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瞳の色をひた隠しにして


 起きたらまずテレビをつけて、顔を洗って、着替えて、冷蔵庫の中身を適当に腹に詰めて、歯を磨いて。そうやって決まった手順で身支度を済ませる。どうせすぐ出かけるので朝は暖房をつけない。

 紐を結ぶのににやや時間のかかる靴を履き、外套と武器は置いて外に出た。


 朝夕は特に冷え込む。寮の廊下ですら吐く息が白くなるほどだ。鍵を閉めて、念のため扉を引いて施錠を確認する。きちんと閉まっていることに満足すると、ゆったりと踵を返して歩き出した。

 廊下は途中で十字路を経て、突き当たりまで両側に等間隔で扉が並んでいる。全てを通り過ぎて行くかと思いきや、ある地点で不意に立ち止まった。

 部屋を出て左手の廊下の一、二、三番目。

 自室と全く同じ扉を見つめていたが、何をするでもなく立ち去った。インターホンを鳴らしても意味がないことはわかっていたから。

 この部屋の主は、これから行く先にいる。今日の仕事は午後からだったが、できるだけ誰にも知られずに会うため、わざわざ早起きまでしたのだ。








 この季節、この時間ではまだ外は真っ暗で、またこの棟のほとんどの人は眠っているため、廊下を照らすのもぼんやりとした白い光だけだった。
 職員の見回りに支障がない程度の灯り。なので目当ての部屋の扉に縦帯状に入った磨りガラスから、薄く光が漏れているのがよくわかる。

 もっともこの階にいるのは一人だけで、そう頻繁に人が来るわけではない。


 役割上、ここは寮と違って廊下も一定の温度に保たれている。縦向きに付けられた銀色のドアハンドルも思ったほど冷えていない。扉をスライドさせると鍵はかかっておらず、無音で滑らかに開いてゆく。



「お前ならこの時間に来ると思ったぜ」



 高崎は室内壁際のソファに座る先客の姿に目を留め、放っておけば自然に閉まる扉をわざわざ後ろ手に閉めた。



「偶々目ェ覚めただけだ」



 そんな言葉を吐きながら、真意を隠すように両手をポケットに押し込んだ。閉まりきった扉の前で突っ立っていたかと思うと、彼にしてはやや控えめな歩幅で部屋の中央まで歩んでくる。
 一対一で話すには遠すぎる距離を置き、互いに黙ったままの時間が少し流れて、やがて高崎から切りだす。



「……様子はどうだ」
「夜中にも何度か見にきたんだが、相変わらず寝こけてやがる」



 殻無山の任務から一夜明けた早朝。

 朝倉はその間もずっと眠ったまま、こちらからのアプローチの一切合切に反応しなかった。それどころか、しばらく見守っていても身じろぎひとつしないのだ。

 園崎は高崎に渡すためにと用意していた、朝倉の検査結果を手渡した。クリップで留められたそれらを受け取りめくっていく高崎は、いつになく真剣な表情をしている。



「芹沢先生にも診てもらった。どこをどう見ても正常だとよ」
「…………」



 資料に一通り目を通した高崎は、それを片手にベッドに近づいた。

 朝倉は純白の寝具の中で穏やかに眠っている。規則的に上下する布団を見ていると、名前を呼んで肩を揺さぶればすぐにでも菫色の光を見せてくれる気がした。

 手を伸ばし、枕に散らばる髪に触れる。殻無の山中で触れたときと同じ、通り抜ける指を拒まないさらりとした銀色の髪。眼や肌の色といい、彼の持つ色彩はどれもが洗練されており、またそれらの組み合わせも奇跡的に美しい。
 性格や表情という精神的な個性が剥奪され、こうして物言わぬ抜け殻になるとそれがより際立つ。

 あのとき感じたことは気のせいではなかった。感性を失った朝倉は神秘的な雰囲気を纏い、異常なほど高崎を惹きつける。


――しかし、違う。
 高崎が求めているのは容姿造形が整った抜け殻などではない。

 発言の節々に皮肉を混ぜ、事あるごとに不満そうにして突っかかってくる。大人びているようでその実は子供のように単純で、慣れてしまえば簡単に転がせてしまう。頑固で強気な性格かと思えば、窮地に際して天敵であるはずの高崎の名を呼ぶ。


 そんな朝倉だったからこそ、高崎はあの見知らぬ女性の言葉に従ったのだ。虚偽であるならそれでもよかった。



「脳にも異常はなかった」



 朝倉の髪に触れたまま動きを止めていた高崎を見かねて、ソファにもたれて腕を組む園崎がその横顔に向けて声をかけた。



「つまりだな、死ぬまでこのままだとか、それこそ根拠もクソもねえ」



 慰めたつもりは毛頭ない。ただいつもの不遜な態度に慣れているので、無自覚だろうが高崎が辛気臭い顔をしているのが気味悪かっただけだ。



「今日はいいが……お前の仕事の感じだと、毎日面会時間はぶっちぎるか」
「……本部に戻るのは十時くらいが多いな」



 全ての医務室から繋がるこの病棟にも面会時間は設けられており、集中治療室にでも放り込まれていない限り、朝の九時から夜の八時までに顔を出せばほぼ確実に会える。

 しかし任務が深夜にまで渡るときは大抵泊まりがけになるので、通常の、その日のうちに帰還できる任務で高崎が戻るのは十時前後。よその私設軍に名指しで応援を頼まれることも度々あり、その場合は真夜中に帰還することもあった。


 今日は当直医が園崎であるのを知っていたので、こうして時間外の早朝にも朝倉に会うことができている。しかし規則に厳しい他の医師では少し難しい。

 加えて高崎は、なぜか見舞いに行くのを見られるのをひどく嫌う。曰く『柄ではないのは自覚しており、あとでとやかく言われるのが面倒くさいから』らしいが、要するに時間に余裕があっても面会時間内には来たくないという我儘だった。

 その言葉は半分建前だろうと園崎は読んでいる。彼が足繁く通うなどこれが初めてだ。要するに、余計な邪魔が入らないようにしたいということだ。
 


「話は通してやる。好きな時間に来い。お前がいたほうが朝倉も安心するだろうよ」
「むしろ嫌がりそうなモンだけどな」



 苦笑しながらも、高崎はその申し出をありがたく受け取った。願わくば彼が目を覚ましたとき、自分がそこにいてやれるように。


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