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生徒会長・平野浩也の決心


 生徒会長、平野にとって、最近の学園生活はさながら苦行だった。端的に説明すると、妙な転校生のせいで仕事の量が極端に増えたのだ。

 自律性最重視の学園は、学費徴収や大きな設備投資など直接的な経営以外の予算等は生徒会に任せ、トラブル処理もできるだけ各委員会に委ねている。

転校生は備品を壊し、親衛隊との揉め事や暴力沙汰が相次いでいる。物が壊れれば処理と補填、それに伴う予算変動の始末などは生徒会の仕事になり、暴力事件は風紀が聞き取り調査や報告書を提出する。おかげで最近は授業に出れていない。委員会業務での欠席は手続きをすれば公欠扱いになるが、それも学期中の授業数の三分の一までだ。それを超えただけでは進級に影響はないが、補習を受けることになる。それ自体は構わないのだが、不名誉なことであるのは確か。家の名前に傷が付くかもしれない。

 この調子では、せっかくの新年度初の大イベント、新入生歓迎会の準備もままならない。新入生に楽しんでもらいたいという思いから綿密な計画を立てているのに、このままいけば予算の都合で、どこかを切り詰めることになる。つまり妥協するという意味なので、それは避けたい。

 前年度から無駄を省いて得た繰り越し金もこのためだというのに、これでは転校生一人のために消費してしまう。どうせなら新歓が終わってから来てくれればいいものを。つくづくそう思う。



「そう……タチ悪いのがいたって話はアタシも聞くけれど、そこまでひどいものなのねえ……まあ座って座って。お茶はいつものでいいわよね?」
「ああ……頼む」



 柔らかなソファにぐったりと座り込む平野に比叡院は気の毒そうに声をかけ、ハーブティーを入れるため部屋の端の台所に向かった。

 すぐに格子の向こうからハーブの香りが漂ってきて、平野は少し落ち着きを取り戻した。ハーブティーにはまってしまったのはひとえに比叡院のせいであるが、来るたびにこうしてうまい茶を振舞ってくれるので気にしていない。

 比叡院は淹れたての紅茶を新品のカップに注ぎ、格子の隙間から差し出した。ソーサーはない。それを承知で受け取った平野は、熱いはずのそれを一気に煽った。
 一瞬で鼻腔を抜け、体全体に広がるハーブの香り。一口で飲み干した平野は、まるで仕事終わりの酒を煽ったような気分だった。



「うまい」
「よかった。でも相当荒れてるわねえ。そこまでひどいならアタシも一度会ってみたいわ。怖いもの見たさだけど」
「やめとけ。あいつは美形が好きらしい、お前なんて一瞬で標的にされちまうぜ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。後でもういっぱいサービスしちゃう。……さて、それはひとまず置いといて。愚痴ならいつでもいくらでも聞くけど、……風紀委員長とはどうなのよ?」



 長い指を綺麗に揃えて口元を隠し笑う比叡院は、いきなり平野にとっての核心を突くどころか貫いた。多忙なせいで十分な休息がとれず顔色は悪いが、それでもどこか自信に満ち溢れた態度を健気に維持していた平野は、その言葉にあからさまに反応してむせ返った。ハーブティーを口に含んでいたが、咄嗟に手をやっていたので制服は汚さずに済んだ。



「あらあらあら。大丈夫? お水いる?」
「……けっこ、げほっ、……結構、だ」



 あらそう。くすくす笑いながら、比叡院はタオルと一人掛けのソファを持ってくると、格子の前で座った。



「だってあなた、トラブル多いってことは風紀とも結構絡むんでしょ? 嫌なことがあるんなら、そういうときこそ好きなことも楽しまなきゃ」



 わくわくと身を乗り出す比叡院。友人の恋愛話を聞く女子学生のようで、平野はたじろいだ。相談しにきたのは平野の方だが、比叡院がその話を強要したようになっていた。しかし、繰り返すが、時間を取ってもらったのは平野の方。比叡院はそのことを引き合いには出さないが、やはりどこか申し訳なさがあった。なのでしばしば口を開く。



「……あいつは……まあ、よくしてる。騒ぎが起こったときのために、食堂には頻繁に行くようにしてるし……」
「二人で?」
「…………」
「二人っきりで?」



 平野はうつむいて何も言わないが、それは明らかに肯定だった。顔は普段どおりだが、耳が少し赤い。入学式で堂々と挨拶をした才色兼備の生徒会長も、比叡院の前では形無しである。

 そんな平野を楽しそうに眺めながら、比叡院は優雅にカップを傾け、思案するように天を仰いだ。


 平野の本来の目的は、件の問題児のことではなく、風紀委員長風巻かざまきとの関係についてーー恋愛相談というやつだった。

 じわじわ切り出そうと考えていた平野は、ストレートな不意打ちに思わず上ずった声を出してしまった。



「……お前は……人の心でも読めんのかよ……」
「よく言われるけど、それはちょっと違うわね。アナタはあれよね、恋の話になるとびっくりするくらいちょろくなるのね」



 散々な言われようだ。抗議の言葉を考えてか、平野は口を開いては閉じるを何度も繰り返しては時折頭を抱えたりする。比叡院が「金魚みたい」と呟いた頃にようやく声を発した。



「……その問題児が、食堂で風巻に告白した」



 比叡院は一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。想い人が告白された、と告げた平野の心境を気遣うように、さっきよりも幾分優しげな低い声で、囁くように言う。



「彼はそれを承諾したの?」
「……いや、きっぱり断ってた」



 目をそらして言う平野に、比叡院はいよいよ耐えられないといった風に顔を覆い、肩を震わせて笑いをこらえる。平野の抗議の声も軽く受け流し、長い脚を組み直して目元を拭った。



「なら何も心配することない、先にモノにしちゃいなさいよ。あなたいつからそんな奥手になっちゃったの?」



 比叡院の魅力の一つは、この低くよく通る声だった。相談室という対面式の、特に音声や言語、表情などコミュニケーションが重要な場で、それは大きな武器だった。目の前に格子があることなんてどうでもいいと思えるほど、比叡院は魅力に満ち溢れているのだ。
 少なくとも平野が卒業するまでのあと一年で、どれだけ彼の世話になるのだろう。


 一年生で生徒会入りを果たし、当時の生徒会長に連れられて来たのが始まりだった。どこかの研究施設のような真っ白で何もない空間に、そぐわない鉄格子と穏やかな笑顔。
 堂々と振る舞う平野のわずかな不安を的確に見つけ出し、核心をつくアドバイスを与えてくれる。今や生徒会長になった平野に助言する彼は、全校生徒にとっての道しるべだ。


ーー奥手? ……確かに、俺らしくない。



「大体ねえ、アタシに相談したところで、アタシがなんて言うかなんてわかりきってたでしょ?」
「そう、か……いや、俺はきっかけが欲しかっただけなんだな。誰かが行ってこいっつうまで待ってるつもりでいたんだろうな、たぶん」



 空のカップを比叡院に渡すと、彼はにこりと笑って受け取る。綺麗に飲み干されたカップを見て嬉しそうだ。

 そして勢いよく立ち上がった平野は、普段は見ない子供っぽい笑顔だった。



「吹っ切れたのね。いい顔だわ」
「ああ。……明日風巻に告白する。ありがとな、比叡院」
「お礼なんてやめてよね。アタシ今回は本当に何も特別なことは言ってないしね」
「充分だよ。またな」
「失恋したら来なさいよ。今度は慰めてあげるから」



 それに小さく苦笑して、平野は背を向けた。しゃんと伸びた背中は扉の向こうに消えていく。



「……さて、と」



 扉が閉まって平野の背中が見えなくなったあと、食器の片付けを終えた比叡院は、普段過ごす格子の部屋ではなく、奥の扉の先にある寝室にいた。相談室の主の完全なプライベート空間には、監視カメラもなく、警備員もいない。

 新調したスタンドライトは、暖かなオレンジ色の光で手元を不便なく照らしてくれる。小洒落たデザインの木目調の机に向かってノートを広げ、ペンを走らせる。



「……うまくいくといいわね、平野」



 それは相談者ががくるたびにつけている、来客記録だった。何年何組の誰が来て、どんな相談をした、などが記されている。普段は鍵のかかった引き出しに入れてあり、相談室内に誰がいるときは絶対に開けない。この部屋はそもそも扉を隔てているので誰も入れないが、一種の個人情報なので念には念を、だ。

 今日の日付が斜め上に小さく書かれたページには、学園を統べる生徒会長ではなく、ただの恋する一生徒が可愛らしい相談をしに来た、とだけ丁寧に綴られていた。


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あきゅろす。
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