[通常モード] [URL送信]
前途多難


 翌日の深夜本部には、普段より少し多めの兵士が集っていた。久々の魔物退治とあって緊張するという声が聞こえるが、期待の方が上回っているのはその表情から明白だ。
 休日返上かもしれないと言っていた西来もいれば、相変わらずぼうっとした朝倉もやはりいる。そしていつも時間ギリギリで最後にやってくる高崎も、珍しいことに早いうちから姿を見せていた。

 昨日の一件を知る兵たちは朝倉と高崎を交互に見てはごくりと唾を飲み込む。一同は朝倉が喧嘩の原因を忘れたことを知らないので、また何か始まるのではと警戒しているのだ。視線を集める朝倉は居心地悪そうにしている。そこに気軽に声をかけられるのは西来くらいだ。



「体調はどうよ」
「悪くはない。よくもない」
「昨日のお前はマジだったからな。そこにいたってやつに聞いたんだけど、高崎さんはお前に耳打ちしてなんか言ってたらしい」
「あ、そ」
「興味なさげだなあ……自分のことだろ? 気になんねえの?」
「…………」
「…………」
「……別に」
「だろうな」



 ついにその内容を知るのは高崎一人ということになる。西来は朝倉の隣に腰掛け、最前列一番端の席にどっかり座りこんで足を組んでいる高崎を盗み見た。彼もまた気配に鋭く聴覚も並以上なので、この空間の中で下手に名前を出せばすぐに気付かれるかもしれない。



「なんて言ってたんだろうな」
「さあ」
「お前、たかが喧嘩で滅多に銃抜かねえだろ」
「……俺は忘れたって言っただろ。知りたいなら大将に聞けばいい」
「ったく、お前は……」



 ついとそっぽを向く様は拗ねる子供そのもので、西来は呆れて灰髪の頭を軽く小突いた。自分のことなのだからもう少し興味を持ってもいいだろうと。
 完全にふてくされた朝倉にはしばらくなにを言っても無駄だ。そのあたりの扱いは西来も心得ているのでこの話を変に掘り下げる気はなかった。


 朝倉の精神の幼さは、同期であるはずの西来と並ぶと顕著なものになる。朝倉の物怖じしない態度は熟練の兵士より立派で戦闘も様になっているが、私的なことになると――特に彼自身のことになると、主として精神面に激しい落差を生み出す。まるで自分のあるべき姿を模索して組み立てている最中だ。

 傍目から見ればむしろ大人びて見える。新米の兵たちが憧れの目を向けているのがいい例だ。しかし理想と現実は違う。朝倉の強さは目指すがよし、だが彼はかなり特殊であることを早めに知っておいたほうがいい。


 西来が正面に向き直ると、いつの間にか周りは雑談の余韻を残ししながらも皆席についていた。時計の針はちょうど九時を指している。

 それを見計らった天河がステージへ上がり、誰にとっても聴き慣れた高らかな声を張り上げた。



「……全員注目! 今日の任務の説明に入る!」



 一斉に視線が向けられる。紙束を手に立つ天河は、緑光のポインターの光をスクリーンに向けて踊らせた。そこには既に、今日使用される資料が鮮明に映し出されている。


 宮水みやみ軍管轄地域『本條』の魔物掃討戦。
 最上部にそう記してあった。


 本條は香坂地方に属するごくありふれた小さな村で、管轄としては香坂に属する。だがその利便性の悪さから手が回りにくく、治安維持などは別の私設軍の手に委ねられていた。それが宮水というわけだ。
 村を囲む森には魔物の群れがいくつも棲みついているが、さらに奥の山には食料が豊富なので、魔物が村を襲うことは前例がなかった。

 しかしある日を境にそれが変わった。魔物たちは人気のない夜間に村に降り、作物を食い荒らす。村の食料全体に影響が出てくるほどになると、今度は民家を襲っている。ついには犠牲者も出てしまった。現地の駐屯軍が討伐に向かったものの成果は乏しく、止むを得ず本来の管轄である香坂に救援を依頼したのだ。



「……どっかの誰かがよその魔物を放したか?」
「単純に森の食料がなくなったって考えんのが普通じゃねえ? 畑の分は取り尽くして、家にある食いもん狙って……」
「でも犠牲者が出たんだろ? 村の近くに棲んでる魔物なら、作物を育ててるのが人間だってわかってる。だから無闇に殺さないはずなんだよ」



 様々な推測が飛び交い、ざわめきが波紋のように広がる。咳払いでそれを咎めた天河は、自らもスクリーンを見上げながら続けた。



「依頼の経緯と概要は以上。こうなった原因については調査中だけど、対処自体は早急にする必要があると見なされた。打ち出された対策は無難に魔物の数を減らして生態系を元に戻すこと。編成は三人一組で二体を目安に狩る。それだけで十分数は減らせるからね。減らしすぎるのも駄目だから手当たり次第ってのは止めること。高崎と西来、朝倉は単独で大型の討伐。……大まかにはこんな感じだけど、何か質問はある?」



 天河がつらつらと資料を読み上げ、教師のように問いかけると、ちょうど天河の真正面に座る一人が手を挙げた。許可を受けて立ち上がった男は律儀に軍帽を脱ぎ、一礼してから発言する。



「失礼ながら、三人で二体は少し慎重すぎると思います。天河参謀がこの人数を集めたのですから、何か理由があるのかと存じますが」
「……まあ、そうだね。昨日の時点で噂は広まってたみたいだけど」



 小難しい戦略もなく、また彼ら好みのシンプルで単純な任務内容。誰も疑問を持たなかったところにこの男は切り込みを入れた。それに対して天河は『噂は広まっていた』と答えている。本條の任務に関して出回っていた噂で特筆するべきものなんて一つしかない。
 天河はしばし部屋の中を見渡して自然に静まるのを待つと、ポインターを切って正面に向き直った。



「さっき話した犠牲者は殺されただけじゃなくて、魔物に食われていた・・・・・・。意味はわかるね。君たちがするべきは『三人で二体魔物を狩る』だけ。大型は下手に手を出さないで、先述した三名に回すこと。以上。他には?」



 明確な返事はせず、意を汲み取れという指示を込めて天河は強引に言い切った。その目は、『食われていた』というだけで情報としては十分、これ以上は必要ないだろうと語っていて、質問した男は異議を唱えずに一礼して着席した。
 物分かりの良さに満足げに微笑んだ天河は、それ以上の手が挙がらないことを確認すると、全体を見渡しながら声を張り上げた。



「会議は以上。三十分後に正門前に集合。……上司より早く整列してる必要はないけど、遅刻は減給だからね」









「最後のアレ、絶対朝倉に言ってたと思う」
「お前じゃねえの」



 朝倉と西来は、軽口を叩きあいながら正門に向かっていた。朝倉が途中眠気覚ましにと顔を洗うため洗面所に立ち寄ったので、二人が到着したときには他の兵は八割方揃っていた。高崎の姿はない。
 天河は正門横の監視塔の警備員と何やら話しこんでいた。恐らく外出の手続きをしているのだろう。

 本部を出入りする者は厳重に管理・記録され、科学技術と情報管理を専門にする情報部隊『ノーティス』によって徹底的に保護されている。これまで香坂軍の機密情報が意図せず漏えいしたことは一度もない。



「…………」
「朝倉? どうした?」
「いや、参謀って監視塔の人と仲良いのかなって」



 朝倉が小さく指差す先を追うと、監視塔の警備員を相手に、ただの手続きにしてはやけに楽しげな天河の姿がある。何を話しているのかは聞き取れないが、作り笑いではないことはわかる。



「ああ、かもな。深夜の出入りの申請は全部天河さんがやってるし」
「……ふーん」
「聞いといてそれかよ」



 首を傾げる西来に気にするなと手を振って、朝倉はなんとなく伸びをした。指を組んで、大きく伸ばし――



「……ッ」
「朝倉?」



 突然、殺気か寒気に似た感覚がして体が反応した。臨戦態勢を取れ、と脳が指示を出す。

 西来は何も感じないのか、不思議そうに朝倉の顔を覗き込んだ。当の朝倉は青い顔をして、落ち着かない様子でしきりに周囲を気にしている。天敵の気配を感じ取った野生動物のように警戒を強めている。
 西来は再度問いかけた。



「朝倉? どうした?」
「……寒気、ってか、嫌な予感が」
「こんなとこに敵か?」
「それなら全員気づいてる」



 そう呟くと、朝倉は気配を辿って監視塔の頂上を見上げた。つられて西来も。
 逆光の視界に、遠く人影が見えた。


ーーところで、朝倉の天敵は二人いる。


 一人は言わずもがな高崎で、会えば口喧嘩、売り言葉に買い言葉、会議中に言い争いをしては天河に止められるといった典型がいくつもある。

 だがもう一人、相容れない存在があったのだ。

 高崎とは会っても殴り合いとまではいかない。昨日トレーニングセンターでの件は特例で、朝倉は不服ながら高崎との実力差を知っているため、本気の殴り合いは避けている。
 しかしもう一人は違う。勝てる自信があるからこそ、会えば互いの気分次第ではあるが日常的に手を出す。高崎よりもっと暴力的な関係にあるのだ。


 朝倉は咄嗟に外套を払い退け、両太腿のホルダーから愛銃を引き抜き、上空に向けて構える。開いた瞳孔はしっかりと敵影を写し、銃を握った条件反射で殺気を放つ。
 それに気づいた兵たちは臨戦態勢の朝倉にぎょっとして、その目線の先を辿って空を見上げた。


――あはは。


 不気味で無邪気な笑い声を聞いたのは、果たしてどれほどいただろうか。人影は地上何十メートルもある監視塔の頂上からためらいなく飛び降りていた。



「朝倉さーん!」



 空から降ってきた声は、朝倉よりずっと若い、明らかな少年のもの。近づくにつれその姿を捉えた朝倉は一瞬目を見開いたが、すぐにぎっと睨みを利かせ、両手の銃の照準を合わせていく。その少年に向けて。



「来い、撃ち落とす」
「やれるもんならぁ、」



 西来のものとほぼ同じ大きさの剣を掲げた少年は、重力に任せて落ちてくる。その声が全員にはっきりと聞こえたときには、彼の姿をはっきり捉えられるまでに接近していた。迫り来る地面に恐れる様子もなく、にやりと歪んだ口から高崎よりも鋭い、猛犬を思わせる尖った歯が覗いた。



「やってみやがれェ!」



 とんでもない量の位置エネルギーが込められた一撃を少年は、あろうことか朝倉に向けて躊躇なく振り下ろした。常人では止めきれず潰されるだけのその攻撃を前にしても、朝倉は全く動じない。銃を交差させて正確に受け止めた。金属同士が火花を散らし、衝撃波と砂埃が音に一瞬遅れて盛大に吹き荒れる。

 弾き返された少年は止められた反動を利用し、宙で一回転し綺麗に着地した。朝倉は着地点に追撃することもできたが敢えてそうしなかった。
 そして少年は一呼吸置いたかと思うと、目の前で手品を見せられた子供のように両手を叩きながら大笑いし始めたのだ。



「あっははは! やっぱり止めますかあ! でも今回ばかりはマジで殺しちゃうと思いましたよう!」
「俺も危うく血の雨降らせるところだった」
「うわ、じゃあ鉛玉撃つつもりだったんですか!? ひっどーい!」



 巻き起こる砂ぼこりを払いながら、周囲は全く状況がつかめないでいた。インパクトの瞬間に跳びのいていた西来はぽかんと口を開けて、前に立つ朝倉を見つめている。砂の向こうに目を凝らし、降ってきた少年の顔を認識した瞬間、しまったと頭を抱えていた。



「何事……!? って、あの子……!」



 さすがに異変に気付いて戻ってきた天河も、少年の後ろ姿を見るなり軽やかに舌打ちをした。まさか今日から来るのか。具体的な日にちは高崎に任せていたのでどうしようもなかったとはいえ、そろそろかと思っていたのに。
 しかしすぐに冷静さを取り戻す。己の失態を悔やむ時間は後でいくらでも作れるが、今は事態の収拾にあたらなければならない。全力で。

 天河が仲介に入ろうとする間にも、朝倉と少年との言い合いは続いていた。



「なんでお前がここにいんの? 黄昏はお呼びじゃねえんだけど」
「ご挨拶ですね朝倉さん! いつ死ぬかもわからないで震えてるあなたのために、俺もついに深夜に来ちゃったってことです!」
「大将に名前すら知られてなかった奴が見栄張んなクソガキ」
「朝倉さんの深夜入りが思ったより早かっただけですよ!」
「諦めて黄昏に戻る方がお前のプライド傷つかなくて済むと思うけど」



 年が近いもの同士の言い争いは徐々に激しくなっていく。高崎と朝倉の場合は、大人である高崎が上手く朝倉を転がせていたのだろう。しかし今回はストッパーとなる要素がない。まるっきり子供の神木と、大人ぶってはいるが中身は年相応の朝倉。相手を貶すためだけの言葉がぽんぽん飛び出している。


 一体あれは何者だと、誰もが謎の少年を凝視していた。あそこまで朝倉の嫌悪を駆り立てる人物が他にいたのかと。会話を聞いていると、黄昏という単語が耳につき、香坂において最も多くの兵を抱える普通兵部隊、トワイライト・ノーツの一員であったことがわかる。

 しかし詳しい事情を知らない彼らに手段はなく、この場を収めるためにはやはり天河が動かねばならなかった。



「はいストップ! 朝倉、今回のは私のミス。今は落ち着いて」
「…………」



 憎々しげな目をしていたが、上司である天河の言葉ゆえか、はたまた大人気ないと感じてゆえか、朝倉は大人しく銃をしまって顔を背けた。



「……神木かみき。お前は本当に高崎さんの推薦か? あの人がお前と朝倉の関係知らないとは思えないけど」



 西来はいつもより低い声で問いかける。
 朝倉が天河の仲裁を無視して突っかかって来ることを期待していた少年、もとい神木は、引き下がった朝倉を見て興が冷めたのか剣を下ろし、にこりと微笑んで西来に向き直った。



「ショーシンショーメー、高崎さんの推薦ですよっ。……もう、止めないでくださいよ天河さーん」
「そうはいかないかな。身内贔屓なしで言うけど、本気でやりあったら朝倉のが強いのは確かだからね」
「……天河さんはそうお思いなんデスネ。参考になりマシター」



 神木はチャンネルを変えたようにすべての表情をかき消して、人形のような無表情で声だけからからと笑わせた。気持ち悪、と吐き捨てたのは朝倉。まったく不気味な奴だと思っただけなのは西来と天河。残り多数は幾ばくかの警戒心を神木に向けていた。その表情の切り替えが、およそ人間のものではないように思えたから。



「……とにかく、深夜入りしたなら私の指示は聞いてもらうよ。さっさと隊列並んで。もうすぐ時間だ」



 騒ぎを起こしたことに何か注意するかと思われたが、意外にも天河はそれの一言だけ静かに告げた。
 しかし、少しずつ我に返り始めていた深夜の兵たちは不満げだった。突然降って湧いて場を乱した新参者の子供に、天河はなんの処罰も与えなかったのだ。天河がそう判断したからには何か理由があるはず。頭では理解していても、その理由すら告げずに終わらせるのは納得できない。
 彼らの気持ちを代弁したのは、先の会議でも手を挙げたあの男だった。



「……天河参謀!」
「…………」



 天河は声を出さず、ただ立ち止まった。男は構わず続ける。今度は礼も脱帽もしなかった。



「お言葉ですが、あの男は何者なのでしょうか。突然現れて攻撃し、この場を混乱に陥れた者を見過ごされるのですか。理由があるのならこの措置に文句は言いませんが、せめて説明していただきたい」



 長い沈黙が流れる。時間にするとそれほどでもなかったが、その場の誰もが数秒を長い沈黙だと捉えていた。
 天河が吐き出したため息がそれを破る。



「……この話が出たのは結構前だったけど、弁明のために言うと私は最後まで反対したよ。けど高崎が選んだってのは本当」
「……そうですか。高崎さんは何と仰っていたのですか。そこな少年と朝倉の関係は存じ上げませんが、仲間の命を狙う兵士とはいかがなものでしょうか。少なくとも先ほどの殺気は冗談ではなかったかと」



 空から姿を現した神木の剣が、しっかりと刃のほうを朝倉に向けていたのは辛うじて見えていた。それを根拠に食い下がる兵士の目をじっと見ていた天河は、「お前は真面目だね」と呟くと、この場で唯一笑顔を浮かべる神木を横目で見た。その感情は読み取れない。



「神木千鳥ちどり。入隊審議にだいぶ時間がかかったけど、今日付けで黄昏から深夜に異動ってことみたいだね。任務に参加する日付は高崎に任せていたから、私も驚いてる……高崎曰く、これからの任務に彼の能力は必要だってさ」



 神木自身のこと、また高崎が推薦したことを聞かされてもまだ問うべきことはあった。しかし男はひどく疲れたような天河の表情を見るや口をつぐみ、敬礼して後方へ下がることを選んだ。天河への敬意が、彼自身のやるせない気持ちを上回ったのだ。

 しんと静まり返る正門付近。
 天河は小さく頷くと、もう一度整列を指示し始めた。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!