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二人きり、月は見てるだけ。


 病棟に入ってから、二人は気配を辿って歩いた。部屋番号までは聞かなかったが、同じ階にいるとさえわかっていれば、わずかな呼吸や魔力を辿って部屋を特定することはできる。
 仮に大勢がこの階にいて、その中から特定の一人を見つけ出すのは難しい。しかし病棟に立ち入った瞬間、彼らは自分たち以外のたった一つの気配だけを感じていた。

 廃病院を思わせる重々しい空気は、ずらりと並ぶ個室のほとんどが空っぽであることに起因する。五家城は小さく鼻を鳴らすと、ある病室の数歩手前で立ち止まった。
 傍目には他の部屋と全く同じで、扉の間隔もごく自然。ここだけ特別な設備様式があるようには思えなかったが、五家城は確信を持って呟いた。



「あそこか」
「うん。お前が行け。俺は念のため見張りを」



 大ヰ町はすらりと刀を抜き、五家城の背後に居座った。

 大ヰ町の刀は名工の作品とはほど遠い、本人の望む最低限の切れ味をかろうじて保証する安物である。
 刀は握る者の力量に左右されるところが大きく、美術品としての価値を見出された刀に大ヰ町は興味がない。何百人もの命を奪った妖刀まがいの鋼の塊こそ彼の求める武器で、この獲物はそれにかなっている。
 使用者がいずれも若くして死んでいるため敬遠され、格安で買い取った無銘刀だった。



「最上階としか聞いてなかったけど、どう考えても一人しかいないよね。罠だと思う?」
「罠なら壊せば良し。取るに足りぬ」
「だよね、俺もそう思う。後ろは任せるよ」



 五家城はうきうきと歩いてゆき、狙いをつけた部屋の扉にそっと触れた。糸里を脅したかの武器は鞘に収めたままだ。罠なら壊せばいい、という大ヰ町の言葉に同意したばかりなのに、警戒している様子がまるでない。



「お前、武器は」
「世良に会うだけなのに、武器なんているかい」
「…………」



 軽微な矛盾を感じ取り、大ヰ町は渋い顔をする。微妙に話が噛み合っていない。扉を開いた瞬間に香坂兵が飛び出してきたらどうするつもりか。今のところ問題はなさそうだが、香坂のことだ。特に隠密に長けた兵がいてもおかしくない。

 もし今すぐそうなっても、並みの兵相手なら数十人いても一人で対処できる自信がある。ただ大ヰ町は、五家城は自分のことを手放しで信用している……わけではないと思っている。数度の手合わせで互いの力量はほぼ互角だと把握しているため、五家城が『自分ならできる』と思ったことは大ヰ町も大抵できる。

 武器を構えずに侵入しようとしている五家城は、香坂兵の処理を大ヰ町に丸投げしようというのだ。自分ができるから、こいつもできるだろう――そんな身勝手な理由で。

 だが、大ヰ町はこの男の狂言が冗談でもなんでもなく、額面通りの意味だとなんとなく感じていた。五家城は本当に、ターゲットと会うのに武器など必要ないと思っている。
 もちろん、コンマ一秒より早く武器を抜くスキルもあるからこそできるのだが。あくまで、敵対心を可能な限り削って対面しようというスタンスだった。


――ますます関係がわからん。朝倉世良は、お前のなんだ?


 どうせ聞いても答えはないので呑み込んで、大ヰ町はおもむろに方向を変えた。即ち扉の前に立つ五家城に背を向け、来た方向を振り返った。
 今のところ、あの病室内に待ち伏せの気配はない。罠だとして、来るとしたら恐らく外からだ。



「逃走経路はさすがに覚えているだろうな」
「ぼちぼちね。最悪先導してよ」
「対象さえ確保していればな。……さあ、く」



 恍惚のため息を合図に、五家城はゆっくりと扉に手を伸ばした。









 ひんやりした感触が手から離れたころ、五家城は部屋の中に立っていた。外よりもやや綿密に調整れた温度と湿度。広々とした個室には様々な設備物品が揃っているが、彼の目に入ったものはそんな中のごく一部だった。

 扉の真正面にある窓。薄暗いせいではっきりした色はわからないが、淡い暖色系のカーテンが引かれている。きっちりと締め切られずにいるわずかな隙間から、太陽光をたっぷり吸い上げた満月の光が差し込んでいる。

 その手前。
 淡白に彩られた大きなベッド。人一人くらいの膨らみが緩やかに上下しているのを五家城は見逃さなかった。枕元に立てられたパーテーションのせいで顔は見えないが、そこには確かに人がいる。

 数十秒の硬直があった。その間に五家城はざっと周囲の気配を探り、この個室空間に自分ともう一人しかいないことを確信する。

 外は大ヰ町が守っている。ここは病棟の最上階だから、窓の外から香坂兵がやってくる可能性は比較的低い。決して不可能ではないだろうが、できる人員は限られているだろうし、効率が悪すぎる。


――あるとしたら、そこに寝てるのが影武者って可能性。


 もしかすると起きていて、五家城が近づいて隙を見せるのを待っているかもしれない。だがここから見る限り、呼吸は一定のリズムを刻んでいる。緊張感は微塵も感じ取れないので、ほぼ真とみていい。


 まずは慎重に近づいていく。ゆっくりとした呼吸の音が聞こえた。穏やかに眠っているようだ。
 そういえばわ心電図の音がずっと鳴っていた。ドラマでよく聞く電子音。それはつまりあの人物が、モニターが必要なほど不安定な身体状況にあることを意味している。

 あいつはすぐ殺されたが・・・・・・・・・・・仕事はやり遂げたようだ・・・・・・・・・・・

 そしてそろそろ焦れ始めた五家城は、雰囲気もなにもかも無視して一気に距離を縮めた。街中のようにすたすたと歩き、パーテーションを通り過ぎ、ターゲットと思しきその人物の正体を確かめる。



「…………」



 室内を照らすのは、小さな隙間から入り込む月光のみ。それは図らずも横たわる人物の頬を照らしているが、その人は眩しさに眉をしかめることもなく、ただ死んだように目を閉じていた。



「……ああ、」



 数十年ぶりに再会した恋人というのは、ともすればこういう反応を示すのかもしれない。

 今日だけで何度も見せてきた、あの悦の表情。なまじ顔が整っているせいで、蕩けるような笑みはひたすら官能的だ。今はそれがかえって不気味さを増している。

 相変わらず色素の薄い唇を舌がなぞり、唾液を飲み下す。その音が電子音のちょうど合間に、際立って聞こえた。


 思わずといった風に漏れた声をごまかすこともせず、五家城はこの部屋唯一のベッドのすぐ側につけた。そこにあるのは、清潔に守られた身体がひとり分。

 血色のない白磁の肌が際立って見えた。まるで人形だ。少女たちが好むような着せ替え人形――というよりは、特殊嗜好を持つ人形愛好家に好まれるフランス人形のような。どこか劣情を誘っているように見えるのは、唇だけがいやに潤って紅に染まっているからか。



「久しぶり」



 その頬を指でなぞり、あまりの滑らかさにぞくりと鳥肌が立つ。絹を撫でたのかと錯覚するほどきめ細やかな皮膚だ。惜しむらくは眼球が閉じきっていること。五家城が最も気に入っているのは、その菫色の眼球だ。
 封じられ、または守られている。優美な色彩を見せるのはおあずけとばかりに、瞼はぴくりともしなかった。



「相変わらず素直じゃないんだから」



 さも、自分は彼のことを何でも知っているかのように。



「でも、それでこそ俺の世良だ」



 馴れ馴れしくも、一通り触れて、愛でて、満足した。



「愛してる」



 限られた者にしか許されない愛の言葉を易々と投げかけては愉悦に浸る。そんな自慰行為に勤しんでいたかと思うと、不意に布団をめくった。
 現れたのは厚手の入院服だが、この季節にこれだけてはきっと寒い。それでも朝倉は身震い一つせず、黙って冷気に身を晒していた。

 不食と安静でやや軽くなった身体を、五家城は当然のようにそっと抱きかかえる。朝倉の腕はだらりと宙に投げ出され、無抵抗さが顕著になり、どこか悲壮感が漂っていた。



「クリア。すぐ暖かいところに連れていってあげるから」



 物言わぬ寝具に、扉に、残念ながら主人を引き止める手立てはない。月ですら、五家城が目的を遂げて踵を返すのを、ない指をくわえて見ていることしかできなかったのだから。


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