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無毒の来訪者


 この辺りは向こうよりずっと寒い。少し考え事をしていると、いつのまにか両手がポケットの中に吸い込まれていた。冷えた指をすり合わせながら足を進める。
 街より標高が高いぶん気温が低いが、照り返しで顔はほのかに暖かい。数センチも積もった雪のせいで歩きにくさはあっても、足取りは常に軽かった。この間と違って無茶振りまがいの仕事がなく、変に気負わなくていいからか。


 五家城は麓までごく普通のタクシーで乗り付けると、悠々と徒歩で坂道を上り、香坂本部へ向けて足跡を残していった。黒のスキニーに黒のダッフルコートと黒ずくめの軽装で、見た限りでは武器を持たず手ぶらで佇んでいる。
 しかし刃を交えた者曰く、奴は中型のナイフと毒を使う。あの分厚いコートの下になら十分隠せそうだ。

 散歩気分でのんびり歩いてくる私服の男を早くに発見した監視塔は、データと特徴を照合し、香坂を襲撃したグループの主導者と同一人物であることをすぐに突き止めた。
 香坂に仇なす男の再来に怒りを覚えて復讐心を燃やすも、あまりに軽々しい出で立ちに驚いたのもまた事実。敵意がないのかと錯覚しそうになる。
 五家城の『無害さの演出』はそれほどのものだった。認めるのは癪だが、極めて高度な殺気のコントロールだ。あの男は確かに強い。

 だが、日頃から魔力に触れていればわかる。
 五家城の体表に浮き出した魔力は煮えたつように震えていた。隠しきれない悪意と、そう見せないように努める仕草との間に軋轢が生まれている。本当に戦う気がないとしても、あの男は潜在的に悪なのだ。
 一見すると無害にすら見える特性はどこか九十九を彷彿とさせるが、あれは人外の領域。究極系だ。あそこまで至るには千度生まれ変わっても足りないだろう。


 とはいえ、どんな事情であれみすみす通すはずもない。


 監視塔の職員たちは塔内で戦える者、そして黄昏以上の兵ですぐに動かせる人員を揃え、五家城がやってくる前に正門に集めていた。あのとき苦渋を飲まされたクインテットもいる。目をぎらつかせ、思い出しただけで爆発しそうな屈辱になんとか蓋をして耐えている。

 次に医療部隊と深夜に連絡し、赤髪の男の接近を伝えた。朝倉の病室に深夜兵をつけるなり、移動させるなりの対応を任せる。

 そして事態を伝えて指示を仰ぐべく、事務を通して五十嵐の執務室へ内線を繋いだ。これは秘書である小唄が受け取り、目が覚めるほど冷静な声で「すぐに伝えますから、今は足止めを」と返答している。

 監視塔は臨時の司令役を請け負った。
 確保ではなく足止めという指示には幾ばくかの疑問があったが、小唄の声は有無を言わさず一方的に告げられていた。それはとても十と少しの少年とは思えない威圧感に満ち、いい大人たちに大げさなほどの畏怖を与えて従わせた。
 真のカリスマは持ち主を選ばず、言動の節々に自然と溢れるものなのだ。



「前も思ったけど、ホント辺鄙なとこにあるよね。もうちょいアクセスよくしてもいいんじゃない?」
「はッ、大層な物言いじゃねえか」



 刺すような視線を楽しそうに浴びながら、包囲された五家城は誰にともなく呑気に話題を振っていた。十余名に武器を向けられてもものともせず、両手を広げて丸腰であることをアピールする。

 クインテット兵は吐き捨てるように笑い、この場の誰よりも早く剣を抜いた。大丈夫、自分は冷静だ。こいつは他人の不幸を好む屑野郎。苛立ちを装って突っかかっていけば、ついつい尻尾を出すかもしれない。



「また真正面かよ。芸のねえ奴」
「いやいや、前は夜だったろ。上見てごらん。今日は昼だ」



 五家城は広げた両手の人差し指をそのまま青空に向け、にこりと爽やかに微笑んだ。揚げ足取りもいいところの冗談に、香坂兵は一斉に、静かに武器に手を添える。



「別に悪いことしに来たわけじゃない……今回は。君たちの上の人と、ちょっと話をさせてもらいたくてさ」



 クインテットの彼一人をとっても、上司という存在はいくらでもいる。この場にいる全員の地位をそれぞれ辿ればもっと増えるだろう。
 単純に考えて、五家城の言う『上の者』とは、香坂に属するすべての人間を統べる存在を指しているはずだ。それがわかったところで刃を下ろすつもりもないが。



「そんな理由で通れるとは思ってねえんだろ?」
「……残念ながらそうだね。あーあ、静かに済ませて帰ろうと思ってたんだけど」



 空に向けていた人差し指を握りこむ。どこか呆れを含んだ嘘くさい笑みを貼り付けたまま、五家城はコートの一番上のボタンを一つ外した。目線を二つ目のボタンに落として、指をかけながら諭すように言葉を続ける。



「本当に、あれだぜ? 根に持つのはいいけど、復讐の機会を見誤るのはもったいないよ」



 香坂全員、武器を抜いた。
 鋼の擦れる仰々しい音が五家城を囲う。

 明確な敵意が見えていた。自分たちの目が正しかったことを確認するとともに、以前の二の舞をどう回避するか考える。実力差を数で埋めるには、戦意すら失うほどの極端な差を作る必要があった。現状では少し物足りない。
 木属性の兵が数名いるのは幸いだ。左右の森には魔力の源が腐るほどあり、時間稼ぎだけならかなり保つ。

 五家城の右手が二つ目のボタンを外すと、襟元から白のニットが覗く。



「前みたいに気をつけてあげるけど、そっちもちゃんと防御してくれよ」



 そのとき、周りを囲む木々のうちの一本が枝を揺らした。他の植物たちは無風の中で静かに佇んでいるのに、その一本だけが鳴いている。自然には起こりえない現象だ。五家城は真っ先にその理由を知ると、開いた懐に入れかけていた手を下ろした。

 小さな足音が本部のほうから聞こえてくる。足跡だらけの雪道をやってきたのは、幼い顔体に不釣り合いな格式張った服を来た少年。切り揃えられた前髪と気の強そうな目が特徴的だった。

 ざくざくと革靴を雪で濡らし、包囲を押しのけて前に出る。香坂兵が、危険だからと止める暇もなく。図体の大きい大人たちの中で最も凛々しく立っていた。



「お疲れ様でした。もう下がって結構です。通常業務に戻ってください」
「やっと話のわかる人が来たね。彼らの気が済むまで付き合ってやろうと思ったけど」
「元帥は寛容なので、あなたのような野蛮な人間にも対話の機会を与えます。用があるならこちらへ。建前だとしても穏便に運ぶつもりがあるなら、大人しくしてどうぞ」



 小唄の発言はそれが全てだった。伝えるべきことを伝えると、あとは好きにしろとばかりに踵を返していた。気がつけばもう正門を通り過ぎて、監視塔の横を抜けるところだ。

 香坂兵は、遠のいていく小唄の後ろ姿を無表情で見送っていた。足止めの指示は一瞬ののちに覆され、あっという間にお役御免だ。しかも、あろうことかこの男を通すというのだ。それも五十嵐の元へわざわざ案内するとなると、敵の要求を飲み込んだことになる。

 ともすれば、香坂上層部への不信感すら抱きかねない状況。――ところが、香坂兵たちは一様に武器を納めた。てっきり命令を無視して襲いかかってくるかと思っていた五家城は、「よく教育されてんだね」と呟いてその様を眺めていた。



「五十嵐元帥の采配なら仕方ない。その首ぶった切るのは次までとっておいてやる」
「なるほどね。……あの人、そんな信頼されてんだ」



 なんか意外。

 それだけ残し、五家城は小唄を追って歩き出した。









 今日の香坂にはいつも通り人がいる。よって数千人単位が出入りしているはずなのだが、しかし誰とも出くわさない。小唄が触れ回ったのか、人気のない道を選んでいるのか。恐らく両方だ。

 五十嵐の部屋は最上階だろうとあたりをつけていたが、それ自体は正解だったらしい。小唄の後に続いて乗り込んだエレベーターには開閉ボタンしかなかった。


 他人の目の届かない通路といい、長時間密室と化す直通エレベーターといい。不戦を約束したとはいえ、小唄はあまりに無防備に見えた。正門のところでもそうだし、最上階へ運ばれている今も五家城に平然と背中を向けている。

 鏡にもたれかかりながら、五家城は小唄の後ろ姿にわざとらしく視線を注いでいた。綺麗に揃った後ろ髪から、エレベーターの揺れに合わせてうなじが見え隠れしている。



「ひょっとして俺、舐められてる?」



 喧嘩を売るつもりはなく、単なる疑問としてそう尋ねてみる。



「あなたがどこから手を出してこようと大した問題ではないからです」
「ふうん。あのいけ好かないオッサンそっくり。やっぱ身内って似るんだね」
「どうとでも」



 何を言おうと、返ってくるのは刺々しい言葉ばかりだった。

 ああいう真面目な性格は自分のようなタイプが相当嫌いだろうと、五家城は退屈そうに電光掲示板を見上げる。
 もっと隙のある不安定な人間が好みだった。小唄は人としての自我がほぼ完成していてつまらない。岩のように強固な意志で、どんな甘言も軒並みちぎって捨てる子供だ。

 大ヰ町とともに侵入したとき、たまたま遭遇したあの華奢な少年。あれはいい。周りの言動次第でいくらでも豹変するくせに、物事を湾曲して受け止めるせいで思うように育たない。小唄とは対照的な印象だ。予想だが、何らかの精神疾患に片足を突っ込んでいるように思う。

 あれは一人ではどうにもならない。
 本人が気づいていないから発覚せず、治療のしようがない。死体が見つからなければ完全犯罪が成立し、彼はあの状態を『自分』として受け入れていく。


――俺は面白ければなんでもいいけど。
 

 最後にひときわ大きく揺れて、エレベーターは止まった。

 扉が開ききる前に、小唄は小柄な体を隙間に通して降りていく。五家城は完全に開くまで待ってから、客人ばりに悠々と最上階へ降り立った。

 そこから先は一直線だった。上質な絨毯を踏みつけて進めば、やがて眼前に立ち塞がる黒塗りの扉。安直に捉えれば荘厳だが、こちらを試すような佇まいがいけ好かない。それとも、香坂の元に生きていれば、もっと別な見かたもできるのだろうか。
 扉は語らず、艶やかに光を反射して二人の姿をぼんやり写していた。


 先に扉の前に立った小唄が三回ノックすると、やや間を開けて男の声がした。
 これは小唄だけが感じたのだが、いつもより数段低い声だった。返事までの時間もかなり長い。……当然なのかもしれないが、機嫌はあまりよろしくなかった。



「失礼します」



 そう断ったのは小唄だけで、五家城は笑顔だけ残して口は開かない。


 五十嵐はいつもの定位置にいた。革張りのチェアに腰掛け、デスクに両肘をついてまっすぐ来訪者を見据えている。目つきはやや鋭く、かつて戦場で猛威を振るった獅子が首をもたげていた。
 背後のカーテンは締め切ってある。全体的に暗い色味の調度品とバランスを保っていた鮮やかな街並みが封じられ、電気で照らされているはずの部屋は暗く、重苦しく感じる。



「ご苦労様、小唄。君も下がりなさい」
「……はい」



 入室するや否や、五十嵐は労いの言葉とともに小唄の退室を求めた。

 冷たいようだが、小唄は確かに役目を果たした。五家城が香坂兵に余計なことを吹聴しないよう、慎重にここまで連れてくる役目だ。
 ここで食い下がる意味もメリットもなく、小唄は一礼して廊下にとんぼ返りした。その脇をすり抜けて五家城が執務室に踏み込むと、大仰な扉はひとりでに閉まる。

 広い空間にたった二人。
 それも、片や列強私設軍の元帥、片やそれを襲撃した敵組織の男。あまりにも不穏な関係性だ。本来なら、どちらかが危機感を持って然るべき状況。しかしこの二人は各々座ったまま、あくまで敵対心に覆い布を被せて対峙している。



「どうも、久しぶりですね」



 我が物顔でソファに座り込む五家城に、五十嵐は不快そうに片眉を釣り上げる。五家城というこの男の性格が八割がた破綻していることを知っているおかげで、彼を悦ばせる反応をせずに済む。



「ああ……そういえば久しぶりだったかな」
「本当は顔も見たくなかっただろうに、よく通してくれましたね。小唄くん引っ込めてよかったんです? 俺のこと信用したわけじゃないでしょ」
「……話があるのはそっちだろう。与太話はもういい。十分で終わらせなさい」



 こっちはくだらない話に付き合っているほど暇じゃない、聞くまでもない質問をするな。
 そんな副音声を聞き取ると、五家城はけたけた笑って身を乗り出す。コートの隙間から金属音がした。



「じゃあ遠慮なく。でもそんな嫌な顔しないでください。今日はどっちかというと……そうですね、助言をしにきました」
「ついでに僕からも情報を絞ろうって魂胆だろう」
「正当なギブアンドテイクです」
「相変わらずの身勝手さだね」



 灯りが明滅する。
 締め切った部屋のどこから風が吹いたのか、五家城の前髪がかすかに舞い上がり――赤毛の根元の、くすんだ銀色がちらついた。



「朝倉くん」


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あきゅろす。
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