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美味ければいい?


 扉を開ける前から、食堂内の雑踏は外に溢れ出していた。

 昼食にはやや遅い時間だが、それでもある程度の席は埋まっていた。私服が目立つのは、任務のない兵がのんびりと食事をしているからだろう。

 連れ立ってやってきた朝倉と西来の姿を見つけた兵たちは、仲間内で誰からともなく食事の手を止めて深夜の話題を持ち出す。



「深夜ってさ、やっぱなんか空気が違うよな」
「修羅場の数だろ。噂じゃあ二十回死にかけたら深夜に入れるとか……」
「俺、一回マジで死ぬかもってときあったぜ」
「へえ。どうだった?」
「二度と経験してたまるかって思ったよ」



 高崎がいつまでも勧誘の基準を固定しないせいで、一般兵にとって深夜はますます未知の団体と化している。あらぬ噂も飛び交い、誰がその先頭に立っているのか、定期的にその内容が変わっている。

 ただ単純に実績を上げただけでは駄目だという話は定着していて、では逆に何をどうすれば、と波紋が広がったのは昔の話。深夜に友人がいる者たちは当然その理由を知りたがったが、曰く『深夜に入りたいとは思わなかった。ただ敵をたくさん倒したい気持ちをぶちまけて戦っていたら、高崎から声をかけられた』と。
 つまり、名声を望んで深夜に入りたいと思えばもう無理なのだ。本能による闘争心を、理性と共生させて胸の内に秘める。それができてやっと高崎の目に写り、やがて深夜のことなど忘れて剣なり拳なりを振るうようになれば、気づいた頃には目の前に高崎が立っているだろう。

 それが全てではないが、高崎の中で『こいつは使える』と思わしめることができれば、どんなに性格に難があっても、上司に反抗的でも、協調性がなくても、体格に優れていなくても声はかかる。



「端っこがいい」
「わかってるって。……お、あったあった」



 何年経っても好奇の視線に慣れず不快そうに眉を寄せる朝倉に対し、西来は向けられる興味を気にも留めず席を探す。人が少ない一角の席を確保すると、西来は率先して当然のごとく通路側の椅子に座り、朝倉は壁際のソファに座った。片側は壁で、もう片側の席に人はいない。朝倉の希望通りだ。がさつで大雑把なくせに気の利く男、西来である。

 席について落ち着いたのか、空腹が勝ったのか、さっきまで居心地悪そうにしていた朝倉は真っ先にメニューを引っ張り出し、西来にも見えるようにテーブルの上に広げた。



「何食う」
「あー、俺は肉。とりあえず飯大盛りと肉」
「……だと思った。大将みたいなこと言うなよ」



 高崎と西来は食の趣味も似ていて、好き嫌いもほとんどないがとにかく量を食べる。一人で五、六人前平らげるのは常で、おまけに酒にまで強いときた。西来は未成年だが。

 朝倉の食事量は人並みだ。だがそれとは別に料理の腕は香坂随一で、時々深夜の先輩や同期がこぞって食わせろと押しかけてくる。個々に来られても困るので、そういうときは食堂の厨房を借りて深夜全員に満足するまで食事を振る舞うのが定番になっていた。その手腕を認めている料理人たちは、余った厨房の食材を足しにしろと譲ってくれる。
 面倒くさがりな朝倉が自ら好んでしようとする数少ない趣味の一つが料理であるので、彼自身文句を言いながらもどこか楽しそうに調理をする。普段大人びた朝倉が見せる年相応の無邪気さを堪能したいと、それ故に料理を迫る者も少なからずいた。



「朝倉は?」
「ん……ビーフシチュー」
「了解。んじゃ俺取ってくるわ」



 香坂の食堂ではまず席を確保して、各テーブルに備え付けの簡素な券売機で食券を購入し、麺や定食といった風に区分されたカウンターに出して料理を受け取る。大衆向けの食堂のようなシステムだが、違うとすれば全てのテーブルに券売機を設置するという金のかかる混雑対策をしているところか。

 西来は朝倉の返事を聞くと同時に券売機のボタンを押して食券を取り上げると、さっさと席を立ってカウンターへ向かった。その早さからして、最初から朝倉が何を注文するか予想し指を添えて待っていた様子だった。



「……なに、あのお見通しって態度。腹立つ」



 雑踏に紛れてもなお目立つ長身をぼんやり追いながら、手持ち無沙汰に頬杖をついた。しかし先ほど痛めた首に負担がかかることに、いざ感じた痛みを以って気づき、舌打ち混じりに冷たいテーブルに伏せった。腕の隙間から光沢のある木目を眺めていると、数時間前の出来事がちらつく。


 自分は一体何を言われたのだろうか。高崎との衝突は何度もあったが、銃を抜いたというのは信じがたい。けれどこの気だるさは寝すぎたときの感覚ではなくて、確かに魔力を多く消費したときの倦怠感なのだ。辻褄が合っている。

 せっかくの休みの午前を無駄にしてしまった。おまけに、何だか妙なわだかまりも残っている。



「よっ、と。お待ちどうさん」
「早いな」
「すいてた。食い終わって駄弁ってる奴らがほとんどだし」



 西来は、朝倉の思考などつゆ知らずに食事を運んできた。両手にトレイを持っているが、ビーフシチューはともかく彼が頼んだ焼肉定食はカロリーも重量も並ではない。だが西来は危なげなく両手を操り、テーブルにそれぞれのトレイを滑らせた。

 朝倉の向かいにどんと佇むのは、豪快に盛られた肉の山。見ているだけで胸焼けがして嫌になる。そういえばどこかで見たと思いきや、少し前に食堂で高崎と居合わせたとき、同じものが彼のテーブルに五食ほどあった気がする。
 朝倉はスプーンを手に取ると、がむしゃらに肉に食らいつく西来を前にしかめっ面だ。



「よくそんなの食えるよな。お前も大将も」
「これ終わったらまだもうちょい食うけどな。高崎さんはエゲツないぜ」
「……知ってる」



 一人でそれ五人分食ってたし――そう言いかけたが、その光景を見たのが確か早朝だったことを思い出し、ぞっとして口を閉ざした。

 その恐ろしい記憶を打ち消すように、牛肉をすくい上げて口に運んだ。香坂では任務以外での過ごしやすさを追求しているだけあって、相変わらず料理の味も申し分ない。どうやら肉の下ごしらえを少々凝ったらしく、筋繊維が柔らかくほぐれていて、まさに溶けるように口の中に広がっていく。

 そういえば、肉をキウイに漬けておくと柔らかくなると聞いたことがある。今度試してみようと顔を上げると、箸を止めることなく肉に食らいつく男が一人、視界にどんと入ってくる。



「……お前ら・・・はそんなの気にしねえんだよなあ……」
「ん、なんか言った?」
「別に」
「あ、そ。朝倉、それ一口」
「勝手に食え」



 では遠慮なくと伸びてきた箸は、あろうことか一番大きな牛肉をさらっていった。まだ肉を食うのかと微妙な顔をする朝倉をよそに、西来はそれを口に放り込んだ。しっかり噛んで飲み込んでしばらく思案すると、不意にぱっと無邪気に笑った。



「俺は朝倉のビーフシチューのが好きだな」
「……あたりまえだし。今更なに――熱ッ」



 真っ向から褒められた朝倉は挙動不審に目を泳がせ、熱々のビーフシチューを口に詰め込んでは慌てて水に手を伸ばす。その落差が面白くて、西来は肩を震わせて笑いをこらえていた。

 朝倉は、本人が思っているよりずっと料理に気持ちが乗っている。加えて相手は愚直な西来で、今の言葉に世辞はひと匙も入っていない本音であるというのは朝倉もよくわかっている。
 が、そういう褒め言葉を素直に受け取れないのが朝倉という男である。明らかに照れ隠しで動揺しているのに、嬉しいかと聞くと全力で否定してくる。

 そんな天邪鬼のせいで熱々の野菜を一気に食べてしまった朝倉は、慌てて水を含んで口内を冷やし、笑いをこらえているのがばればれの西来を睨みつけた。



「……なに笑ってんの」
「いや、面白いなーって」
「それ俺のこと言ってんなら撃つかんな」



 凄んでもなお小さく笑う西来が、内心を全て見透かしているようで気に食わない。その不満をごまかすように、朝倉はもう一度水を含んだ。


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