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三つ巴


 西来が本部に戻ったのは、ちょうど高崎が帰還してから一時間ほど後のことだった。

 とある農村地域で大量発生した魔物の討伐を手早く済ませて戻ってきた西来には、報告書の提出義務、それから残り半日と明日丸一日の休みが与えられた。

 報告書は別として、一日半という長い休暇はありがたい。思う存分体を動かせるいい時間だ。生来じっとしていられないたちなので、休むより運動したほうがいい息抜きになる。

 任務帰りのその足で早速トレーニングセンターに向かおうと廊下を歩いていると、見知った顔が前から手を振りながらやってきた。



「よう、帰ってきてたのか」
「ついさっきな」
「どうだった? 手応えあったか?」
「いんや全く。今度相手頼むぜ」
「お前には朝倉がいるだろ」



 西来は、二股かけているような言い方をするなと肩をすくめた。

 高崎曰く、西来たちの代は不作だったらしい。深夜の中での同期はわずかに数人しかいない。年の近さもあり、部屋が隣の西来と朝倉はよく一緒に行動していた。すると不思議なもので、いつのまにか二人まとめて扱われるようになる。西来がいないときその所在は朝倉に聞かれるし、逆もまた然り。

 加えて西来は料理ができず、食堂が閉まっている時間には料理上手と名高い朝倉の部屋に邪魔して食事にあやかっている。そうして度々朝倉の部屋に入っていくところを見られていたので、一時期妙な噂が立ったこともあった。朝倉が呆れ顔で「じゃあお前らも全員そう・・ってこと?」と発言してからは、その噂は潮が弾くように収束した。

 誰しも友人の部屋に遊びに行くことは多々あっただろうから。



「ま、仮にあいつに声かけたとしてオーケーもらう確率なんて一割あるかないかだぜ」
「違いねぇ」



 二言、三言軽口を叩き、互いに笑いあう。もしこの場に朝倉がいれば間違いなく嫌な顔をしただろう。他人の食い物にされるのが大嫌いだと言っていたのを覚えている。
 なお、食い物にするのは意外と好きらしい。



「朝倉は……植野んときの報告会だっけか。確かお前も行ったんだよな。ってことは……」
「ああ、もう終わった。……あ、そういえば」



 友人は思い出したように付け加えると、ふいに声を潜めて手招きした。その顔がにやけていたので、西来はつられて笑いながら身を屈めて耳を傾ける。



「お前どうせトレーニングだろ? 今ちょっと面白いことになってんだ」
「……へえ?」



 西来にとって面白いこととなると限られてくるが、決していい趣味でないのは自覚している。
 プライドと自信だけを山のように抱えこんだ無謀な新入り兵士が深夜の誰かに喧嘩を売って返り討ちにあったか、深夜同士の戦いがヒートアップして収集がつかなくなっているか。なんにせよ西来の、年相応の野次馬精神が大きく揺れた。
 西来が興味を持つことをわかっていたのか、友人はさらに意味深な言葉を付け加える。



「場合によっては笑い事じゃなくなってるかもな」



 ここまで明らかに煽られては行かない手はない。



「ちょっと興味あるな。行ってくるわ」
「おう。また飯でも行こうぜ」



 友人の言葉が終わらないうちに西来は歩き出していて、さっきよりも幾分軽い足取りで廊下を歩いて行った。報告書のことなど忘れたように。


 目指すは、トレーニングセンター。









 そこで西来が目にしたのは、退屈しない深夜での生活においても稀に見る、非常に奇妙な光景だった。



「殺す、殺す殺すッこの野郎!」
「落ち着け朝倉! 冷静になれって!」
「おい、動けるやつ全員手伝え!」



 広いトレーニングセンターの中央で銃を構え、獣のように荒い息を吐く朝倉。と、それを必死に止めようとする深夜の面々。



「一発も掠ってねェぞ朝倉ァ!」
「高崎さん煽らないでください!」



 そして朝倉の正面で、撃ち出される氷の弾を次々躱す、あるいは弾く高崎。

 自動扉が開く前から異常な寒さは感じていて、いくら熱気のこもる場所とはいえ冷房が効き過ぎではないかと違和感はあった。そして扉が開いた瞬間に溢れ出してきた冷気と、壁や床のほとんどを埋め尽くす氷。すぐに合点がいった。



「……確かに、笑えねえなこりゃ」



 無意識にそう呟いた西来の顔は、至って無表情だった。

 犯人はまず間違いなく朝倉である。今現在暴れているのは彼だけなので、当然といえば当然だが、そもそも氷の使い手は香坂には朝倉一人しかいない。

 何千万人に一人とか、何十年に一人とか――それほどの規模ではないが、希少な属性であることに間違いはない。奇妙なのは生まれつきその属性ではなく、水属性から変化して氷属性になったということだが、原因は本人にもわからないとか。

 とにもかくにも朝倉が怒っているのは確かで、その元凶が高崎だということもまず間違いない。



「だからぁ……!」



 西来が状況を把握するためにセンター内を見渡している間にも、朝倉は苛立ちを惜しみなく混ぜ込んだ怒声を吐きながら絶え間なく引き金を引いていた。なかなかやってこないエレベーターに痺れを切らし、呼び出しボタンを連打するように。



「逃げたら当たんねえんですよ! 黙って的になってりゃイイんだよお前は!」
「自力で当ててみやがれや」



 朝倉の銃から放たれる氷弾は、着弾すると一帯を巻き込み凍りつく。壁じゅう氷まみれということは、西来が来る前からかなりの弾数を撃っている。一発で凍る面積から考えると……優に五十発は超えているとみた。
 いくらなんでも度が過ぎていて、朝倉が怒りに任せて見境なく撃っていたことが安易に想像できる。



「くそっ、聞いちゃいねえ……って、あ、おい!」



 入り口付近で立ち尽くす西来を見つけた兵士の一人が、絶体絶命の状況に救世主を見つけたような顔でばたばた騒がしく駆け寄ってきた。立場的には先輩にあたるが、もうなり振り構っていられないのか年上のプライドを捨てて縋り付いてきた。



東馬とうま! あの二人、ああいや、朝倉だけでいいから止めてくれ! 俺らも流石にあそこまでブチ切れた朝倉を無傷で・・・大人しくさせるのは難しい!」



 決して、二人が恐ろしくて腰が引けているわけではないのだろう。そんな臆病な奴を高崎は選ばない。むしろ喜んで飛びかかっていく、そんな人選を抜かりなくしている。他部隊の兵に己の所属を自慢する者が深夜にも数名いるが、そんな彼らにさえ揺るぎない実力が備わっている。

 今この兵は『無傷で』と言った。
 凶暴な魔物の討伐や、決して負けられない戦場を主に深夜は請け負う。逆に護衛や警備は不得手で、例えば生け捕りなどは不可能ではないにしろ、必要以上に時間をくってしまうということだ。殺してでも止めろと言われれば、足や腕の何本か潰せばいくらでも朝倉を止められる。いくら朝倉が強くとも、この場にいる深夜十数人を相手にすれば勝機は限りなく薄いのだから。

 制止するのに傷つけてはいけないというリスクを背負っていると、いつまでもことは進まない。動きを封じるだけとはいえ、それには殺すことより高度なスキルが求められる。いつ反撃してくるかわからない相手を生かして拘束するわけだから、死、あるいは危険そのものを取り押さえているようなものなのだ。



「……何があったんすか?」
「それは後で説明するから今は早く……!」



 その必死さに気圧され、あまり乗り気のしない西来は顔を上げて騒動の渦中を見やった。朝倉はいつもの涼しい顔を綺麗に歪ませ、ときに卑屈な笑みを浮かべては高崎に暴言と氷弾を浴びせている。

 自然に落ち着かせるには高崎が氷漬けになる必要があるが、本人は当たりもしない弾にむざむざ当たるのはごめんだと吐き捨てるだろうし、それどころか限りなく非協力的だ。さっきから宥めるどころか煽っているのがいい証拠。これを期に普段の鬱憤も晴らそうという気配もあり、確かに第三者の介入がなければ永遠に続きそうな大げんかだ。



「仕方ねえか……どうせ体動かすつもりだったし」



 軽く腕を回しながら、任務が終わってから手入れしていない剣を鞘から抜き出した。邪魔なので鞘はその辺に放っておく。落下地点の近場にいた兵が上手く受け取ったようだった。それが上司だったので、「すんません」と声をかけておく。

 剣を携え、戦う二人に一歩近づく。二歩、三歩と距離を詰めていくうちに、西来は気づいたことがある。


――高崎さん、遊んでやがる。


 高崎の強さは圧倒的で、止めようと思えばいくらでも朝倉を押さえつけることはできる。それをしないのは、現状を楽しんでいるからだろう。鬱憤晴らしというより、朝倉を弄んで楽しんでいるようだ。西来が見たのは、口角を吊り上げ犬歯を剥き出しにし、獣のような鋭い目を見開いた高崎の姿だった。



「全く、面倒な上司と親友は持つもんじゃないね」
「東馬!」
「はいはい、今やりますよっと」



 先ほどの先輩の呼び声に答え、西来は剣を構えたまま一呼吸おいて意識を朝倉に集中させる。そして躊躇なく一気に走り出した。
 同時に殺気を込めてやれば、今まで高崎に夢中だったはずの朝倉の目が一瞬だがはっきりと西来を見る。



「ッ……!」



 あんな感情任せになっていても向けられた殺気にすぐ気づいて反応したのは、朝倉の戦闘力が相当高い証拠だ。さて来るかと西来が腰を落として臨戦態勢をとった瞬間、思いがけない邪魔が入る。



「邪魔すんじゃねェよ」



 朝倉の意識が西来に向いた隙をついたのか、自分に集中させるためなのか――隙はいくらでもあったのでおそらく後者だが、弾を避けるだけだった高崎が反撃に出た。邪魔するなとはこっちのせりふだと反論したい衝動はかろうじて押し止める。


 一瞬で高崎との距離が詰められ、朝倉の顔に動揺の色が浮かぶ。高崎か西来、どちらに対処するかわずかに迷ったようだった。武器を持っている西来を優先しようとそちらに向き直るが、高崎が遠慮するはずもなく。

 朝倉は、峰を向けて振り下ろされた西来の剣をまず左手の銃で受け止め、膂力に劣ったため銃を弾き飛ばされる。直後に高崎の拳が朝倉を襲い、それを横目に捉えた朝倉は咄嗟に腕を交差させて頭を庇った。わずかな間に二人の攻撃に対応するいい反応だったが、重い拳は一撃で朝倉を吹き飛ばした。
 轟音と共に朝倉の体は壁に激突した。


 衝撃の余韻で静まり返った中、中央に残っているのは西来と高崎のみ。西来は朝倉が吹き飛ばされた壁を見て、あれほどの衝撃なら気絶したのではないかとふと思った。



「もしかして、俺の出番なかった?」
「あの程度で気絶なんてするかよ」



 出鼻を挫かれた気分で放った一言だったが、高崎の言葉を肯定するように、抉れた壁の前で影がゆらり立ち上がる。それは地面を蹴り、先ほどの高崎と同じように一瞬で彼らの目の前まで跳躍すると、どちらにともつかず狙いを定めて鋼鉄製の銃を振り下ろした。
 高崎は「そうこなくちゃあな」と呟くと正面から受け止める態勢をとったが、西来としてはそうはいかない。


 まず、朝倉のヘイトを自分に向ける。そのためには――



「おい、邪魔すんなっつったろ」
「あんたはもうちょっと自分の立場自覚してください」



 高崎の前に割り込むように躍り出た西来は、朝倉の一撃を自ら受け止める。剣に伝わった振動は直接手に届き、びりびりとした痺れが肘まで登ってきた。



「っ……! 重てえな……!」
「お前、邪魔する気ぃかよ西来……!」



 乱入してきた西来を、朝倉は輝く菫色の目で睨みつける。西来としてはそれでよかった。一度邪魔が入ると高崎は興が削がれる。高崎とは戦闘の性質が似ていると自覚していたから、自分ならそうなるだろうと予測しての判断だった。
 どうやら正解だったらしく、舌打ちとともに背後の大きな存在感はふっと消えた。


 あとはこちらに集中するだけ。
 気を失わせるしか手段はないが、手刀は加減が下手だと天河に散々言われたので自信がない。さてどうするかと考えを巡らせる――暇もなく、朝倉は残った一つの銃を西来に向け、迷うことなく発砲した。冷気の塊が頬を掠める。紙一重で体を反らして避けたが、同時に朝倉も西来から距離を取ってしまった。銃器を使う朝倉に接近するのは少し面倒なので、好機を逃してしまったことになる。



「ちっ……おい、大将はどこ行きやがった!」



 しかし、西来の予想より朝倉の執念は強かったらしい。誤算だったが、都合のいい方に傾いた。
 朝倉は対峙する西来をよそに、あろうことか周囲を見渡して高崎の姿を探したのだ。普段では考えられない愚行。よほど高崎を仕留めたかったと見える。
 西来は左手の指をそろえて構え、右手に剣を持ち、息を止めて朝倉の懐に入り込む。高速で接近した殺気に朝倉は再度気づいたが、もう遅い。


 あっけなく終わりは訪れた。



「悪い、朝倉」



 西来が片手で振り下ろした剣は止められたが、左手の手刀は朝倉の白い首の裏を確実に捉えた。

 とん。
 込めた力の割に小さい音がして、朝倉の体が傾く。一瞬見開かれた目はすぐに力を失い、緩慢に閉じていった。



「おっ……と」



 一仕事終えた西来は、無音で崩れる朝倉を咄嗟に支えて組手用の畳に横たえた。周囲の兵から次々と賞賛の声が上がる。



「よくやった西来!」
「力入れすぎだっつの下手くそ! それじゃあ朝倉が起きたら痛がるぜ!」
「え、まじ?」



 その声の中に手刀への駄目出しが混じっていて、先に謝っておいてよかったと安堵した。しかし念のためと朝倉の側に座り込み、怪我や異常がないことを確認する。呼吸は一応、正常だ。



「手ェ出すなよ西来。せっかく面白くなってきてたってのに」



 安堵と疲労で白い溜息を吐いていた西来の元へ、諸悪の根源はしれっとやってきた。高崎は敬うべき上司だが、今日ばかりは西来も睨みつけずにはいられない。



「あんたの『面白い』はタチ悪いんすよ。この部屋溶かすの大変っすよ」
「火の連中にやらせとけ。一時間もあれば全部溶けるだろ。俺は部屋に戻る」
「はあ? ちょ……!」



 西来の返事を待たずに、高崎は身を翻して去って行った。脱いであった服もしっかり回収されている。
 自己中心的というか、驚くほど傲慢で、自分で出した玩具を自分で直さない我儘な子供のようだ。



「……好き勝手やって放置かよ……ったく」



 珍しく高崎に悪態をつき、西来は浅く息をする朝倉の髪を無意識に撫でた。やや癖のある、銀がかった灰色の髪は驚くほど柔らかく指を通り抜ける。気になるところといえば、その髪が異常なほど冷たいことだ。
 朝倉の髪は雪のようだと誰かが言っていた。そう言っていたのが誰かも、なぜ知っているのかもわからないままだったが、なるほど確かに冷たく柔らかい。


 さて、と改めて思う。手刀がうまくいった自信はなし、周囲からも下手くそと罵られたばかりだ。目覚めたあと痛めていたら申し訳ないなと不安に駆られながらも、あれだけ発砲したのだから魔力の消費も激しいだろうと、とりあえず医務室に運ぶことにして近くの先輩兵士に声を掛けた。



「医務室に連れていきます。撃ちまくってたからかなり体力消耗してると思うし」
「ああ、あの弾は魔力で作ってるんだったな。頼む。こっちは任せとけ」



 礼を言って、眠りこける――もとい、気絶している朝倉を見下ろした。

 ここから一番近い第一医務室までさほど距離はないが、意識があって多少なりとも歩行できる人間ならまだしも、気を失い完全に脱力した男に肩を貸して歩くのは逆に互いの負担になる。



「……やっぱこう、かな」



 迷った末、思ったよりずっと軽い体を背負いあげた。冷たい髪が首筋にかかってくすぐったい。

 所々尖った氷が突き出す床を、滑らないよう慎重に歩き出した。


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あきゅろす。
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