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不穏の兆候


 高崎と天河が広場に着いたときにはすでに隊列ができあがっていて、一斉の敬礼が二人を出迎えた。手は後ろに、足は肩幅に開く待機の姿勢から、踵を揃えて右手で敬礼。まず全員叩き込まれる動作だ。
 小砂利を弾く音は抜けるような青空に吸い込まれ、やがてどこへともなく消えてなくなる。

 その隊列とは別に一列をなして控えているのは、西来や朝倉を含めた数人の上等兵、そして班から弾かれたため今の隊列に入れない神木。彼らは一般兵が終わってから一人ずつ静かに敬礼をした。こうしてちゃんと規律通りの行動をとると、いつもの賑やかな雰囲気との落差が際立つ。

 天河は上司の義務として敬礼を返し、それを合図として兵たちは待機の姿勢に戻った。



「待たせたね。全員揃ってる?」
「はい。点呼完了しています」
「オーケー。すぐに任務に入る……と言いたいところだけど、一つ言っておくことがある」



 天河がそう前置きをした時点で、全ての者がこれから語られることを察していた。



「今回の犠牲者は間違いなく捕食されているそうだ。……出発前に言ったこと覚えてるね?」



 まだまだ静寂は守られる。任務への切り替えが済んでいるので、先ほどと違い私語が一切ない。

 人を喰うのは闇属性だけ。その認識は共通の常識で、三人一組という慎重な編成にも全員が納得した。命の駆け引きは日常的だが、人に殺されるのと魔物に食い殺されるのとはわけが違う。
 剣で一太刀に斬られるのと、生きながら四肢を食いちぎられるのでは恐怖の度合いが桁違いだ。背筋を走る緊張は彼らの全身を駆け巡って頭の天辺から抜けていく。
 物々しい雰囲気が支配する中、天河は手を叩いて再度注目させた。



「さすがに緊張するのもわかるけど、そもそも最悪の事態にならないための編成だ。私は任務のためなら犠牲をいとわないなんて古臭い持論はないからね。……それじゃあまず第一班」



 最低限の的確な言葉でうまく締めくくると、天河はてきぱきと指示を飛ばし始めた。澄んだ声は広いところでよく通る。
 どの班がどの辺りを担当するかは事前に伝えてあるし、詳細な場所もその他諸々の情報・作戦も天河の頭の中にある。煩わしい資料など邪魔なだけだ。

 戦士としてのプライドを奮い立たせ、喰われる恐怖を頭の隅に追いやった深夜の兵たちは、班員たちとの連携や装備を確認して次々と森へ走り出していく。寂れた広場が少し騒々しくなった。


 高崎たちを単独行動にしたのには、ただ彼らが縛られるのを嫌うからだけではない。範囲を決めず森の中を走り回らせ、いざというときのフォローに入るためだ。
 天河はこの任務の詳細を聞いたときから背後に闇属性の存在を感じてこの編成をとったのだ。杞憂であってもそれはそれで別に構わなかった。用心に越したことはないのだから。



「第三班、出ます」



 任務に出ていく仲間の声を聞きながら、朝倉は集団の片隅で、外套の中で後ろ手に繋いだ手の甲に爪を立てた。仲間たちが森に飛び出していくのを、蟻の行列を観察するようにじいっと見つめている。手に感じる痛みなど他人事のように。
 瞬きをせず彼らの姿を追う目玉以外、朝倉の体はその闘争心に反して微動だにしなかった。しかし気を抜けばつい口角が上がってしまいそうになる。それを押さえつけようと口元を引きつらせ、さらに爪に力を込めた。



「……よし、これで最後だね」



 顔を上げると、班を組まれた者たちはいつの間にか全員が森に消え、単独行動を課せられた四人と天河だけが広場に残っていた。次第に静けさが広場に染み渡って、我に返った朝倉は人知れず刻まれた手の甲の赤い跡をそっと撫でた。直接見なくとも、そこには牙のようなくっきりとした跡が残っているのがわかる。それでも、目の前で任務に出て行く兵たちがいなくなったことで少し落ち着きを取り戻せたようだった。
 堪え性のない子供と思われるのが嫌なので、今度は勘の鋭い天河や高崎、意外に侮れない西来に感づかれないよう無表情を作り直す。

 が、とっくに手遅れだ。集合する前に高崎と天河と話していたとき、少なくともその時点で二人は子供を見る気持ちで朝倉を見ている。

 天河は、俯いて地面を凝視している朝倉を見て、高崎とさりげなく顔を合わせて肩をすくめた。一つ咳払いをして話を続ける。



「さて、お前たちは分かってるね。特に朝倉と高崎は絶対に狩りすぎないこと。神木も群れのリーダーくらい見分けられるよね? そいつも狩っちゃだめだ」
「えー? でもまた村人襲われたらどうするんですかあ?」
「闇属性は共食いがあるから、リーダーは仲間が死んだらその死骸を食べる。それなら敢えて残したほうが後のゴタゴタも片付きやすい。縄張り争いに村人が巻き込まれるケースは多いからね」
「でも残ってたらまた増えちゃいますよう?」
「山中に潜んでるやつらを見つけ出すには時間がない。少なくとも今日は最低限決められた数を減らす。とにかくそれさえできれば魔物側も食い扶持が減るわけだから、根本的な解決にはならないけど……少なくとも今はそれで十分だって結論だ」



 闇属性が人に手を出すほど追い詰められた理由は、食料がなくなったからでまず間違いない。しかし会議で深夜兵の誰かが言っていた通り、人里近くに棲む魔物は人が作物を育てていることを理解している。よって滅多なことでは人に手を出さないので、今回はかなり緊急性が高かったとみえる。
 しかし天河には疑問がいくつも残っていた。



「問題はそれよりも、どうして生態系が崩れたのかってこと。ずっと前から闇属性はいたとしても、これまではちゃんと成立していたはずなのに」



 ぶつぶつと言葉を口に出しながら考察を続ける天河を、見兼ねた朝倉が声をかけて呼び戻した。



「参謀がそこまで悩むって珍しいですね」
「納得いく理由が見つかってないからね。まあ、もう少し情報を得るためにもお仕事よろしく」



 朝倉たち以外の兵は、闇属性には慎重に取り掛かり、確実に仕留めるだろう。通常属性の魔物はいるかどうかも怪しいし、いたとしても闇属性たちの餌にならないよう、かなり奥まったところに隠れているに違いない。
 高崎たちは一人で討伐ノルマをこなしつつ、万が一のときは仲間をフォローする。



「わかったら行っておいで。報告は随時、個人のタイミングで私にしにくること」



 天河はくすりと笑うと、子供を学校へ送り出すように手を振った。









「任務、任務、任務! 朝倉さん俺始めての深夜の任務ですよ!」
「ついてくんな。てかさっきまでビビってた奴が去勢張ってんじゃねえよ」
「頭悪いだけですよう! 学校行ってないので! ちなみに俺はこっちが匂うので来てるだけです!」



 鬱蒼と茂る蔦や葉を掻き分けながら進む朝倉と、その後ろを鼻歌交じりについていく神木。無論、彼を煙たがる朝倉が黙っているはずがなく。邪魔だとかうっとうしいだとか言って追い払おうするが、神木は軽い返事をして受け流していくばかりだ。



「なら別の道から行け」
「ええ? 嫌ですよ。なんで遠回りしなくちゃいけないんですかあ?」
「なら死ね」
「それもヤでーす」



 こんなやりとりを、森に入って以降飽きもせずずっと続けている。なんとなくで進んでいく朝倉と、勘を頼りに闇属性を探す神木のルートがたまたま一致しているようだ。神木を心底嫌っている朝倉は引き剥がそうと歩調を早めたり、入り組んだ道や険しい道をあえて行くが、嫌われていることを面白がっている神木は遅れることなくその後をついていく。客観的にみると、深夜に属するのに必要な基礎体力はあると思われる。


 森は次第に高低差が出てきて、植物の分布も微妙に変化してきた。少し空気も薄くなった気がする。それはいつしか山と呼べるものになっており、どこかで滝の音もする。
 こんな状況でなければ、自然に満ち溢れたいい場所だと評価できるのに。今は一匹の魔物もおらず、風が葉を揺らす音が虚しくこだましている。



「朝倉さんは俺のどこが嫌いなんですかあ?」
「全部」
「ですよねえ……でも具体的に! できればもっと具体的に!」
「んじゃ性格。喋り方。あとは……目」
「め?」
「死人みたいな目してんだろ」
「うわっ、酷いなあ」



 神木は人差し指と親指でまぶたを押し広げてみせるが、朝倉は振り返らずどんどん歩いていく。

 確かに神木の目は不気味と言われても仕様がない。本人含め誰も気づいていないが、瞬きの回数も平均に比べて驚くほど少なく、手で瞼を下げてやれば二度と開かないのではと思ってしまう。



「お前もう死んでんじゃねえの?」
「そんなわけないでしょ、もう!」



 どんな行きすぎた発言でも神木が機嫌を悪くすることはない。むしろ楽しんでいる様子に苛立っているのは朝倉の方だったので、彼はそれ以上話すのをやめることにした。相手の思うつぼになるのを好むやつはいない。


 さらに山の奥に足を踏み入れると、少しずつ雰囲気が変わってくる。おどろおどろしさが増し、元来は魔物のテリトリーであったことは魔力の流れで察することができた。もっとも、今は魔物の影もないわけだが、闇属性の餌食になった魔物たちが住処にしていたのかもしれない。

 山自体はかなり大きいようで、そこそこの距離を移動したが今のところどの班とも会っていない。柔らかな土を観察しても人や魔物の足跡は見当たらず、確かにこれでは殲滅は難しそうだ。



「物分かり悪そう言っとくけど、間違っても群れの頭領だけは倒すなよ。ほとんどいねえと思うけど、普通の魔物見かけても手え出すな」
「それさっき天河さんが言ってましたし。朝倉さんも言われてましたよね?」
「…………」
「あ、蛇! 動物……じゃないな、動物型の魔物ですね! 闇属性の餌を免れたんですかねえ」
「…………」



 その発言をきっかけに前を走る朝倉が立ち止まったので、神木もそれに倣い、足元にいた巨大な蛇を手持ち無沙汰に掴み上げた。つやつやと光る胴体をくねらせ、神木の手から逃れようと必死にもがいている。
 神木は好奇心からそれを素手で巻いたり伸ばしたりと遊んでいたのだが、視線を感じてふと顔を上げた。そこではいつの間にか朝倉が体ごとこちらを振り返っており、何事かと首を傾げる。

 山に入って初めて朝倉と目が合っている。その視線はふっと神木の手元に降り、その手の中で抗議の鳴き声をあげながら蠢く蛇に向けられた。妖しげな色を湛えた目が、値踏みするように静かに細められる。



「……朝倉さん? 蛇好きなんですか?」
「…………」
「いりますか? なんか見かけより重いですけど――」



 まさか朝倉に爬虫類を愛でる心があるとは、と蛇を差し出そうと立ち上がると、同時にがちゃりと不穏な音がした。軍という環境では比較的聞き慣れた音。
 え、と声を漏らして視線を持ち上げると、そこには朝倉の瞳の代わりに、真っ黒な銃口がまっすぐ神木を見つめていた。
 銃を向ける朝倉の目が敵を見る冷たいものであることに気がつき、さすがの神木も少し慌てて、およそ意味はないが咄嗟に蛇を盾にする。



「ちょ、さすがにそれは酷くないですかあ!? 俺別に何も――」



 神木の弁明を遮って、ばあん、とけたたましい銃声が鳴り、木の天辺にとまっていた鳥たちが驚いて一斉に飛び去る。銃声の余韻が消える頃には、彼らの羽の音もずっと遠いところにあった。

 仮にも後輩に向けて発砲した朝倉は、満足げに息を吐いて銃をしまう。



「……むむ?」



 銃声を聞いても痛みを感じなかった神木は、反射的に閉じていた目を恐る恐る開いた。本当に痛みはない。が、両手が異常なほど冷たく、しかも意思に反してほんのわずかも動かない。



「……うわお」



 真相は極めて単純だ。神木の手の中では、胴体に弾を受けた蛇が、二メートルほどの全長を頭から尻尾の先まで一思いに氷漬けにされていた。
 蛇は長さこそあるが、その幅はおよそ数センチ。そんなターゲットにたった一発で弾丸を命中させたのはさすがとしか言いようがないが、案の定、それを掴む神木の手ごと凍っていたのだった。



「なにも撃つことないじゃないですかあ! いくら俺のこと嫌いだからって任務中にやめましょうよー!」
「闇属性」
「は?」
「その蛇」
「……ヘビ……」



 神木は凍った蛇を見下ろし、透き通った青の中に閉じ込められた黒い皮膚に目を留めた。「黒いなあ」とは思っていたが、まさか闇属性の蛇も存在するとは。闇属性はおよそ生物の身体構造を超越した異形型ばかりのイメージがあったから、闇属性であるかもしれないという意識すら持たなかった。



「俺がいなかったら一回死んでたぜ。先輩に感謝しろよ」
「……うざいうざい言ってるくせに、いざとなるとちゃっかり助けてくれる所とか結構好きですよ。面倒見がいいんでしょうねえ」
「調子乗んな。……それより、そろそろお前も気づいてるはずなんだけど」
「あ、それは大丈夫ですよう! ぼちぼち言おうって思ってましたから」



 神木は自身の属性が火であった些細な幸運を喜びながら手の氷を溶かし、蛇が蘇生しないようについでに丸焼きにしてその辺に放った。頭の中で、討伐数のカウンターをひとつ回す。
 この程度の火で溶けるということは、朝倉は弾を作るときにあまり魔力を込めなかったらしい。純度の高い魔力ほど靭い弾ができると聞いている。

 悪人になりきれない人だなと、朝倉に見えないよう穏やかな笑みを浮かべた神木は、解放された手を振って水滴を飛ばした。



「今のやつ以外ろくに魔物がいませんね! 闇属性ですら・・・・・・!」
「……人食うくらい食料足りなくなったんなら、闇属性はうじゃうじゃいるはず。……けど近くに気配はあるな。人が魔物かは分からねえし、怪我してる可能性は低いけど……クソガキ、仕事」
「はいはーい」



 その明るい声を最後に、神木は表情に消しゴムをかけたように、緩ませていた口を静かに結んだ。
 笑みを取り去っただけだが、後に残ったぎょろりとした目のせいで不気味さしか感じさせない。朝倉もいつにも増して嫌そうな顔で、直視しないように顔を背けていた。

 神木は何かを探すように上を向き、木々のざわめきの中ですん、と鼻を鳴らす。その様子は、野生に生きる獣が何かの気配を見つけたのと似ていた。



「……匂いますね……量は多くない・・・・・・ですけど、人間の」
「……前行け」
「素直じゃないですねえ。案内しろと言えばいいのに」



 先ほどまでとは別人のように静かに言って、神木は朝倉の脇を通り抜けて前に飛び出した。適度な距離を保って朝倉もその後に続く。極めて不本意ではあるが、山に踏み入ったときとは逆に神木の背中を追いかける形だ。自身より一回り小さな背中を。


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