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似たもの奇人


 大ヰ町は香坂本部の内部構造を完璧に把握していた。当然ながら違法に入手した情報であるため、そこいらのシード兵には知り得ない場所配置も頭の中に入っている。脳裏に刷り込む形で暗記しており、各階のトイレの個室の数まで答えられる。
 もちろん相応の時間をかけて覚えたものだ。どうせ相方である五家城はターゲットのことにしか興味がないだろうし、それなら自分がやらなければと思って。

 この任務を振られたときの五家城の顔といったら、およそこの世にはびこる豊富な形容詞のどれをとっても表現し得ない不気味なものだった。言語化できる範囲で言えば、興奮がやや前に出ていたか。
 翌日に部屋を訪れたときには精液の匂いが鼻をついた。隠そうと思えばいくらでも隠蔽できた自慰の痕跡たちを、見せびらかすように放置して扉を開いたのだ。

 五家城と標的――朝倉世良との関係は知ったところではないが、こんな変態的な害悪男に執心されるなんて哀れな人間もいたものだ。さすがに同情してしまうが、所詮はそれだけ。任務遂行のためなら己の感情などいくらでも圧し殺せる。



「静かだね」
「…………」



 踵を擦りながら呑気に歩く五家城に対し、大ヰ町はどういう原理なのか、足音はおろか衣擦れの音ひとつさせずに黙々と進んでいた。



「うまくいきすぎるとさ、それはそれで不安になってこない?」
「知らんな。ただ己が役目を果たすのみ」



 先ほど本人が言っていたとおり、大ヰ町も宮水に思い入れはない。道端の石ころよりどうでもいい。支払いがいいから雇われてやっているだけだ。

 真っ当な企業が、秘密裏にとはいえ、こうして犯罪めいたことをさせるケースはごく稀だ。それも今回は宮水という、世界規模でその手を広げる文句なしの大企業。その報酬はというと、前金だけで、これまで受けてきた仕事の最高額を容易く凌いだ。

 宮水は愚かだが、大きな経済を回しているからか金についてはわきまえている。仕事の難度、手間、リスクに見合っているかはさておき、報酬は一円たりともけちらずしっかり期日に納入されていた。

 成果を出せば上乗せされていくうえに、宮水個人は戦闘に関して呆れるほど素人だ。ある任務を命じたまではいいが、遂行中の様子を逐一確認しているわけでもないし、きっとモニタリングしていたとしても戦況の把握は彼には難しい。会社を転がすのとは話が違う。
 最低条件――今回はターゲットの生け捕り――さえ満たせばいくらでもちょろまかせる。

 大ヰ町が真面目に取り組むのはその最低条件の達成まで。それ以降は程よく手を抜きつつ、報酬を狙って細々と細工をするのが常だ。

 五家城はそれを知っている。



「大ヰ町くんは俗っぽいものに無頓着なフリしてるけど、お金もセックスも大好きだもんね」
「与えられるものを受け取っているまでだ。咎められる筋合いはない」
「別に咎めてはないけど。でもお金好きだろ、君。取っ替え引っ替え相手連れ込んでるみたいだし」
「……それらを得るための非道はせん」
「君の非道はちょっと人とずれてるみたいだ」



 お前もだろう。そう目が語っていたが、五家城はにやにやと口元を遊ばせながら無視をした。
 誘拐まがいの犯罪行為のためにわざわざやってきて、それを『非道ではない』とする大ヰ町の思考は、残念ながら五家城の言うとおり人とずれている。

 大ヰ町は、受け取れるものは何でも受け取る主義である。それは自身に与えられた権利であり、向こうから勝手にやってくるものだと思っている。彼はやや人相が悪いが、見るものが見ればその顔立ちや身体に獰猛な魅力を見出すことができる。根っからの雌はそういった強い雄に惹かれるため、あわよくば手篭めにせんと勝手に近づいてくるのだ。砂鉄の小山に棒磁石を突き立てるように。
 初対面の女でも男でも、大ヰ町と二言、三言交わして服の裾を掴むなり腕を抱くなりしてホテルに誘えば、相当気分が乗らないとき以外はほぼ確実に誘いに乗ってくる。

 大ヰ町も年齢は多少気にしている。自身の性行為が比較的過激であることを自覚しているため、体力のなさそうな中高年や、行為に及べばこちらが捕まるような若すぎる者は断る。
 あるいは、明らかに金銭を要求する気満々のぎらついた目をした若い女。大抵は既成事実を作ったあとで金を求め、断られれば強姦されたと国軍へ駆け込む気でいる。これは戦闘によって磨かれた第六感と、無自覚な金への執着が悉く見極めて阻止していた。

 それを除けば見た目には無頓着で、性別も然り。それはつまり大ヰ町が、ある特定の個人と関係を深めることよりも、セックスという行為の快感だけが好きな男だということ。

 要するに守銭奴の色狂い。少なくとも五家城を馬鹿にできるほど真っ当な人間ではない。



「どうでもいいけどね。俺は世良さえ連れて帰れたら……。病棟とやらまではあとどんくらいかな?」
「間もなく」
「よし、よし。順調ってことね。邪魔も入る様子はないし、このままさくっと終わらせよう」



 大ヰ町が勝手知ったる我が家のように進んでいくもので、堂々とした歩みを信頼して進路を丸投げしていた五家城は、ここに至るまでの経路を何一つ覚えていなかった。エレベーターは使わなかったことと、何やら奥まった通路を歩いてきたことくらいはなんとなく知っている。

 今、二人の目の前には大きな白い扉があった。銀のドアノブを生やした両開きの扉の直上に、灰色のプレートが掛かっている。そこに記された文字を認識した途端に、それまで先頭を譲っていた五家城が大ヰ町を押しのけてぐっと一歩前に出た。

 沈黙するドアノブをひっ掴み、扉を開くかと思いや一度静止する。

 手のひらにアルミ塊を納めたまま、目を閉じて大きく息を吐いている。体を前に傾けたかと思うと、額をごつんと扉につけた。大ヰ町はあくびしながらその様子を眺めている。

 五家城は興奮を抑えようと自身を諌めているのだ。勢いよく開けて飛び出したいのは山々だが、敵地でこれだけ悠々と動けているのは運が良かっただけ。

 数合わせに連れてきた雑兵共は捕まってしまったが、あれらは元より『そこまで』の使い捨て。本来の目的も何も伝えていない。
 監視塔をかき回して情報系統を錯綜させ、こちらの人数を撹乱するためだけの駒だった。宮水と何の繋がりも持たない雇われ兵。拷問されようが彼らの胃袋は空っぽで、吐くものなど何もない。



「……すぐ、迎えに行くからね」



 五家城は扉を相手に愛おしそうに呟くと、はやる気持ちを抑えて慎重な動作で扉を開いた。隙間からわずかに顔を覗かせ、左右を執拗に見渡す。視界に入るものはもちろんのこと、気配に対しても丹念に探りを入れる。周辺視を用いて動くものがないと認めると、薬品臭漂う空間へ先に足を踏み入れた。

 廊下の両壁に取り付けられた手すり。床に敷き詰められたカーペット。等間隔で並んだ扉。間違いなく、ここからが病棟というやつだ。


 大ヰ町は、全ての階に病棟への道が繋がっていることも覚えていた。下層のうちから病棟へ入ってしまうと、目的が情報部隊ではなくそちらにあることを勘付かれてしまうかもしれない……そう考えて、最上階まで先に階段で上ってから病棟へ立ち入る作戦にしたのだ。



「…………」



 扉は五家城を飲み込むと、自然に、かちゃりと静かに閉じていった。大ヰ町はそれを黙って見守って、きゅっと眉を寄せて一言、



「気持ち悪」



 今日一番感情のこもった声で吐き捨てた。

 迎えに行く――そう呟いた五家城の表情といったら、気味悪いことこの上ない。声色は穏やか、しかし顔は獲物を前にした肉食獣ないし単なる欲深い人間。
 任務さえ成功させられるなら別に何をしようとも構わないが、ああいう顔は鳥肌が立つし胸糞悪いのでやめてほしい。

 正直にそう伝えたとしても、無駄に弁の立つあの男のことだ。ああだこうだと理由をつけて、感情のコントロールと非言語的要素が云々といった適当な結論をでっちあげるのだろう。

 大ヰ町は一人諦観の表情で、刀が音を立てないように片手を添えながら、漂白された病棟区画へと五家城を追って入り込んだ。


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