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着実に近づいて


 赤髪は上機嫌だった。予想よりも簡単にターゲットの居場所を知り得たし、あの様子では少女のようなかの少年、おそらく放心したまましばらく口を開かないだろう。頼りない身には有り余る恐怖の種を植え付けたから。一過性でなく、時間とともに少しずつ成長する種を。

 居場所を悟られた気配もまだないのがその証拠。しばらくは落ち着いて動けそうだ。無駄な争いはそのまま時間の無駄に繋がるので避けるに限る。



「さて、病棟……」



 しかしここで、赤髪は軽快な足取りをはたとやめることになった。忍ぶ気が全くない、革靴によるよく響く足音も同時に止む。

 少し考えて、振り返った。あの少年がいたところから数分ほど歩いて移動していて、首を捻って振り向いた先には無人の廊下が続いている。蛍光灯の光で明るく白く照らされた廊下には人気がなさすぎて、明るさがかえって不気味だった。



「……ふむ」



 突き当たりまでぐっと目を凝らしたかと思えば、特に何もせずに捻った首を元に戻した。続いて右を向く。会議室らしき部屋の扉が等間隔で並んでいた。そして左。こちらも整然と並ぶガラス窓たちがあり、夜の空と森を映して真っ黒だった。


 彼は病棟の場所を知らなかった。


 なんとなく歩いていただけだ。深夜兵にほとんど遭遇しないのは、先ほど逃した兵による伝令が成功し、守るべき場所に人員を固めたからか。人手が足りない以上、重要箇所に戦力を集中させるのは妥当な判断だ。

 そしてその重要箇所――つまり自分の狙いは情報管理部署だと香坂は思っている。ならばこの状況は願ったり叶ったりだ。わざわざ道を開けてくれるなんて、さすが列強は器が大きい。

 しかし、如何せん建物自体が広すぎた。所属する兵の規模と比較すると納得できるのだが、まさに自分のような侵入者が万が一現れた時のためか、各階の部屋配置が複雑になっている。階段こそ毎階同じ位置にあるものの、全体図を把握するには最低でも一周は歩き回る必要があった。



「……場所も聞いとくべきだったか」



 肝心なところで初歩的なミスを犯してしまった赤髪は軽く舌打ちをする。威圧感を一方的に押し付けるために、朝倉の居場所を聞きだすとそそくさとその場を離れてしまったせいだ。
 かといってじっとしているのも落ち着かないので、とりあえず上を目指して進んでみることにする。

 香坂兵は誰でも内部構造の把握を大前提としているのか、どこにも見取り図がない。エレベーターや階段付近にはあってもよさそうだが、そも本部の一階以上に部外者が立ち入ることはごく稀だ。たまの来客には必ず案内役の兵が一人つく。
 もちろん赤髪はこれらの事実を知る由もない。

 合流するべきか、と耳元につけた小型無線機に指を触れるが、その必要はすぐになくなった。



五家城ごかじょう



 これから電波の力を借りてコンタクトを取ろうとしていた仲間の声は、直接背後から赤髪を――五家城を呼び止めた。

 呼ばれたほうは踏み出そうとしていた一歩を収め、小気味よくくるりとそちらへ向き直る。相手は気配の断ちかたがうまく、正直全く気がつかなかったが、わかっていたように自然に返事をしながら。



「ちょうどよかった。今連絡しようとしてたところ。そっちはどう?」
「問題なし。数人処理した」
「ええ、殺したの?」
「否。峰打ちを」
「ああよかった。間違っても切り傷とか作ってやらないでよ? 血出させたら面倒なの・・・・がいるんだから」



 新たに現れた和装の男は、腰に下げた刀の鞘を撫でながら、癖の強い相方の様子に目ざとく気づいた。包囲を逃れるために監視塔手前で二手に別れたときに比べて、わずかに雰囲気が違っている。それも悪い方向に。

 さては少し遊んだな。問いただすと聞きたくもない一部始終を聞かされるから、ここは黙って気づかないふりをしておく。



「して、場所は聞き出せたか。お前の役目だったろう」
「病棟の一番上だとさ」



 そう言いながら歩き出した五家城。香坂が勘違いしている今が一番の好機なのだから、焦らず迅速に立ち回るべきだ。立ち止まっている時間は短いのがいい。

 和服の男はその後に続こうとしたのだが、あることに気づいてすぐに足を止めた。

 草履が擦れる音がして、五家城も中途半端に踏み出したまま首を捩って振り向いた。五家城と違って小さな足音を気にし、歩きかたを逐一意識している彼がこうして音を立てるのは珍しい。

 どうかしたかと声をかけようとして思いとどまる。なぜなら相手は眉間に深々と皺を刻み、三白眼を細めてこちらを舐めつけていたからだ。明らかな非難の目。何か気に障るようなことをしたかと反省してみるが、再会してからの数分で思い当たることはない。



「病棟ではないのか」
「病棟だよ」
「ならば逆方向である」
「……あれ、そうなの?」



 なるほど、それで。理解したが、馬鹿を装って首を傾げてみる。和装男の眉間の皺が深まり、苛立ちが伝わってきたので、ふざけるのはここまでにしておこう。ごめんごめん、と中身のない空っぽの謝罪をぽんと放る。

 資料にしっかり目を通していないのがこんな形でばれるとは。作戦の概要は把握していたが、今回は標的の現在地が定かでなかったため、作戦経路を決めることができなかった。決まっていたのは、本部の軸となるこの建物への侵入まで。

 どうせ一から標的を探すなら、わざわざ建物の配置を覚えるのは面倒だと五家城は考えたのだ。彼ならばその程度の見取り図ものの数秒で全て暗記できるのに、そのわずかな手間を惜しんだ。



「見取り図は事前に渡した」
「ああ、そうだっけ……言われてみればそんな気がしてきた」
「今宵の標的とお前にいかなる因縁があろうと知るところではないが」



 踵を返し、五家城が進もうとしていたのと反対方向に音もなく歩き始める。



「作戦を遂行する気はあるのか」
「もちろん。楽しみで昨日は眠れなかったくらいだ」



 人一人を拉致しようというのに不謹慎なことだ。



「……お前が非人道的愚行に走ろうが知らん。万一不都合が起これば、俺は俺個人に有益な判断をとる。お前と違い、俺は宮水には何の未練も恩義も持たぬ故な」
「ちょっと待ちな。俺だって宮水に未練とか、ましてや恩義なんてこれっぽっちもない。むしろ受け取ってる側って自覚があるんだけど」
「ふん、承知のうえだ。所詮お前らも利害の物差しでのみ互いを測る関係なのだろうな」
「よくわかってるじゃない」


 
 宮水は大きな組織だが、宮水個人は脅威になり得ない。寝首を掻こうと思えばいつでもできる。

 だが、五家城が欲しいのは金や権力ではなく、もっと貴重なものだ。宮水をどうこうして得られるものならとっくにそうしている。



「正直、宮水アイツ嫌いだし。研究のためだから仕方ないとはいえ、それで世良が変質するなら腕の一本や二本千切ってやっても足りないね。廃人なんてもってのほか」


 今の、あの性格だからいいんだよ。
 

大ヰ町おおいまちも話してみればわかるよ。お前も何だかんだ俺と似たようなモンだからさ」
「やめろ。お前は害虫と同格に扱われていい気分がするか?」



 あからさまな殺気を放ったのは大ヰ町だが、先に喧嘩を売ったのは五家城である。自分の性格が下劣な部類であることを逆手に取って、相手を同格化することによる歴とした侮辱。



「……やめよう。大将とかいう手強い奴らは軒並み遠ざけたけど、それこそ市井惣右介みたいな手練れが紛れてるかもよ」



 これだけの殺気のぶつかり合いがあると、ある程度以上の戦士なら少し離れていても方向くらいは割り出せる。五家城は朝倉の居場所を知った直後から移動を続けており、その間も周囲に気を張っていたが、追跡されている気配はなかった。
 つまり目的を誤解され、かつ現在地もおそらく割れていないこの状況は、理想と言って差し支えない。


 彼らが調査した香坂の特徴として、元帥が見初めて直接勧誘した者たちは特に重要な役職に就いている傾向がある。彼らはかつて戦場の第一線で活躍しており、何らかの理由で前線を退いたケースがほとんどだ。

 本音を言えばそういった隠れた強者も余すところなく他所へやりたかったが、その筆頭である市井を誘い出すのは二度とできない。

 そもそも普段から本部を出ることのない市井を、正当な理由で連れ出すのがまず難しい。殻無では、香坂が情報を求めていたから誘いに乗ったまで。
 それがあんなことになったのだから、当然、非戦闘員への接触にも警戒を見せるはずだ。



「宮水の情報を消しにきたとでも勘違いされてるのいいね。……はい、この話終わり! 知ってんなら先導は任せるよ」



 五家城はぱんぱんと手を叩き、病棟への道を知る大ヰ町を急かす。

 行動や感情の緩急が激しい五家城と組んで円滑に任務を進めるためには、常にこちらが妥協してやらねばならない。
 大ヰ町は冷静なように見えて、売られた喧嘩は積極的に買っていく性格だ。だが幸いにも興味のないことにはとことん無頓着だったおかげで、舌打ち一つでこの場を流すことができた。


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