逆転のち逆転
【T】形勢逆転(3)
建物の壁越しに、ワイワイと楽しげな話し声が聞こえる。
自主練組が引き上げて来たんだろう。
あ、俺のカバン置きっぱなしだけど大丈夫かな…。
そうだ、これを機に逃げ出せるんじゃないか?
縋るような気持ちで、部室の方に顔を向ける。
「あー、自主練組、戻ってきたっぽいね。俺カバンそのままにしてきちゃったから、取りに行かないと、」
「ねぇ宮間」
名前を呼ばれただけなのに、ドキリとする。
「わたしにキスできる?」
「……は?」
突拍子もない質問に、思わず素で声が出た。
「なに、言ってんの?」
「女の子好きなら、できるよね」
「お前は何がしたいわけ?わけわかんねー…」
「宮間がほんとに女の子好きなのか確かめたいの!もしかして、実は男の子が好きなんじゃないかなーって、思って」
声が出なかった。
心臓がバクバクとうるさい。
「ほら、最近広瀬と距離近いし…広瀬も肌ツヤ良くなって、もしかしてそういう感じ?みたいな」
ああ、だめだ。
俺がゲイってバレるのはもう仕方ないけど、秋一を巻き込んだら。
秋一の名前が出たことは、俺にとってはクリティカルヒットだった。
目の前のマネージャーの華奢な体を抱き寄せ、身をかがめてキスを落とす。
これで満足か?もうそんなよくわかんねーことほざくなよ、と、キスの後の捨て台詞を考えていたときだった。
「何してるんですか」
聞きなれた声は、しかし今一番聞きたくない声だった。
腕の中のマネージャーはビクッと体を揺らし、突き放すように俺から離れた。
恐る恐る声がした方を振り向けば、ズンズンとこちらに向かって突き進んでくる秋一の姿が。
「広瀬くんこそ、なんで、ここに、」
秋一は動揺しているマネージャーの目の前に立ち、その腕を掴んで、その口にキスを落とした。
「っ、」
マネージャーはバッと手を振り払って、どこかへ走っていった。
秋一がゆっくりと俺の方を向く。
ああ、見られたくないな、今の顔。
「酷いじゃないですか」
「………………」
酷いのは、どっちだよ、とか。
でも俺もキスしたしなぁ、とか。
そもそも、恋人でもないのに嫉妬しちゃってる自分って、なんなんだ、とか。
あれ、てかなんで秋一はマネージャーにキスしたの?
グルグルと巡る感情と思考に収まりがつかず、頭をガシガシと掻いた。
「別に、付き合ってるわけでもねぇのに、てかお前もなんかキスしたじゃん今」
「――え?もう一回言ってください」
「だから、キスしたじゃんって」
「その前」
「別に付き合ってもないのに」
「…そうなんですか?」
きょとんとする秋一に、きょとんとする俺。
「……は?付き合ってねぇだろ」
「……それは、……知らなかった」
「はぁ?お前、俺と付き合ってるつもりだったの」
「はい」
ここに来て、大型爆弾投下。
「いやいや、付き合ってくれなんて言った覚えも言われた覚えもねぇよ!」
「心のどこかで繋がってると信じてました」
口がポカンと開く。
こいつは間違いなく頭がイカれてる。
イカれてしまってる。
心が繋がってるとか、エスパーか?
「ご覧の通り全く繋がってないけど」
「残念です」
残念で片付けんな。
お前の思考回路を今すぐ詳しく教えてくれ。
秋一は心なしかシュンとした表情で、肩を落とした。
何それかわいい。
「じゃあ俺たちの関係って、セフレですか」
問いかけの内容はまったくかわいくなかった。
「はぁ!?違うだろ!!」
「もしかして、単なる性欲処理器……」
「違う違う違う!!お前ほんとバカ!!」
「じゃあ何なんですか」
「……………」
なんなのか、と聞かれても…。
もはや先輩後輩で済ませられるもんじゃないことはわかる。
片思い、ではないから、両思い?
でも俺の思いは秋一に伝えてないし、付き合ってないのは事実だし。
エッチしたのは、事故みたいなもんというか。
若気の至り、みたいなやつで。
あーくそ、難しい。
俺が一番わかってねーよ!
「わかれよ……」
全てを放棄してそう吐き捨てれば、
「……何を?」
至極真っ当な答えが返ってきただけだった。
そりゃそうだわ、そうなるよな。
なんだか、ここまで来たらどうでもよくなってきた。
もう、全部ぶちまけてしまえ。
「お前のこと、ずっと好きだった…――」
「それは知ってます」
「………………………はぁぁあ!?知ってたの!?」
「はい」
そんな平然としてんなよ!
俺としては重大な告白だったんだぞ!
「……なんなんだよもう……お前ほんとよくわかんねぇ…」
あまりのコミュニケーションギャップについていけず、今度は俺がガックリと肩を落とす。
秋一は、そんな俺の肩をガシリと掴み、俺の目を正面から覗き込んだ。
「俊希さん、俺と付き合ってください」
「………それは無理」
「……なんで?」
秋一はまさにガーン、と、盛大にショックを受けたような顔をした。
心がツキリと痛む。
いや、俺だって、なんの制約もなければお前と恋人になりてぇよ。
むしろ、両思いってだけでも夢みたいな話。
だけど。
「もし付き合ってるのバレて、俺が引かれるのは別にいいけど……お前がいじめの対象になるのだけは嫌だ」
「……もしかして、だからずっとツンデレ装ってたんですか」
「どこの誰だそれは」
俺のツッコミは一切耳に入っていないのか、秋一は感極まったように声を震わせた。
「いいんです、俊希さん。俺、俊希さんさえいてくれれば、いいです」
「いや、俺はよくないし」
「それに俊希さん、前、好きな男に告白してたじゃないですか。なんで俺はダメなんですか」
「………俺、あの頃からお前のこと好きだったんだけど」
「………え?」
「でも、お前に引かれるの嫌で……お前に似たやつに告白してた。顔が似てるやつとか、性格似てるやつとか」
秋一は呆けた顔をしていて、さすがにそこまでは知らなかったんだろうなと言外に察する。
「でも、普通に引かれて、キモいとか言われて、お前に告白してもこんなこと言われんのかなとか思ったら、泣けてきて…」
あ、くそ、思い出したら涙出てきた。
部室で一人泣きじゃくっているところを秋一に見られたのは、今となっては黒歴史だ。
「あの時慰めたりするから、とめられなくなって、もう、バカ、お前のせいだっ、」
いきなり、秋一に抱きしめられた。
突然のことに、息が止まる。
「っ、」
「俊希さん、すごく可愛い。そんなこと思ってくれてたんですね」
ギューっと力をこめられ、心臓がバクバクと音を立てた。
「何も心配しなくていいです。それはあくまで俺に似たやつの話でしょ?俺は俺だ。引いたりなんかしません。もしバレるのが嫌だったら、こっそり付き合えばいい。」
ああ、こんなに愛されてんだな、俺。
なんだか急に、今まで意地になって突っぱねていた自分が馬鹿らしく思えてきた。
こんなに大好きな秋一に、こんなに思ってもらって、何を怖がっていたんだろう。
「だから俺と付き合って――」
秋一の足を払って、落ち葉が積もった地面に引き倒す。
それは、俺に言わせて。
「秋一、俺と付き合ってくれる?」
「よろこんで」
秋一は至極幸せそうに微笑んだ。
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