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生徒会書記・紺堂近衛の切望


 比叡院は珍しく動揺していた。
 いつもは人を動揺させ、からかうのがこの堅牢な檻の中での生きがいである比叡院が、だ。
 彼はこれでもかと注がれる視線を受け止めながら、数度目を瞬かせる。

 彼を追い詰める犯人ーー檻の向こうにいる一人の生徒は、ソファに座りもせず比叡院を至近距離から見つめていた。


 くろい目で。黒い、玄い目で。


 客が来たので比叡院は格子に近づいて声をかけようとした。客が来たのだから、ここの主人として当然の行動と言える。
 だが、いざ第一声を発そうとした瞬間、件の黒目が比叡院をその場に釘付けにした。


――どうせなら、もっと距離があるところでやってくれないかしら。人の目ってあんまり好きじゃないのだけど。


 正面に立ってみればよくわかるが、そこそこ高身長の比叡院より目に見えて背が高い。その差は二十センチはありそうだ。なら二メートル近くあることになる。
 だが彼は黒髪に黒目。肌は焼けて多少黒いが、外国の血は流れていなさそうだ。

 純日本人でこれならば、かなり恵まれた体格だろう。おまけに顔もいいときた。


――なあに、アタシは見られて喜ぶ変態じゃじゃないわ。


 完全に呑まれていたことに不満を感じた比叡院は首を振り、無理やり気をとりなおした風を装って今更ながら笑顔を浮かべた。



「……はじめましてよね? アタシは比叡、いっ!?」



 意を決した歩み寄りは、呆気なく失敗に終わった。


 両の頬に硬く暖かい感触。目だけを動かして斜め下をなんとか把握すると、無骨な手が自身の顔を包み込んでいた。
 意地に後押しされてたった一歩踏み出したその瞬間、長い腕が格子の隙間から伸びて比叡院の頬をがっしり掴んでいたのだ。


 人に触れられるのはかれこれ――数年ぶりだ。一年? いやもっと長い。十年……は経っていないはず。五年。うん、それくらいかもしれない。
 こんな檻に好き好んで文句も言わず住んでいるからには、比叡院は当然「ワケあり物件」である。そんな昔が昔だけに拒否反応があるかとも思ったが、あまりに急だったため払いのける手が追いつかなかった。

 頬をがっちりホールドされたまま、比叡院はその目に既視感を感じた。









 比叡院は他称『最強』だった。今ではわからないが、その昔――彼がまだ自由の身だった頃、喧嘩や殴り合いで彼に勝るものはいなかった。学内の不良も地元のギャングも、誰も比叡院に膝をつかせることができなかった。

 彼の名誉のために言えば、人を殴り殺して親がそれをもみ消し、だが本人が自責の念を感じて自ら学園地下の牢屋へ――なんてストーリーはない。そもそもそれなら、こんな快適な暮らしは望まなかっただろう。


 とにかく今よりずっと前、彼は週末のたびに街に降りては、カツアゲなどを働く若者連中を伸して回っては、警察にしっかり顔を覚えられ、のらりくらりと逃げ回る日々を送っていた。


 とある事件が起こったのは、なんでもないある日のことだった。だが数年経った今でもよく覚えている。朝までバーで飲み明かし、帰りに絡んできたチンピラを返り討ちにして、やっと家に戻ろうというところだった。



 比叡院の行く先に、一台の車が止まっていた。


 やけにつやりと光る黒塗りの車から降りてきたのは、一人の少年。すぐそこの小学校が頭の隅に浮かぶ。

 少年はその車に負けず劣らず黒く光るランドセルを背負っていたが、髪も服も小綺麗かつこざっぱりした、一言で言えばお坊ちゃんといった身なりだった。
 スーツにサングラスの黒ずくめのボディガードのような男が扉を開けていて、少年は慣れた様子でゆっくり降りては振り返らず歩いていく。


 比叡院は、ただ物珍しくて見ていただけだった。あるいは比叡院だったからこそだろうか。とにかく真っ先に気付けた。
 その少年にまっすぐ向かっていく、サングラスにマスク、黒のジャージという出で立ちの男の殺意に。


 危ない、とは誰が叫んだか。
 ボディガードの男が動き出す前に、比叡院はすでに標的に狙いを定めて間合いに入り込んでいた。ジャージの男がポケットからスタンガンを取り出したときには、比叡院の膝は男の顔にめりこんでいた。


 一仕事終えた比叡院は、もう誰かが警察を呼んでいるだろうからさっさとずらかろうと踵を返したが、そのとき見てしまった。



 とてもいい人間の見本とは言えない比叡院を、抱いてはならない憧憬という感情で見上げる少年の輝く黒い目を。









「……まさかよね」
「あなたの思っている俺で概ね正解です。なので初めましてというのはおかしいかと」



 比叡院は言葉を失い――みっともなく口を開くなんて無様な真似を彼はしないが――格子の向こうの美丈夫を見上げた。



「なので、お久しぶりです。その節はどうも比叡院さん。紺堂こんどう近衛このえです」



 老舗高級旅館グループの一人息子、紺堂近衛。
 かつての比叡院が命を救った幼い少年が、立派に成長して戻ってきた。目的はわからないが、別の方向にも変わってしまった比叡院に、彼は何を語るのだろうか。


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