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餅は餅屋


 ラウンジを出た園崎は、エレベーターを待っている間、うろ覚えの道順をなんとか記憶の片隅から引っ張り出そうとしていた。行き先はもちろん本部の一角、情報部隊化学班の根城。長いこといると頭痛すらしかねない、かの悪名高い魔窟だ。

 何度か邪魔したことがあるが、それもたった数回の話だし、いつも案内役がついていた。
 どこの部隊も多忙とはいえ、治癒師は急患に備えて常に医務室に控えていなければならない。だからどこかに用事があるときには、よっぽどの理由がない限りそうして向こうから出向いてくれていた。

 先日のような侵入者が現れたときのため、広い本部のどこにも案内図はない。特に情報部隊は重要事項をいくつも管理しているため、特別入り組んだ場所に本部を置いている。
 まずはここ――寮の本館を出て香坂本部に移動しなければ。それから多少は見当がつくからと変に見栄を張って勘を頼らず、一階の事務室で場所を聞こう。園崎は顔が知れているから、面倒な手続きなしで気さくに教えてくれるはずだ。


 そういう目論見で、園崎はのんびり最上階に上がってきたエレベーターに乗り込んだ。相乗りはいないので気兼ねなく伸びをしているうちに一階にたどり着く。
 寮棟だけあって、エントランスには私服の兵が多かった。思い思いにくつろいでいる若者たちを横目に園崎はホールを足早に抜け、昼下がりの空の下に出た。

 真昼の温かい時間とはいえ、冬であることに変わりはない。予報で伝えられた気温はやっとその頭に『−』という記号をつけずに済んでいるが、数字は相変わらず寂しげなものである。それに、どうせもう数時間もして日が落ちればあっという間に極寒だ。

 舗装された道は薄く白を被っている。職員がこまめに除雪しても、断続的に降る雪のせいで対処しきれていないのだ。あちこち踏み荒らされていて、下のコンクリート色を透かした足跡が親の仇のように張り付いている。あるものは園崎のように本部へ向かって、またあるものは本部から寮棟へ向かって。どれがどれだか追いかけようという気にもならない。


 園崎は吹き付ける風から顔を庇いながら、固く踏みしめられたせいで滑りやすくなっている道へ用心の右足を突き出した。

 そこへ飛び込んできたのは、こんな声。



「ああ、……ああ、いえ、とんでもないです。こちらこそ、突然無理を言ってすいません」



 その声は……と、雪道へ踏み出した一歩を最後に動きを止めた。聞き覚えのある声を反芻する。これはもしや、今まさに求めていた人物ではないか。偶然にしては出来すぎているなと思いながらも、声のしたほうへ目を向けた。


 本部からはいくつか道が伸び、その先は寮であったりグラウンドであったりコートであったりと様々な施設につながっている。それぞれの道の間を埋めるのは生い茂る木々であり、当然、園崎もそれらに囲まれていた。
 春から秋にかけては濃淡鮮やかな葉色で視覚を楽しませてくれるが、今はすっかり枯れ落ち、寒々しく空に枝を伸ばすばかり。
 風が吹き、一本の幹の裏から白衣の裾がひらめいた。



「――市井?」



 思いがけない幸運に、つい呼びかけてしまったことをすぐさま後悔する。気配はひとつきりで、話しかたからして通話中であることは察せられたのに。
 謝罪する間もなく、園崎とは別の白衣の主が振り返った。園崎から目視できたのだから、相手も振り向けばこうして目を合わせることができる。ほぼ覆い隠された顔面の中で、わずかに瞳を見開いたのが見えた。



「っと、それじゃあよろしくお願いします。……ええ、ええ、また」



 園崎が申し訳なさそうな顔を作り込んでいるうちに、市井はもう携帯を耳から離していた。そして少しだけ襟元の作りが違う白衣のポケットにそのまま滑らせ、目の動きからしておそらく笑顔で片手を上げた。



「やあ。こんなところで会うなんて、珍しいこともあるもんだ」
「こっちの台詞だよ、引きこもり野郎」
「それこそ、どっちがって話だろうよ」



 軽口を叩きあいながらも、互いに相手がここにいることに本当に驚いていた。市井も園崎も舞台の要となる人物で、それぞれ医務室と研究室にすし詰めの毎日。どちからが少し外出することはあれ、その時間が被ることは滅多にない。



「電話か?」
「まあね」
「相手は」
「……気になる?」
「いや?」


 
 興味本位で、道中の話のネタくらいにと聞いただけなので、園崎は静かにかぶりを振った。どちらからともなく本部に足を向け、並んで歩き出す。周囲に彼ら以外の気配はなかった。
 市井は滑らないように、あるいは考え事をしているように足元を見ながら黙々と進んでいた。急かすつもりがない園崎も、進行方向数百メートル先にそびえ立つ巨大な建造物を眺めながら淡々と足を動かす。



「……朝倉が、起きないだろう」
「…………」



 園崎の眉がぴくりと動く。



「なんだかね。誰に何言われたとかでもないんだけど、見舞いに行きずらくて。その後どうだい」



 市井を横目で見ると、視線は相変わらず自身の足元に固定されていた。そこにあるのは足と雪とコンクリートだけなのに、それがさも興味深い論文か何かのように注視している。

 だが、軽い気持ちで投げかけられた問いではない。むしろ単独行動を許可した――もとい、そうせざるを得ない状況を回避できなかったことへの自責を感じさせる。

 故に。
 園崎も偽りなく答える。



「良くも悪くも変わりない。ずっと寝てるよ」
「栄養とか、そういうのは?」
「点滴の適用にすらならなねえ。健康なもんだよ」
「……やっぱり、結界が原因だって考えるよね」
「そりゃあ、な」



 お前を探してたのも、何か知ってることがあるか聞こうと思ったんだ。そう伝えると、市井は黙り込んで無意識なのかポケットに手を入れる。そこには先ほど放り込んでいた携帯があるはずだ。



「……さっきの相手な」



 マスクに隠れた口が開く。



「大学のときに世話になった教授なんだよ。馬鹿でかい総合大学でも、闇属性といえばこの人って感じの大御所」



 情報部隊や開発部隊、そして潜入部隊では、大学などの高等教育機関出身が多い。市井も部分的にはそうだ。彼は国立大学を自主退学して香坂にいる。
 闇属性の研究をしていたこと、中退したことは彼に身近な兵は当たり前のように知っていたが、そうなった理由は不明瞭なまま。恩師との関係が続いているところを見る限り、人間関係において致命的なトラブルがあったようには思えないが。



「へえ。電話すんのにわざわざこんなところまで出てきたのか?」
「ああ……昔のこと知られるのはちょっと苦手でね。綺麗にバシッと卒業できてたらまだよかったんだけど」



 部下たちが立派に学問を成し遂げた手前、自身がトップに立つことに引け目を感じているのか。市井ほどの男がまさかと思ったが、やはり本心ではなさそうだ。肩をすくめる仕草が型にはまっていて、この話を切り上げたいがための適当な言い訳だとわかる。
 おそらく前者は事実で、後者は口実だ。

 中小企業の面接じゃあるまいし、これ以上詮索するのは野暮だ。園崎は話を本筋に戻す。この流れで高名な闇属性研究者をあたるということは、その目的は明白だろう。



「で、朝倉のことで相談しに行くってことか」
「ああ。俺が研究してたのはだいぶ昔だから、最近のことにはちょっと疎くてね。新しい発見とか法則が確立されてるなら、全部あの人のところに集まるはずだ」
「んな有名なお人なのかよ」
天童てんどう和彦かずひこ。知ってる?」
「……おいおい、マジか」



 闇属性に関して知見のない園崎でさえ覚えのある名前だ。適当につけたテレビをぼんやり聞き流していれば、否が応でも耳に飛び込んでくる。まさかそんな有名人の名前が出てくるとは。自身の誤算に失笑する。未知の多い日属性の分野において、天童和彦はまさに最前線と呼ぶにふさわしい人物だ。

 記憶が正しければ、二匹の竜に暫定的な呼称をつけた研究グループの筆頭だったはず。これは当時大きなニュースだったので園崎も覚えていた。



「論文やら学会やら講義やらなんやらでかなり忙しい人だけど、運が良かった。五日後に会えることになったよ」
「……五日か……」
「他の教授と比べてもかなり短いほうさ。生徒への時間を大事にしてくれる人だからね。中退した俺が急に連絡しても時間を割いてくれる」



 市井は旧友を慈しむような表情で話している。なるほど、教え子にこんな顔をさせられる指導者なら信用できる。園崎は画面越しにしか知らない柔和な老人の顔を思い出し、心の内で密やかに敬意を評していた。


 話しながら歩くと早いもので、本部はもう目前だった。正面玄関を出入りするがやがやとした人の気配がはっきり感じとれる。仕事が近づいてくる。市井は思い出したように手を打った。



「そうそう、なにか聞きたいことがあるなら聞いておくけど」
「『闇属性の結界の中で致命傷を負ったらどうなるのか』」
「…………」



 園崎はそう問われるのを知っていたように間髪入れず、用意してあった言葉を伝えた。極めて具体的な質問の意図は明白だ。穏やかな寝顔が眼に浮かぶ。



「もっと言えば、魔力を周りから補填するとき、結界の魔力も紛れちまうのかってのを知りたい。元々お前に聞こうと思って来たんだが……」
「結界自体が存在すら怪しかったものなのに、そこで致命傷ともなるとかなり特殊な状況だ。俺には推測はできても断言はできない。先生に聞いてくるよ」
「頼む」



 真横に並んだ頭がこくりと頷いたのを見て、園崎も話を切り上げてあくびをした。

 闇属性の権威に頼る――それは神の啓示になりうると同時に、空振ったときの反動も痛い。『情報を得る』という行動における最終手段のようなものだ。
 それほど切羽詰まっているということ。新たな打開策への期待と同時に、早々に切り札を切ることへの焦りも園崎は感じていた。


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あきゅろす。
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