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襲撃


 香坂にとっては突然でも、仕掛ける側からすれば前もって画策していたことが実行されただけであり、必然の範疇なのである。

 香坂を守る木々は、煩いほど懸命に枝を揺さぶっていた。――何かが来る。そう伝えようとするかのように。

 少なくとも、警告するに値する何かが。本部を囲む森を丸ごと支配している不可視の番人は、果たしてその知らせを感じ取っているのだろうか。









『緊急事態! 本部内の兵は大至急本部防衛配備につけ! 繰り返す――』



 それはまさに、のどかに過ぎ去ろうとしていた夜を一瞬にして覆した。あまりに思いがけない事態に、誰しも驚愕より先に疑問で頭をいっぱいする。

 本部や寮には重苦しい警報が鳴り、残っている全ての兵は動きを止めて上のほうを見ていた。不安を煽る音はまだまだ続いており、書きかけの書類、食べかけの食事の器、そういったものたちをびりびりと震わせる。

 皆一様に見つめるのは天井と壁の境目のあたりで、場所によってはその辺りにスピーカーがあるのだが、なくとも全員が無意識にそうしていた。


 緊急時用の防衛配備。
 香坂の兵は誰でも、この場合における自身の持ち場を頭に叩き込んでいる。実技訓練も行うが、実際にこの指令が発動するような場面に遭遇したものは古参でも滅多にいない。

 『本部の防衛』が必要になるほどの緊急事態がそもそも稀有なのだ。数と強さを誇る列強の拠点に喧嘩を売りにくる愚か者が笑えるほど少ない。仮に本当に来たとしても、監視塔の戦力だけで十分追い返せる。



「緊急事態って……」
「いいから配置につけ! そこ、ぼさっとすんな! 持ち場忘れたなんて言わせねえぞ!」



 戸惑いと推察を口にしようとしたシードの下位兵士を、上司であるクインテット指揮官が即座に咎めた。誰か一人が話し始めると、それに返事をする者が現れ、やがて連鎖的に人の声は広がってゆく。決して無関係な内容でなくとも、無駄な時間であることは確かだ。

 だからそれを避けるため、一人でも部下を持つ兵は特に動き出すのが早かった。自分のものに加えて部下たちの配置も把握して、ぽかんとしていれば腕を引き、戸惑っていれば背中を蹴飛ばす。

 そこへ再び、放送機器による監視塔からの情報がもたらされた。



『監視塔より全兵に告ぐ! 侵入者現在八名確認、うち二人が突破し本部へ向かった! 六名は拘束済み、こちら戦闘不能多数!』
「監視塔が、突破……!?」



 驚くのも無理はない。監視塔の職員は事務員もいるが、ほとんどは高度な訓練を受けた兵士たちである。怪我による後遺症などで前線を退いた者が比較的多いが、実力者ばかりであることには相違ない。

 そんな彼らが、戦闘不能多数なんて。各々が強敵をイメージしてしまい、そのまま見えない鎖となって足を竦ませる。一体どんな連中が、何の目的で――けれど上司の怒号で辛うじて走り出した。
 背後から恐怖が迫ってくると思えば、自然と速度も上がっていく。



「こっちに向かってんのはとりあえず二人か!」



 とあるクインテットは部下たちをけしかけながら、配置である入り口付近へ急いでいた。二階の会議室から飛び出し、無人の廊下を駆け抜ける。
 幸い任務から無傷で戻ったばかりで武器も持っている。しかし戦闘経験が皆無のシードを五人も抱えているため、彼らの無事も託されていた。

 今はとにかく情報が少なすぎる。戦闘不能というのも単に気絶させられただけなのか、重傷を負わされただけなのかはっきりしない。

 後者ならば一人でもいい、深夜の助けがいる。


 一階への階段を目指して、彼は先導して廊下を走る。最初の放送から数分は経過したように思うが、監視塔からの続報はない。

 侵入者は本当に二人なのだろうか。付随部隊の存在も視野に入れるのが普通だ。敵としても、二人だと思わせておいて伏兵を動かすのは有効な作戦だ。


 しかも、本部ならではの欠点があった。
 情報が錯交するのだ。

 任務ならば事前に連携と作戦を検討し、全員が無線機を持ち連絡を取り合うことができる。
 しかし列強ともなると本部や寮にいる人数が圧倒的に多く、連絡手段は携帯くらいのもの。放送が聞こえないような状況にある兵も中にはあり、非戦闘員の割合も任務では考えられないほど多くを占めている。



「敵の現在地もわからねえ……くそっ、とりあえず出入り口を――」
「それは無理だね」



 その声は、最後尾を走っていたシード兵の耳に一番よく聞こえた。真後ろ? その通り。一階への階段がある前方ではなく、背後から。



「おいッ、今のは」



 何だ、と続けようとした先頭のクインテットが振り返った時にはもう、彼は地面に倒れ伏していた。

 恐怖と不安に張り倒され、隙だらけの後ろ首を狙われた。それは天河が朝倉によくするそれとは性質を全く違えた、明らかに意識を奪うために狙いを定め、悪意を持って振り下ろされた手刀。


 倒れたシード兵の向こうに立つ赤髪の男が、その手を静かに下ろすのが見えた。



「下はぼちぼち人が集まってたけど、二階は疎かだね。敵が絶対に一階から入ってくる保証なんてないのに」



 言いながら、男は小馬鹿にするように首をわずかに傾けてみせた。
 シード兵の意識を奪った右手で、凶悪な形をした大きめのナイフを腰の鞘からするりと引き抜く。両方の腰に鞘はあったが、男が取り出したのはその一本だけだ。

 明確に武器を向けられたことで、緊張感が廊下の端から端まで蔓延する。クインテットはすぐに身を翻し、男と相対していた部下たちの前に出る。



「……どこの誰だか知らねえが、配備自体に穴はねえんだよ。人員さえ整っていりゃあな」
「へえ。じゃあ今日はトクベツ人が少なかった感じ?」
「シラ切んじゃねえよ、周到なクズ野郎共。……もう一人もとっくに入ってきてやがるな」
「……ちょっとびっくり。雑魚と思ったけど、分析能力はまずまずだ」



 昼間、食堂でちらりと聞いた。今日は出動率が高く、本部にいた大将二人も任務に出ている。深夜や黄昏も、休日を返上している兵さえいるとか。

 それが意図的に仕組まれたものという考えに根拠はないが、この時期は別に繁忙期ではないし、『自然にたまたま任務が多かった』とする理由もまたなかったのだ。

 消去法でカマをかけてみたが、やはり当たりだったらしい。それにしても二階が自分たちだけというのは少なすぎるので、おそらく相当な数が配置につく前にやられている。

 部下の一人がその毒牙にかかっても、彼は冷静に状況を見極めようとしていた。あからさまな挑発は無視し、その目的を推し量る。


 わざわざ先手をとって本部から人を減らしたということは、香坂の慢性的な弱体化が目的ではないように思う。捕まるリスクを低減させる作戦とも考えられるが、それこそ本部を狙うメリットが不十分だ。少人数でばらけて任務に向かっているほうのが仕留めやすいはず。

 香坂本部にしかないものを狙ってきた――だとすると、真っ先に考えられるのは情報だ。

 深夜をはじめとする上位兵たちは今、竜に絡むたちの悪い陰謀を暴くべく奮闘している。クインテットまではある程度が伝えられていて、彼は香坂が掴んだ情報を消しにきたのではと見当をつけた。

 情報は内容によっては数千、数万の人を殺し、軍はおろか容易に国を潰しうる。



「……お前ら。ノーティス本部に行って市井と合流しろ。防衛を強化するよう伝えてくれ」
「……先生は……」
「この状況で全員背を向けて走れるか、ボケ。安心しろ。呑気に寝てやがるあいつもちゃんと回収する」



 情報部隊・ノーティスの本部前には、常に黄昏兵が二人ついている。そもそも入り組んだ場所にあるので、簡単に到達されることはないと信じたい。すでに侵入しているらしいもう一人の所在が気にかかるが、連中もぽこじゃか殺すつもりはないようだ。

 新米とはいえ、部下たちも訓練を受けた一兵士だ。死の危険が絶対的でない限り、多少の無茶をさせるのは決して批判されるような行為ではない。

 真後ろにいた一人にだけ小声で指示を出し、緊張で固まったその体を後ろ手に押した。よろけた青年は小さく頷くと、残りの二人を連れて走り出した。

 赤髪は手を出さず、黙って見ていた。



「……止めねえんだな」
「手間だから」
「ずいぶん自信満々じゃねえか。ええ?」



 剣を構え、相手の出方を伺う。倒れた部下が道を塞ぐように倒れているので、ひらけた場所にうまく誘い込めれば存分に戦える。


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あきゅろす。
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