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丸腰の男


 ごき。
 首の骨を鳴らす音。



「ワシなあ、仕事で疲れとんのよ。今日はゆうっ……くり休んで、明日のんびり帰ってくるはずやった」



 大ヰ町が臨戦態勢で近づいてくるのに、全く気にした様子がない。それどころか武器らしい武器を持っておらず、丸腰で姿を見せていた。
 肩を回して音を鳴らす仕草、やや訛りの強い話しかた。腰はぴんと張っていて、服の上からでもわかる圧巻の肉体。なのにまるで本当に老人だ・・・・・・

 大ヰ町はいよいよ本格的に戸惑っていた。彼はクズだが抜かりない。相手がこれだけ余裕を持っているからには、きっと実力者であるはず……そう思って油断しなかった。
 それを馬鹿にするかのように、この男からは何も感じない。それこそ見た目通り――いや、見た目通りですらない。ちぐはぐに過ぎる存在だ。


――なんだ、こいつは。


 凡人並みの粗末な覇気。簡単に殺してしまえそうだと大ヰ町の本能は叫んでいる。一気に間合いを詰めてみろ、その首はすぐに飛ばせるぞ、と。それをさせないのは彼の理性。これまでの経験によって育まれた理性的な戦闘モジュール。

 つまりは相反する己の反応に困惑しているのだ。いつしか大ヰ町は、刀を構えたまま足を止めていた。


 同様に、五家城もこの男の正体について測りかねていた。大井町より少し引いた場所から分析に頭を回している。気迫は糸里にも劣る凡人ぶりで、最初は大ヰ町が立ち止まったことに疑問を抱いていたが、目が合ってわかったことがある。

 楽に突破するのは無理だと、直感でそれだけ。



「それがまあ、こんなことになって……」



 男はおどけて肩をすくめてみせる。両肩に光る黄金の肩章が月光に応えるように輝いていた。

 香坂の誇りの象徴でもある肩章について、大ヰ町と五家城がもっとよく調べていれば、その姿を見た瞬間に退路を変更してこの状況を回避できたかもしれない。香坂において、両肩に肩章を飾れる者がどういう存在であるのか知っていれば。


 あるいは落ち着いて考えれば、この二人なら気づけることだ。

 男の正体を知るためには、まずは外見と中身の錯綜を解きほぐすところから始まる。

 ところで魔力とは生命の源。多量の、あるいは質のいい魔力を持って生まれるほど命が長く、また身体や脳の衰えも軽微なまま生をまっとうできる。外見年齢があまり意味をなさないのはこれに由来する。
 しかし多ければ多いほど、体表面に溢れる魔力も増える。それは生理現象であり、漏れ出た魔力を完全に抑え込むのは非常に困難だ。

 だが遺伝子というのは気まぐれで、ごく稀に自身の魔力を手足のように自在にコントロールできる者が現れる。彼らにとっては体外のそれも同様で、魔力を持たない無力種と同等にまで鎮めることができるとか。
 そういった人間が生まれる確率は、まず間違いなく天文学的な数字を持ち出すことになる。ほとんど奇跡のようなものだ。魔力の寵児とでもいうべきか。

 重要なのは、彼らが凡人の数千、数万倍の魔力を持ち、かつ自由に操れるということ。そうすると何が起こるのか、想像に難くない。
 かさばり、動きの枷となりうる本格的な武器などまず不要だろう。彼らは見えない刃を持て余すほどその身に宿しているのと同じなのだから。


――五家城をどうにか突破させなければ。気をそらす……のは、無理か。


 男は魔力主体で戦うのだろうというところまでは二人とも考え至っていた。だが、肝心なところに届いていない。


 二人が考え及ばなかったこと。――それは単純に、程度。相手の力を見誤ったこと。


 魔力主体の戦いをするなら、魔力についてそれなりの自信があるはず。それはわかったうえで、大ヰ町は戦うことで隙を作ろうと考えたし、五家城は朝倉を連れて突破できると思っていた。
 強敵だろうとは推測できたが、強さの測りかたを誤った。

 それは、男がまだ力の片鱗すら見せていなかったから。意図的に錯覚させられたのだ。



「なあ、ニイさんがたよ」
「……悪いが話をしている暇は、」
「まあ、聞けや」



 男の声のトーンが落ちる。初めて感情を露わにした。……怒りだ。



「……!」
「っと、マジか……」



 その一瞬にして、この辺りの森一帯を覆えるほどの魔力の波が広がった。

 もちろんそれらは目に見えない。ただ、びりびりと脳を揺らすような圧と衝撃が一気に被さってくるのがわかる。

 五家城は腕の中の朝倉を庇うように抱き、その衝撃に耐えていた。男はそれを見て目を細め、笑顔のような、いや笑顔に似た、全く別の表情を作って顔面に貼り付ける。
 朝倉を守る、その役目はお前のものではないと。



「悪いけどその坊主、香坂ワシらのモンじゃ」



 心臓を握り潰される――無論それは思い込みなのだが、そうイメージしてしまったのだから仕方ない。夕食を抜いてきて正解だった。こんな高出力の魔力をもろに浴びてしまったら、食後なら確実に吐いている。

 それでも実際問題、万全の状態なら一対一でもある程度は戦えた。二人にとっての最悪の事態は、朝倉を抱えて帰還することがほぼ不可能になったことだ。



「置いてけよ、若造」



 魔力だけで戦うなら、彼の間合いは果てしない。わざわざ力を広げて見せたのは、それを知らしめるためだったのだろう。仮に五家城が朝倉とともにこの場を離れ、丘を越えて森に至っても彼の間合いの中だ。

 容赦のない威圧は、五家城が朝倉に危害を加えないことを確信した攻撃だ。……行き当たりばったりで現れたのとは違うらしい。

 大ヰ町はややあって、気管を直接締め付けられるような息苦しさの中で言い放った。



「――退くぞ、五家城」
「……クソが」



 暴言を吐きながらも、五家城もまたその判断に異論はなかった。朝倉を抱く腕に無意識に力を込めていたが、朝倉は微動だにしないので本人も気づいていない。
 どんな手段を講じても、この男を突破して朝倉を連れ帰るのは不可能だと痛感した。

 大ヰ町が一歩下がって刀を納めると、あの鈍重な魔力の重しは最初からなかったように綺麗さっぱり消えていった。呼吸が楽になる。
 互いに武器を下げたことで、緊張はいくらか和らいでいる。しかし剣呑な雰囲気は変わらず、一定の間合いを挟んだ睨み合いは続いていた。

 大ヰ町は『退く』と明言したが、五家城の腕の中にはまだ朝倉がいるからだ。男は朝倉が解放されない限り、牽制をやめるつもりはない。



「そいつは扉の前に寝かせい。ニイさんがたのことは、今回は見逃したれっちゅうお達しじゃ」



 それははっきり五家城に向けられた言葉。命のやりとりなら勝機はあるが、今回はいかんせん任務の難易度が高かった。
 ターゲットを生かして連れ帰るのは、相手組織の規模にもよるが、大抵は極めて困難なミッションとされる。しかも五家城たちの場合は、相手が列強最大の私設軍の香坂で。


 こうなってしまったことについて、五家城には心当たりがあった。

 殻無のときもまさかとは思ったが、決まって朝倉が絡んだときに起こる『不測の事態』――情報源と思しき筋は限られていた。
 それは任務の前に宮水も言っていたこと。


――あのクソアマ


 普段表に出している自称ひょうきんな性格とは裏腹な暴言を心に浮かべながらも、五家城は身を翻して扉の前へしゃがみ、冷たい地面にそっと朝倉を横たえた。


――ごめんな、世良。次はちゃんと連れて行ってやるから。


 暗闇によく映える銀髪に指を通し、軋まず流れてゆくきめ細かさに満足して立ち上がった。

 大ヰ町はその気配を背後に感じつつ、目の前の男に言葉を投げかける。



「腑に落ちん判断だな。なぜみすみす逃す?」
「ワシが知るか。こっちが聞きたいわ。ようわからん手紙もろて帰ってみればこれじゃかんの」



 監視塔で捕らえたのは、有益な情報を持たない雑兵だともう知られているはず。ならば香坂としては大ヰ町か五家城、この二人のせめてどちらかを確保したいはずだ。

 しかし、『手紙を受け取って帰ってきた』という言葉からして、何かしらの手回しがあったとわかる。自身の推測になおさらの確信を持ち、五家城の眉間のしわが深くなる。

 望んだ答えは得られなかった大ヰ町もまた、皮肉げに鼻を鳴らした。



「……ふん。ひと暴れして帰りたいところだが、お前が俺の問いに答えるというのならばこのまま引きさがろう」
「あ? なんじゃ」
「お前は、なんだ」



 問われたほうはといえば、『誰だ』と聞かれなかったことよりも、そんな些細なことを気にするのかという気持ちだった。意外なところで不意を突かれて目を丸くする。
 笑い飛ばす選択肢も考えていたが、大ヰ町の目があまりにも真剣なものだから、つい感化されて正直に答えてやることにした。



「高崎ンとこの若造ばっか有名になりおるからなあ、知らんのもしゃあない」



 香坂の中でも、高崎を若造扱いする者はごく限られる。それこそ片手で十分で、五十嵐に始まり、歳が近いはずの結鶴もなぜか年上ぶった態度をとる?
 そして、この男。



「ワシゃ九十九つくも言う。大将っつう立派な地位もろとるが、まあどこにでもおるひからびたジジイや」


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