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切望2


 紺堂との過去を思い出したとして、彼がここに来た理由がわかったわけではない。わざわざこんな入り組んだ場所まで来たからには、何かしらの理由があるはずだ。

 ましてここは相談室。抱えた悩みを比叡院にぶつけるための場所である。



「あー……立派に成長したわね」
「ありがとうございます」
「……座ったら?」
「そうですね」



 視線は比叡院から逸らさないが、なんとかいうことを聞いて座ってくれたのでほっとする。これで「嫌です」と至近距離から見られ続けていたら、本当に穴が空いてしまいそうだった。



「お茶、飲むかしら? それともコーヒー派だったり?」
「緑茶はありますか」
「ええ、いいのがあるわよぉ」



 なんとなくだが、見た目や家元から緑茶な気はしていた。おそらくどこに行っても、問答無用で出されない限り洋茶は飲まないだろう。

 立ち上がって茶の用意をしている間にも、背中には常に視線を感じていた。
 それがたまに逸れるのは、部屋の中を見渡しているのだろうか。

 乙女の部屋をそうまじまじと見るものじゃないわよ――とからかってやりたかったが、ここは家具などあったものはそのままに、比叡院があれこれ物を増やしただけなので、綿密には彼のプライベート空間ではない。



「どうぞ」
「どうも」



 格子から差し出された緑茶をそっと大きな手が受け取った。一口飲む姿も驚くほど様になっている。



「日本男児って感じよねえ……」
「旧家ですからね。あなたの家も相当大きいんじゃないですか?」
「…………」



 確かにこの学園には、良家の子息たちばかりが集う。そのためだけに作られた学校だが、低いところでも各分野の大手企業の息子なんてものが普通である。
 その高度な教育を受けるにふさわしい知能を持っていながら経済的に無理のある家庭のため、無論奨学生制度も用意されている。



「けれどあなたは、奨学生じゃありませんよね」
「…………」



 比叡院は何も言わない。優雅にカップを傾け、淹れたての紅茶を楽しむ。

 紺堂は焦れた様子もなく、湯呑みを手に持ったままじっと比叡院を見つめていた。その視線がふと逸れ、部屋の奥に掛けられた学園の制服に移る。

 ここに初めて来る生徒は必ず、あの制服に目を留める。比叡院は常に私服だ。彼のの正体も、あの制服のことも、知るものは今の学園にはいない。年齢すら不詳で、いつの在校生なのか、まだ生徒として登録されているのか、そもそも学園に在籍していたことがあったのか。


 比叡院の謎は、追えば追うほど深まるばかりだ。毎年新しい部員を迎える新聞部はその度に彼の過去を探ろうとしたが、三日もせずその足がかりのなさに音を上げる。



「……さて、紺堂くん。ここは相談室よ。アタシへの個人的な詮索をする場所じゃないわ」



 案に、探りを入れに来たのならさっさと帰れと。
 珍しく言葉に棘を含ませて、比叡院は足を組み替えて紺堂を見据えた。
 竦んだ様子はない。つくづく武士のようなやつだと思った。多少狡猾で、爪先数センチを武士道から外れた男。

 紺堂は恭しく頭を下げ、久しく比叡院は彼の視線から完全に解放された。



「怒らせてしまったようで申し訳ありません。では率直に申し上げる」



 湯呑みを置く音が、やけに大きく感じられた。続くであろう言葉が何であれ意に介さないと言いたげに、比叡院は至って普段どおりにしている。



「ここを出る気はありませんか」



 なんとなく予想は……していた。
 彼が自分に持つ感情がなんなのかはわからないが、命を救われたからといってこんな――牢屋に入っているような人間に意思を問うとは、その顔の裏にどんな心理や目的があるのだろう。


 比叡院は少し乱雑にカップを置く。別にとっておきの茶器ではないから、壊れても未練はない。



「ここに来た一番の目的がそれなら――すぐに帰りなさい、紺堂の御令息」
「……出る気はないのですか」
「アンタはさっきからアタシに質問ばかりしているわね。何度も言うけど、ここは相談室なの。用件がそんなつまらないことなら、冷やかしに来たのだと思われても文句はないでしょ」
「『あなたをここから出したい』。これが俺の相談です」
「認めないわ。あなた個人のことで悩みがあったらいらっしゃい」
「比叡院さ――」



 比叡院はそれ以上紺堂の言葉を聞こうとはせず、身を翻すと奥の扉の向こうへ姿を消した。

 例えば恋の悩みだとか、親友と喧嘩しただとか、そんな相談事なら彼は自分のことのように話を聞いてくれる。まるでそれが自分の仕事であるかのように。

 だが自分のことを追求されると、人が変わったように聞く耳を持たない。

 相談室の主としての比叡院は、相手の言葉を無意味に遮ることはしない。遮ることが話法的に相手の心に響くこともあるので、そういうときに限るのだ。


 今のはそういったものとは関係なく、彼が話を聞きたくなかったという個人的な理由で無理やり退場した。

 あろうことか相談者その場に残して。



「流石に、急かしすぎたか……」



 しかし紺堂は冷静だった。比叡院が去ったのならそれはそれで好都合だ。部屋の中をじっくり観察できる。
 おそらく比叡院は警備員に「話は終わったと」伝えただろうから、つまみ出される前に出来る限りの情報を集めなければならない。


――と言ってもここは彼の生活空間ではない。手がかりになりそうなのは……



 比叡院が出て行った扉の側にかけられた制服。


 クリーニング後のようなビニールなどもなく、どの生徒もするようにハンガーに掛けられているだけだ。彼らと違うのは、全く着用の痕跡がないということだけ。
 紺堂は自分の優れた視力を惜しみなく発揮し、一組の制服を徹底的に観察する。


 目星はつけてある。
 見ず知らずの生徒を前にしたとき、おそらく最初に確認するであろうものが、あの制服にもあるはずだ、と。



「…………!」



 あった。紺堂の目がぎらりと光る。



「…………赤、か……」



 襟元に光る、金に縁取られた校章。
 ネクタイの色は全学年で共通なので、学年を知るためには校章か上履きを見るしかない。


 紺堂は一年生で青い校章。そして今は二年が緑で、三年が赤だ。



「……今の三年に『比叡院』がいないか、会長に聞いてみるか……いや、あの人もよくここに来ていると聞いた。擁護する可能性も……」



 思考を巡らせる紺堂が警備員に声をかけられたのは、そのわずか十秒後のことだった。









 ばたん、と扉が閉まりきると、比叡院は息を残らず吐き出してその場に座り込んだ。



「はあああ……最近の子はみんなあんななの? だったら相談室なんてやってらんないわね……」



 格子向こうの警備室に繋がる受話器を取り、コール音の間彼はずっと不満を口にしていた。



『こちら警備室の阪元です』
「今日はもう終わりにしたから、今いる書記サマお返ししてくれる?」
『了解しました』



 阪元というこの人は、無駄がなくてきぱきしているので、比叡院は彼を気に入っていた。どこに行っても効率を求めてしまうのは――仕方ないことだ。染み付いた癖はなかなか取れないのだから。


 すぐに切れた受話器をしばし見つめ、比叡院は質素なベッドに飛び込んだ。



「……紺堂のことは……書く気になれないわね」



 机に置きっぱなしの来客記録を一瞥し、ふうとため息を吐く。
 少し疲れたと目を閉じると、そのまま眠りに落ちてしまった。


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