼びかけと共にポンと左肩に乗せられた手に、新しい仮説を構築するのに夢中になっていたオリバーは、ビクンと体を跳ねさせ冊子を勢いよくパタンと閉じた。
彼が恐る恐る首を左向きに回して見上げた先で、ジェリーがニッコリと笑って彼を見下ろしていた。
今日はトリアスタ軍規定の休日だったので、ジェリーも私服――深みのあるくすんだグリーンのシャツと黒い細身のボトムス――姿だった。
オリバーは驚きでドキドキと音を立てる心臓をそのままに、さも平静を装って首だけでぺこりとお辞儀をした。

「キングストン少佐、おつかれさまです。」

「おつかれさま。」

オリバーは戦闘支援局に入って、官位をもつ隊員の呼び方を教わった。
特攻軍の隊員同士であれば役職で、戦闘支援局や国防軍といった別組織であれば官位で、というのが、トリアスタ軍のしきたりらしかった。
それを知って、彼は目下、レイに「クロフォード大佐」と呼びかけることが目標になった。

「今少しいいかい?」

「あ、はい……。」 

ジェリーはオリバーの左隣の椅子を無造作に引き、体を彼の方に斜めに向けて、浅く腰掛けた。
オリバーは何となく今しがた自分が眺めていた冊子について触れられたくなくて、本をそっとジェリーと反対側の机の端に押しやった。
しかしどうやら、先程の「何してるの?」という言葉は、日常的に挨拶として用いられる「元気?」という言葉と同等にほとんど意味を持っていなかったようで、ジェリーはそんなオリバーの挙動に気づくことなく――もしくは気づきながら触れることなく――、彼の目を真っ直ぐに見据えて口を開いた。

「朗報だ。」

オリバーの眼前、机の上に二枚の紙が重ねて差し出され、彼はそれを食い入るように見つめた。
紙の上部に書かれた短い文字を、彼はゆっくりと声でなぞった。

「誓約書…。」

「そう。君を第2大隊に迎えるにあたっての、だ。」

オリバーは弾かれたようにジェリーの顔へ視線を移した。
というのも、戦闘支援局に入ってからしばらく、オリバーはジェリーにだまくらかされたと思っていた。
それほどまでに、戦闘支援局の仕事がレイに繋がるビジョンが見えなかった。
レイはおろか、ジェリーとすらほぼ接触が無かったので、きっとこのままパタリと連絡がなくなって何の約束も無かったことになるのだと、悲嘆にくれたのがつい昨夜の話である。

「ちゃんとレイから許可をもらったから安心してくれていい。」

ジェリーはいたずらが成功したような笑みを浮かべてから、机の上に備え付けられていたペンとインクを手元に引き寄せた。

「じゃ、中身をよく読んでサインして。片方は控えだからサインはいらないよ。」

オリバーは手渡されたペンをほとんど無意識に受け取りながら、紙面の内容にざっと目を通した。
第二大隊への出向に同意し職務を全うすること、第二大隊で得た情報はどこにも漏洩させないこと、謀反を起こさないことなど、その他細かな約束事がびっしりと書き連ねられていたが、どんな理不尽な約束事を突きつけられても彼がこの誓約書にサインするというほんの少し先の未来は変わりようがなかったので、だいたい五行ほど目を通したところでオリバーはペンをインクに浸して、紙面の左下に不格好な文字を書き込んだ。(彼は字を"読む"ことはあっても、"書く"ことは全くと言っていいほどなかったので、お世辞にもそんな彼の字が綺麗だとは言いがたかった。)


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あきゅろす。
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